振り返り作業/幼児期から | Sweet&Spicy

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令和元年9月21日を以て
しばらくお休みさせて頂くことに致しました。

いつ戻れるかはわかりませんが
ブログはこのまま残しておきますので
よろしければ過去の投稿をご覧くださいませ。

おはようございます。

 

なかなか進まない振り返り作業ですが

少しだけ書いてみました。

 

お付き合いいただけると幸いです。

 

 

 

 

乳幼児期



 

昭和37年5月 

商社を営む両親の下に私は生まれました。

両親にとって私は第一子の長女。


父は私を溺愛していたそうで

出勤をするときにおしめとミルクを持って、
私を自分の会社に連れて行っていたと聞いています。

 

お世話は事務員さん任せだったようですが・・・(笑)

 


そして それは2歳違いの弟が出来た後も

ずっと変わらなかったと聞いています。

ショートカットの活発な女の子・・・
よく男の子と間違えられていたようですよ。
確かに写真を見ますと

お世辞にも「可愛い」と言える子ではありませんでしたね。(笑)


それでも両親は

私に最新のオシャレをさせて喜んでいたそうです。
馬子にも衣装・・・ そう思っていたのかしらね。

 

大勢の従業員が住み込み

「お屋敷」と呼ばれるほどの豪邸に暮らしていたそうです。

(私には殆ど記憶がありませんけどね)

 

経済的に恵まれた家庭で

幸せな幼児期を過ごしていたのでした。

 

上の写真は両親と私。

3人で写っている写真は

後にも先にもこれだけなんです。

 

 

 

 

未就学時代

 

 

順調だった父の会社が手を広げ過ぎて倒産。

屋敷は売却され な~んにもない田舎町の

小さな一軒家が新しい住まいとなりました。

 

住み込みの従業員もいなくなり

初めて家族4人での生活が始まったのですね。

 

小さな家と言っても新築の注文住宅で

一般的な家庭よりは恵まれていたようですが

まだ小さかった私は

生活の変化など少しも記憶していません。

 

大きな家はなくなっても

家族水入らずで生活できたことは嬉しかったと

後に亡母が話してくれたことがありましたが

そんな幸せな時は長く続かなかったのです。

 

 

 


小学生時代



私が色々なことを自分自身で記憶をしているのは、
小学校に入ってからのこと。

 

私は父が何の仕事をしていたのかを知りません。

当時 クラス名簿には保護者の名前と職業が記載されていましたが

父の職業欄には 確か『企業コンサルタント』と書かれていました。

 

倒産からの立て直しは早かったようで

仕事の本拠地となった自宅はどんどん増築され

毎日 多くの人が出入りをするようになり

経済的にはとても恵まれた子ども時代だったことを覚えています。

 

でもそれは「家庭の幸せ」と反比例…

本当は不幸の始まりだったのです。

 


幸せだったはずの家庭が

一気に音を立てて壊れ始めました。


あれは私が小学校2年生の頃・・・
毎日のように両親の言い争いを目にするようになったのです。
原因は父の不倫・・・ 

お妾さんを囲うようになった為でした。

小学校のPTAの会長をしていた父が

何を血迷ったか役員会の席で
「うちに次男が出来ました」と発表したと言うのです。
何人もの方が母にお祝いの電話をくださったそうですが
当然、母は出産なんてしていません。


そう 出産をしたのは父のお妾さん。
その事実をおひとりおひとりに説明しなくてはならなかった母・・・
どれほどの屈辱を味わったことでしょう。

その日を境に 我が家に平穏な日はなくなりました。

 

母は 随分早くからお妾さんの存在を知っていたそうです。
でもね 「浮気は男の甲斐性」・・・
そう思おうと 自分の気持ちを押し殺していたんですね。


また 父方の祖父も長年にわたってお妾さんを囲っていましたから
父方の祖母から「女は我慢するもの」と
黙認を強いられていたようです。


男尊女卑の典型のような家庭・・・それが私の生家でした。
子どもだった私には

断片的にしか物事が把握できませんでしたけれど
間違いなく私の成長と共に 

両親の関係は崩壊に向かって行ったのです。
 


しらふでは父に何も言えない母・・・ 

浴びるようにお酒を飲んで父に絡む。
気性の激しい父は 母を罵り・殴る・蹴る。


お酒の勢いで

血だらけになりながらも父に向かっていく母・・・
それはまるで地獄絵図を見ているかのような光景でした。

 

お客様が全てお帰りになった深夜・・・
私はベットで耳をふさいでお布団にくるまりながら
嵐が去るのを待ったものでした。


朝 起きてリビングを通ると争いの残骸が生々しく残り
背筋が寒くなることも珍しくはありませんでしたね。

 

 

 

・・・・・・

今日はここまでに。

衝撃的なシーンは脳裏に焼き付いていますから

今でも振り返り作業をしますとフラッシュバックして

とても胸が苦しくなるんです。

 

でも、、、こうして書き出すことで

自分の気持ちを整理できると信じています。