人生は何が起こるかわからない。
コロナ禍の真っ最中、突然襲ってきた原因不明の痛み。
最初は右肘の内側に違和感を覚えた。
やがて、それは夜も眠れないほどの激しい痛みへと変わっていった。
数日後には左肘にも同じ症状が現れ、まるで重度の筋肉痛が何日も続くような感覚に襲われた。
いくつもの病院を回り、さまざまな検査を受けた。
しかし、どの医師も原因を特定できず、明確な診断は下されないまま。
それでも諦めずに探し続け、ついに――発症から1年。
ようやく、大学病院の教授と巡り合い、確定診断を受けることができた。
多くの検査を重ねたものの、発症の原因は依然として不明のままだった。
ただひとつ、確かなのは……
「この痛みとともに、生きるしかない」という現実だった。
それでも私は、希望を捨てなかった。
だからこそ、今、この記録を残そうと思う。
痛みの向こうへ
〜脊椎性関節炎と生きる私の4年間の記録〜
このタイトルには、私の願いが込められています。
痛みは、ただそこに在り続けるものではない――。
どんなに長く続いても、
どんなに出口が見えなくても、
その向こう側へたどり着けると、私は信じている。
けれど、本当は触れたくない。
言葉にすれば、あの痛みが蘇る。
書けば、心が再びその記憶をなぞってしまう。
避けたい、見ないふりをしたい――
そんな気持ちと、向き合う覚悟の狭間で揺れながら、
それでも、私は書くことを選びました。
この4年間の記録が、
同じ苦しみを抱える誰かにとって、
小さな希望の光となりますように。
痛みという名の風景
痛みというのは、不思議なもの。
ひとつの場所にとどまらず、まるで旅人のように移動する。
朝、右肘の奥底にひそんでいたと思えば、午後には肩甲骨の裏でうずくまり、
夜になると背骨の隙間から這い出してくる。
脊椎に激痛が走り、私を眠らせまいとする。
あるときには仙腸関節・股関節にまで現れ、私の足を奪う。
いや、「私」と書いたけれど、時々、自分の身体が別の誰かのもののように感じることがある。
これは、私の物語だけれど、同時に痛みがもたらす、
一種の異質な経験の記録 でもある。
脊椎性関節炎という病気とともに歩き、そして戦った日々の記録。
眠れない夜のこと
夜というのは、やけに残酷だと思う。
昼間はまだいい。
少しは動けるし、気を紛らわせることもできるから。
でも、夜。
夜は、それを許さない。
ベッドに横たわった瞬間、細胞たちが暴動を起こす。
痛みはまるで狂ったオーケストラ。
指揮者のいない、統率のとれない、
めちゃくちゃな音が、勝手気ままに鳴り響く。
「ちょっと静かにしてよ!」
そう頼んでみても、無駄だ。
彼らに理性などない。
ただ痛みという名の音楽を奏でることが、
生まれついての使命なのだから。
眠ることは、特権だった。
そんな当たり前のことが叶わない夜、
私は何度も思う。
「もう終わらせてしまったほうがいいのでは……
痛すぎる……もう嫌だ……」
何種類の薬を飲んでも、効かない。
痛みは、ただそこに在り続ける。
でも、そのたびに、微かに聞こえてくる声があった。
「まだ終わりじゃないよ」
誰の声かは、わからない。
でも、それは確かに、
私の中のどこかで響いていた。
薬と私と、「絶対に嫌だ」という気持ち
痛み止め、免疫抑制剤、睡眠薬――。
医者から処方された大量の薬。
見ただけで吐き気がするほどの、それらを
一日三回、機械のように飲み続ける。
それで痛みが和らぐのなら、それでいい。
そう思っていたはずだった。
でも、気づけば、心はどんどん閉ざされていった。
誰にも会いたくない。
なにも考えたくない。
大好きだった庭の花たちも、
ただの灰色にしか見えなかった。
「少しでも気持ちを楽にしましょう」
そう言って、医者は安定剤を何種類か処方した。
安定剤を飲めば、ふわふわと軽くなる。
まるで、軽くお酒に酔ったみたいに。
でも、それが切れたら最後だ。
その反動はあまりに大きく、
ずしりと重い“うつ”の波が押し寄せる。
そして、私は引きこもった。
外の世界は遠のき、
時間の流れさえ、どこかぼやけていく。
そう思う反面、心のどこかで感じていた。
このままでいいの?
――この先、一生、飲み続けるかもしれない。
その圧倒的なプレッシャーに、心が押しつぶされそうになる。
私はまだ53歳。
あと何年? あと何十年、これを続けるの?
