おはようございます。
なかなか進まない振り返り作業ですが 少しだけ書いてみました。
お付き合いいただけると幸いです。
乳幼児期 |
昭和37年5月 商社を営む両親の下に私は生まれました。 両親にとって私は第一子の長女。
出勤をするときにおしめとミルクを持って、
お世話は事務員さん任せだったようですが・・・(笑)
ずっと変わらなかったと聞いています。 お世辞にも「可愛い」と言える子ではありませんでしたね。(笑)
私に最新のオシャレをさせて喜んでいたそうです。
大勢の従業員が住み込み 「お屋敷」と呼ばれるほどの豪邸に暮らしていたそうです。 (私には殆ど記憶がありませんけどね)
経済的に恵まれた家庭で 幸せな幼児期を過ごしていたのでした。
上の写真は両親と私。 3人で写っている写真は 後にも先にもこれだけなんです。
未就学時代
順調だった父の会社が手を広げ過ぎて倒産。 屋敷は売却され な~んにもない田舎町の 小さな一軒家が新しい住まいとなりました。
住み込みの従業員もいなくなり 初めて家族4人での生活が始まったのですね。
小さな家と言っても新築の注文住宅で 一般的な家庭よりは恵まれていたようですが まだ小さかった私は 生活の変化など少しも記憶していません。
大きな家はなくなっても 家族水入らずで生活できたことは嬉しかったと 後に亡母が話してくれたことがありましたが そんな幸せな時は長く続かなかったのです。
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私は父が何の仕事をしていたのかを知りません。 当時 クラス名簿には保護者の名前と職業が記載されていましたが 父の職業欄には 確か『企業コンサルタント』と書かれていました。
倒産からの立て直しは早かったようで 仕事の本拠地となった自宅はどんどん増築され 毎日 多くの人が出入りをするようになり 経済的にはとても恵まれた子ども時代だったことを覚えています。
でもそれは「家庭の幸せ」と反比例… 本当は不幸の始まりだったのです。
一気に音を立てて壊れ始めました。
お妾さんを囲うようになった為でした。 何を血迷ったか役員会の席で
母は 随分早くからお妾さんの存在を知っていたそうです。
断片的にしか物事が把握できませんでしたけれど 両親の関係は崩壊に向かって行ったのです。
浴びるようにお酒を飲んで父に絡む。
血だらけになりながらも父に向かっていく母・・・ お客様が全てお帰りになった深夜・・・
・・・・・・ 今日はここまでに。 衝撃的なシーンは脳裏に焼き付いていますから 今でも振り返り作業をしますとフラッシュバックして とても胸が苦しくなるんです。
でも、、、こうして書き出すことで 自分の気持ちを整理できると信じています。
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