すごい勢いでノートを消費しながら
勉強していた三男でしたが

 

夏が過ぎ涼しくなるころにはペースダウン

 

また勉強に身が入らなくなります

 

私が仕事から帰ってくるのは夜の7時過ぎ
家が近づくとまず見上げるのが

三男の勉強部屋

 

明かりが漏れていると 

あー頑張ってるなとちょっと安心 でも
明かりのついていない日が増え

 

夕食が終わっても
リビングでだらだらゲーム

 

やっと勉強を始めたと思ったら
11時には就寝

 

でも私は何も言いませんでした

 

その1年ほど前

私にはお付き合いする人ができましたラブ

 

将来の約束をしたわけでもないけれど

 

離婚して7年
持病を抱えながら必死で一人で子育てをして


やっと自分のことを理解してもらえる人に出会い

 

体調がよくなったのはその男性のおかげも大きい

 

毎日充実して楽しく

 

週末ごとにデートをし
泊りがけの旅行にも行きました

 

 

受験生の母親としては
ほめられたことではないかもしれないけれど

 

もう高校3年生

 

親は少し離れていたほうがいい

 

三男はもちろんその存在には気づいていましたが
特に気にはしていないように見えました

 

3年生になって初めて受けた
12月の駿台模試

 

医学部はすべてE判定

でした

 

センター試験の数日前
夜10時過ぎ 三男が深刻な顔で
私の前に来て

 

「母さん オレ 
センター試験受けるのが怖い」

 

それまで受験のことで不安げな様子を見せたり
本音を語ったりすることがなかった三男

 

いつもひょうひょうとしてどこか他人事

一番肝が据わっていて大人

なのかと思っていたので

 

びっくりしました

 

「もし、センターで失敗したら
医学部に受からなかったら

 

兄ちゃんたちに
家族みんなにずっと馬鹿にされる
相手にしてもらえない

 

そしたらもう生きてはいられない
死ぬしかない」

 

と言って私の前で泣いたのです

 

私は愕然としました
三男はこんなに苦しんでいたのかと

 

確かに
両親もおじさんも医師
兄二人は国公立医学部に現役合格

 

プレッシャーにならないはずはありません

 

医学部なんて
目指させなければよかった

(私が勧めたわけではありませんが)

 

全然違う道を選んでいれば
こんな苦悩もなかったのに

 

「いいんだよ センターなんて受けなくても
命がけでする受験なんてどこにもない」

 

私は言いました
もちろん本心でした

 

「センターを受けないと国立は無理だけど

今からでも出願できる私立はたくさんある
○○ならどこかの理学部なら受かるでしょう
気に入ったところをいくつか受けて
受かったところに行けばいいい」

 

その夜私は、初めてぶつけられた
三男の思い
日付が変わってもずっと聞き続けました

 

「おじいちゃんもおじさんも

俺がT大附属高だから可愛がってくれるんだ

医学部に落ちたらもう終わりだよ」

 

なんてことを・・・

そんな風に感じていたのかと

確かにT大附属に受かった時一番喜んだのは父ですが

どの高校に行っても、喜んだはずです

 

 

三男に医学部を勧めたことも

もちろん兄たちと比べたこともありません

 

むしろ私は兄たちと比較されないよう

違う道に行ってほしかった

 

でもそう思っていたのは私だけで

三男はひとりでずっと悩んでいたのですね

 

 

きっとこの子はセンター試験を受けないだろう
わたしはそう思いました

 

模試をかたくなに受けなかったのも
医学部には届かないという事実を
知るのが怖かったのかもしれない

 

そう考えると納得です

 

「大学受験なんかであなたの価値は決まらない


医学部に行かないからって家族があなたを見下すなんて


そんなことあるはずがない」

 

私は何度も繰り返しました

 

そして、知らずに三男を追い詰めていたこと
それに気づいてやれなかったことを
悔やんでいました