でも、飲むのをやめれば――
痛みが襲い、寝たきりになる可能性がある。
それもまた、恐怖だった。
私は悩んだ。
そんなある日、医者が少し声を荒げて言った。
「なんで薬、指示したとおり飲まないの? そんなに嫌なら、来週からバイオする?」
バイオ――生物学的製剤。
その言葉の響きは、未来的で、先進的で、
そして……どこか絶望的だった。
心が凍りつく。
娘は簡単に言う。
「バイオに変えればいいじゃない? 痛みもなくなるし、何が嫌なの?
寝たきりになるほうがいいの?」
わかってる。
頭では、わかっている。
でも――。
このまま、薬に頼り続けるのか。
それとも、自分の力で治す道を探すのか。
迷い、葛藤しながらも、私は少しずつ決断を固めていった。
戦いの日々と、その向こう側
私は、薬を減らすことから始めた。
すべてを一気に捨てるのではなく、
少しずつ、自分の体の声を聞きながら。
だが、それは想像以上に過酷だった。
薬の量が減るたびに、痛みはさらに激しさを増し、
夜はまるで、恐怖と拷問の時間になった。
「これは、一時的なものだ」
希望なんて、頼りないもの。
風が吹けば飛んでしまいそうな、
かすかな灯火みたいなもの。
でも、
それでも、
私はそれを握りしめた。
良いと言われることは、すべて試した。
食事療法、ミネラル、エッセンシャルオイル、ひまし油 ヨガ 氣功 靈氣 ……。
挙げればきりがない。
運動? できるわけがない。
体のあちらこちらが、痛むのだから。
私はアルゼンチンタンゴが好きだった。
ピアノも、大好きだった。
でも、それも――
あきらめざるを得なかった。
神社仏閣にも、時間があれば出向いた。
毎日、氏神様の出雲大社に行き、泣きながら神に、仏に、祈った。
足を引きずりながら、お百度参りもした。
夏の日差しも、雨の日も、ひたすら祈り続けた
そして龍に出会った。
(この話は、また追々書くことにしよう。)
時間が経ち、変わり始めた私の世界
昨年あたりから、何かが変わった。
痛みの強さが、ほんの少しだけ、減った。
まるで、冬の終わりが近づいたような。
そんな感覚だった。
そして今――。
私は歩ける。普通に。
痛みも、ほとんどない。
ただ、長時間座ることはまだ難しい。
ウイルスが体内に入ると、まるで気性の荒い馬みたいに暴れまわり、
痛みへと一直線に向かっていく。
いったい、私の身体はどうなっているんだろう。
油断すると、すぐに痛みがやってくる。
それはまるで、ずっと遠くで待ち構えていた誰かが、
こちらの隙を見計らって足を踏み出してくるような感じだ。
肘の痛みはまだある。
でも、それでも、私は少しずつピアノを弾き始めている。
ほんの少しずつだけれど。
夜も、眠れる。
この「普通」が、こんなにも有難いなんて。
ここまで私を導いてくれた、
自然、友達、家族 、師匠、龍の存在、神様
すべてに、感謝しかない。
でも、それだけでは終わらない。
この経験を、言葉にして届けることが、
今の私にできることだから。
私がここに記す理由
この四年間の記録を、今、こうして書いている。
なぜか?
それは、私と同じ痛みを持つ誰かに、
少しでも、何かを届けられたらと思うからだ。
私は医者ではないし、科学者でもない。
いまだに、痛みと戦っている、
ひとりの女性。
でも。
もしも誰かが今、
夜の暗闇の中で、
痛みに耐えながら
この文章を読んでいるのなら。
伝えたいことがある。
「あなたは一人じゃない」
痛みは、孤独を生む。
でも、その孤独の中にも、きっと希望の欠片は落ちている。
私は、それを拾い集めて、
ここに記していこうと思う。
だから。
もしも今、絶望の淵に立っているのなら――
もう少しだけ、光のほうへ歩いてみてほしい
次回は、私自身が試してみたさまざまな方法についてお話ししようと思います。
これらの方法には医学的な根拠はありませんが、実際に試してみて「よかった」と感じたものを、
あくまで個人的な体験として記録し、お伝えできればと思っています
🌿 日本における脊椎性関節炎の有病率 🌿
日本では、強直性脊椎炎(AS)の有病率は人口10万人あたり約2.6人、つまり 0.0026%。
これは欧米諸国に比べて極めて低い数値だ。
例えば、アメリカでは 約0.2%(10万人あたり200人)、ノルウェーでは 約0.21%(10万人あたり210人) と報告されている。
主な症状
🏥 関節の痛みとこわばり(特に就寝時に強い)
🏥 背中や腰の痛み(3ヶ月以上続く慢性的なもの)
🏥 関節の腫れや動かしにくさ
🏥 腱付着部の痛み(アキレス腱炎など)
🏥 目の炎症(ぶどう膜炎)
🏥 腸の症状(下痢や腹痛)



