ダウンタウンから車で、
少し高台に建つオールド・ミッションへ。
1786年、スペインのフランシスコ会修道士によって設立された
伝道所の女王という愛称を持つミッション・サンタバーバラ
私が人生で初めて訪れた外国が
このサンタバーバラで、1か月間の語学研修&ホームステイ体験でした。
幸か不幸か、初めて訪れた外国が全米一美しい街(の一つ)だったので、
一か月間のホームステイを終えて日本で学生をしながらも、
カリフォルニアの事ばかり考えてました。
毎日のように両親を説得し続け
今度はもう少し長期でカリフォルニアでの学生生活を
続けさせてもらえることになったのですが、
約束の期日通り、いったん日本に帰って就職したものの。。。今に至ります
当時のホームステイ先はミッションの側で、
毎朝ウォークマンを聴きながらここまで歩き、
ちょうど↓の画像辺りからバスに乗ってUCSB(のESL)に通ってました。
初めて一人でバスに乗って学校へ行く日はとても心細くて、
しかも、途中で一度バスを乗り換えなければいけなかったので、
きちんと学校までたどり着けるのか、
はじめてのおつかいのような心境でした
そんな思い出の詰まった
バス停と私の椅子(他に利用客をほとんど見かけなかったので勝手に命名)は、
当時と全く同じ状態で
30年近くもそこに在り続けてくれたのですが、
前回来た時はまだあったのに、
ついに無くなってしまいました。。。
ホストファミリーももう居ません。。。
ここへ来ると当時の思い出があれこれと蘇ってきます
かなり長くなりますが、
ホームステイについてちょっと詳しく書いてみたいと思います。
家族構成は、
シルバーヘアーとブロンドヘアーの白人夫婦、
毎朝起こしに来てくれた賢いゴールデンレトリバー、
そして、たま~に現れる一匹の猫の二人と二匹家族。
私より5歳年上の娘さんは当時サンフランシスコの大学生で、
ふだんは離れて暮らしているけど、
最初の週末にわざわざ会いに来てくれました。
車3台とキャンピングカー、ボートを所有する、
私の思い描いていた優雅なアメリカのファミリー像そのものでした。
知らなかった時の方が自然なかたちで
憧れや理想を引き寄せられていたような気がします。
この時すでにセミリタイアされていたご夫婦は、
毎晩ディナーの前はテラスでのんびりアペリティフが習慣で、
ティーンだった私はまだお酒が飲めなくて
サンティー(太陽で煮出した紅茶)だったけど、
ときどき聞こえてくる鐘の音も素敵なBGMのようで
日本の昭和感たっぷりな実家とは180度違うw
会話を楽しみながら食事をするアメリカ式のディナーでは、
私以上に熱心に、英会話上達の為にたくさん質問をしてくれて、
ついつい単語のみで返してしまう私に
丁寧にセンテンスでの言い回しまで教えてくれました。
週末は、毎週ビーチやレイク、
全盛期だったマイケルジャクソンの
ネバーランドの門(広すぎて門しか見えない)など、
いろんな所に連れて行ってくれました
そしてホームステイ最後の週末は、
送迎会まで主催してくれて
同じクラスの生徒全員(10人くらい)とそのファミリーを
家に招待してBBQをしてくれました。
一か月前まではお互い顔すら知らなかったのに、
こんなにたくさんの愛情をいただいて、
最後は涙涙のお別れでした。。。
再び学生としてカリフォルニアに住み始めてからも
何度か友達や彼氏を連れて遊びに行かせてもらったのですが、
いつもご馳走を作って歓迎してくれた第二の両親です。
ちなみに、この話をホームステイ経験のある友達に話すと、
そんな夢のようなホームステイ先があるんだ と驚かれます。
同じクラスだった別の生徒のホームステイ先の例ですが、
ケース1
庭に建てられた小さなコテージに
簡易キッチンとバスルームが付いていて、
朝食、お弁当は自分で作り、
ディナーの時だけホストファミリーと一緒だけど、
あまり会話がないと嘆いていた男子
ケース2
独身キャリアウーマンの住むアパートに、
ホームステイと言うよりはルームメイト
のような感覚で一か月間の滞在中、
キャリアウーマンは仕事で何日か出張に出かけてしまい
その間は一人暮らしだった女子
どちらもビックリするような酷い話ですが、
同じくホームステイ経験のある夫いわく、
どちらかと言えばケース1、2の方がありがちで、
逆に私の体験談の方がビックリだそう(笑)