気が付けば東京の桜も散り…
春ですね。
全国的に雨だったり寒暖差があったりしてますが…
今年…5度目の歳女。
人は…
初秋に差し掛かった年齢までに、いったい何度の訣れをするのだろう。
父のこと書きます。
少し長くなるかな…
今年2月に父が旅立ちました。
一人…病室で逝ってしまった…。
91歳の父でした。
世間的には『大往生』なのかもしれませんが私の父は持病いっぱいでも不死身だ…と思ってました。
娘としては、もっと長生きしてもらい一緒に暮らせる時間…まだあると思ってました。
心臓病と肝臓癌に罹患してるので介護認定を受けてましたが認知症の発症もなく元気に週4日、麻雀ができるデイサービスに通所してました。
そんな暮らしの中…
1月23日に自宅で腹痛を起こし救急車で、かかりつけの総合病院に搬送して…。70歳代から肝臓癌で3度『ラジオ波焼灼療法』を受けた父でしたが今回は肝臓から腹腔内に出血を起こしカテーテルで緊急止血を受けました。
稀な症例で高齢者には命の危険もある負荷の大きな処置でしたが父の生命力と体力が勝って幸いにも無事に成功しました。
腹痛は出血した血が腹腔内で吸収されるまで1〜2週間、続くかもしれない。腿付け根から太いカテーテルを入れたので、そこの痛みも暫くあるので鎮痛剤など投与しながら様子を見て行くと説明されました。
日増に快復して3日目には身体に繋げられてた管が取れて食事をしてリハビリも始まり…。4日目でHCU(高度治療室)病室から一般病室に移ることができました。
私のスマホにピースサインの笑顔を向けてくれました。
後は退院を待つだけでした。
でも父が、病院に居たのは…たった10日間だけだった。。。
入院から10日目の朝…10時頃、私の携帯に病院からの呼出音が鳴りました。
退院に当たっての電話かと思って電話を取りました。
父が今朝、亡くなったと…電話の向こうの看護師からの言葉。
耳を疑った。心臓の鼓動が速く鳴ってたことは覚えてます。
だってもう、退院できるはずだったでしょう…なんで…。なんで…。
家族が来てからでないと死亡宣告できないので、いらして頂けますかと…。事務的な言葉。
姉と直ぐに駆け付けました。
そこには、ただ眠ってるだけの父がベッドに横たわってました。
家で眠ってる父の姿と同じだから…姉と呼びかけ起こしても目を開けてはくれず、ただ静かに横たわっているだけ。
息もしてなくて話もしてくれなくて…少し冷たくなった身体の父との対面でした。
安らかな寝顔だったのが救いでした。
「何で独りで逝っちゃったの?何で私達を待っていてくれなかったの?」と心の叫び…
でも口から出た言葉は「お父さん、本当に良く頑張ったね。ほら姉ちゃんと来たよ」でした。
その朝、食事を終え「腹痛がする」と父が訴えたらしく再度CT画像検査をしても新たな出血などはなく…鎮痛剤を変更するかを医師と看護師で話してる間に、突然、父のモニターから信号が無くなり容態が急変して心肺停止をしたと医師から説明を受けました。
死因は不明なので解剖で究明できるかもしれないが、どうするか聞かれました。
姉と相談して、これ以上、身体にメスを入れたりして苦しめたくないので辞退しました。
重い心臓病もあったので心臓が耐えられなかったんだと納得することにしました。
朝食を食べたと聞いて…腹痛で辛くても朝食を一生懸命、食べたのは生きる気力が凄かったんだと改めて父の強さを思い知りました。
高齢で骨粗鬆症も患ってたので心肺蘇生や延命処置はしないように承諾してました。
せめて激痛や苦しさなどを感じないで最期を迎えたと思っていたいです。
その後、医師は儀礼的な動作に入り「10時50分ご臨終です」との言葉。
退院しか考えていなかったので腹腔内に出た出血で癌細胞も広がって転移も考えられるので、これから消化器内科の主治医と相談しながら癌との闘いになると内心、覚悟しました。
そちらの準備をしてました。
今、思うことは…癌の闘病で苦しい治療をせずに逝ったのは父の意志だったと感じてます。
娘たちに迷惑や金銭的負担を背負わせたくないと思ってたと感じます。
34年前に、くも膜下出血で先に逝ってしまった母と同じです。自身の病気で娘達に何も苦労させないようにしてくれた潔い人生仕舞いの最期だった両親を尊敬して感謝しています。
でも…入院してから毎日、会いに行き日に日に快復している父の姿が嬉しかった。
そんな日々があったことだけでも…子供孝行してくれた父でした。
入院中「これ…歩けないと家に帰れないなぁ」と弱気な事を口にしてた父が気になってましたが退院して介護が大変になっても命が助かって良かったと姉と言い合って家での生活のために父の部屋も片付けて介護用品も、いろいろ買い揃えてました。
亡くなる前日9日目の夜、病室に行ったら腹痛を訴えるので看護師を呼んで鎮痛剤を投与してもらいました。
痛みで元気が無かった父が「姉ちゃんは?」と…。
私が「明日、日曜日だから姉ちゃんと一緒に来るから安心しなね」と言ったら安堵したようで軽く頷いて、うつらうつら眠り始めたので「じゃあ、明日ね」と父に言い置いて、そっとカーテンを閉めて病室を後にしました。
それが…永遠の訣れになるなんて思いもしませんでした。
父と交わした最期の会話が姉の事でした。
入院して、ぴったり10日で逝ってしまった。無言での退院になりました。
本当に呆気なく訣れがやって来ました。
父の生前の遺志で直葬で火葬のみ。
父の妹と先に逝った姉妹たちの子供2人と姉と私の見送りでしたが、父らしいと思ってます。
ずっと、この土地で鳶職人をしていて…仕事をリタイアしても町内会の、あれこれを頼まれると快く引受けて、ずっと愛車は自転車で…走り回ってる父でした。近所では「風のような人」と言われてたので…。
そっと、さっと風のように居なくなったのは父らしいと思います。
宮澤賢治の『雨ニモマケズ』と『風天の寅さん』を合わせ持った感じの父でした。
他人のために動くのに…身内以外とは一線を引いてる付き合い。
そしてもう…昔からの知り合いは皆、先に逝ってしまったし…。
近所では古き良き昭和の地元を知ってるのは父が最後になっていました。
四十九日法要、納骨式…。
無事に母と同じ所に父を連れて行けたから安堵してます。
愛し合ってた両親なので…今頃、あちらでも仲良くしてると思います。
59歳の母と91歳の父の再会は…果たして…?
母に『誰?このお爺さんは…』と言われてなければ良いのですが…。
姉と全て滞りなく執り行えたことが父への最後の親孝行だったと思います。
残りの人生…自分らしく生きて行きます…。
どうかニ人で見守っていて下さい。
いつか…大好きな父と母が眠る『故郷』に私が逝く、その日まで…。