数年前から「○○倶楽部」という文芸サークルに入っています
会員は二十数人
月に一度、小説や詩、散文、エッセイなどを持ち寄り合評
年一回は同人誌も発行しています
これは私が2年前、同人誌に寄せた
「恩返し」というエッセイ
女医の進路について書きました
長いので、何度かに分けますね
当時の原文のままです
以前、東京医科大学が女子受験生に対して
一律減点という不正操作を行っていたことが明らかになった。
これに対し女性差別・憲法違反の声がにわかに高まり、
大学側へ批判が殺到、校門前でデモまで開かれた。
さらに文科省の調査により、他の複数の大学で同様の不正が行われていたことが判明。
また不合格とされた女子受験生たちが大学を相手取り損害賠償を求める訴訟を起こしたりと、事態は急展開した。
何度もマスコミにとり上げられ、各界の評論家などが持論を展開したので、耳にしたことがある人も多いと思う。
ただ内情を知る医師たち、とりわけ現場の女医たちはこの騒動を意外と冷ややかに眺めているように思う。
もちろん入試は公正であるべきだし、女性だという理由だけで差別されることがあってはならない
という「圧倒的な真実」の前で、何とも複雑な思いでいる。
まともな入試をやったら、どんどん女子が増えてしまう。
女子学生のほうが真面目で成績が良いというのは誰でも知っている。
これ以上女医が増えると、臨床の現場は回らなくなってしまうという危惧からだ。
私が医大生だった昭和の終わりごろ、医学部の女子学生の比率は大体一割。女子が多いとされている大学でもせいぜい二割だった。
私の同級生の女子十二名はほとんどがマイナーと呼ばれる皮膚科や耳鼻科、放射線科などを選び、外科系は産婦人科に進んだ私と小児外科のもう一人だけ。
つまり、女子学生そのものが全くのマイナーな存在で、その進路など大した問題にされていなかったのである。
医局を選ぶ段階でも、「女はいらない」と公言する教授が何人もいたし、例の小児外科に進んだ友人は入局の相談に行った際、「六年間は妊娠いたしません」という念書を書かされそうになったと言う。
今なら確実にセクハラである。
比較的早く一人前になれて、家庭生活との両立が可能そうに見え、先輩女医たちも多く進んだマイナー科を選ぶ女性が多かったのは必然であろう。
研修医として産婦人科に入局した時、十数名いた医局員はほとんどが男性だった。
三年上の先輩に一人だけシングルの女性がいたが、既婚者や子持ちの女医はいなかった。
私自身も子育てをしながら働くなどというイメージはまったく持っておらず、キャリアの中断になる結婚や出産は一生しないつもりでいた。
卒後比較的短いうちに結婚・出産した同級生は、もとどおりに復職できるはずもなく、いったん退職をしたり短時間のパート医になっていて、気の毒に思ったほどだ。
産婦人科の仕事は激務というか拘束時間が非常に長い。お産はとにかく二十四時間三百六十五日いつ始まるかわからないし、急変することも多く予測がつきにくい。
その割に内科や外科のように人数が多くないので、勤務時間がどうしても長くなってしまう。
例えば市中の病院では産婦人科医が三~四人というところが普通なので、少なくとも四日に一度当直があって、さらに手術は複数で行うのでそれ以外にも休日や夜間の呼び出しがある。
月の残業時間が二百時間を超えるようなことが普通に起きてしまう。
これではどんなにやる気や体力があっても子育てとの両立は不可能だし、男性にしても家庭責任を果たすことはできない。
そこで産婦人科医の多くが独身の男女か、専業主婦の奥さんに家事育児を丸投げしている男性に限られていた。
そうやっていびつな形でバランスを保っていたのである。
これは産婦人科医や医療職に限らず、昭和から平成の半ば頃までのすべての業界に言えることだろうと思う。
「恩返し②」へつづきます