まなともブログ フェアウェル企画

 

テーマ:「まなとも×私」

 

まなともというコミュニティは

自分にとってどんな場だったのか?

 

 

現バンコクメンバー

現運営メンバーだけでなく、

本帰国メンバー、元運営メンバー、

一緒にまなともを作ってきた人たちが

集結して書き綴っていきます。
 

 

ブログフェアウェル企画に込めた想い

 

 

 

まなとも運営メンバーのあかねですニコニコ

5年前の年末、

このブログを立ち上げたのは実は私です。


みんなでリレーでつないできたブログ。


来タイ前から

このブログを通してまなともを知り、

来タイ直後に

はたかたに参加してくださったり、


まなともの存在を知っていたから、

タイに行く不安が和らいだという

お話を聞くことも多く、細々と繋いできて

よかったなぁと感じています。 


数あるバンコク情報の中から

まなともを知ってくださり、

私とまなともになってくれた

多くのメンバー、

ともに書き続けてくれたメンバー、

私が本帰国したのち、

ブログを守ってくれたCraneさん♡


この場を借りて

本当に本当にありがとうございました。

皆さんのバンコク生活の一助に

このブログが役立っていたら嬉しく思います。

 


さて、

まなとも×私と言うテーマで、

最後に何を書こうかなぁと

考えていたのですが、


まなともに入る前の私と

今の私を比較することで、その間にある

まなともというブラックボックスの中身

考えてみようかなぁと思います。

 

 

①年齢

まなとも発足時、29歳だった私は、

34歳になりました。


まなともではほぼ最年少だったので、

皆さんにたくさん甘えさせてもらいました立ち上がる

ザ長女で、夫も年下の私にとって、

まなともはとても貴重な場でした。

 



②職業

まなとも発足時の私は、

日本にエステサロンを持っていて、

しょっちゅう日本に帰っては

普通に働いていました。 


エステ以外にも仕事を持っていましたが、

基本的に個人事業主として、

一人で働いていました。  


バンコクでの就職にも挑戦しました。

これもすごく大変だったけれど、

夫の会社に妻が海外で働く前例を作れたのは

とても良かったと思います。

今のところ、

私以外に希望者はいないですが・・・笑



現在の私は、

大学の研究室で遺伝子の研究をしつつ、

医学部を目指して受験勉強をしています。


働くなら絶対一人がいいと思っていた私が、

高い専門性を持つ個人が集まってできた

集団で働きたいと思うようになったのは、

まなともの運営を経験したことが

大きいように思います。

 



③ライフステージ

まなとも発足当時、入籍から約1年で、

結婚式が終わったばかりでした。


現在は 

3歳になる息子のお母さんになりました。


息子が生まれるまで

本当に苦しいこともあって、

ほとんどのメンバーが子供を連れていた

当時のまなともの活動に、

行かれない日々もありました。



今、子育てをしてみて思うことは、

異国で子どもを育てて

生きるだけでも絶対大変なのに、


まなともの運営や

自分のキャリアを考えるなど、

まなともメンバーは 

本当にタフなメンバーだったのだなぁ

ということ。


私がいま、

スーパーイヤイヤ期のやばい息子と

タイに住んでいたら・・・

私はまなともに参加しているだろうか・・・



色々なライフステージの

女性の話を聞くことで、

私の視野は確実に広がりました。


このことは私の夢が叶って

産婦人科医になった時、

私の最大の強みになると感じています。



 

④夢・目標

まなとも発足当時も今も、

私の人生のゴールは実は変わっていません。


いつか、

女性の人権が守られていない地域で、

女性たちの命を輝かせる仕事がしたい。


そのイメージは15歳ごろから

ずっと変わっていません。


変わったのは、この途方もなく大きな夢を

口に出せるようになったことです。


私は産婦人科医療を通して、

世界中の女性の幸福に貢献したい

と思っていますが、


医学部受験を決めたのは産後2ヶ月の時で、

なかなか人に言えませんでした。

産後2ヶ月で、

夜間授乳の合間に物理を解く。

今振り返っても正気の沙汰ではないし、

本当に寝た方が良いと思うのですが、


まなともメンバーは

みんな応援してくれました。


まなともメンバーが応援してくれたんだから

他の人も応援してくれるかもしれない思い、

SNSや予備校を通じて、

勉強を応援しあえる

仲間もたくさんできました。



以前は、実現可能性の低い目標を持つのが

恥ずかしくて、

難しいけれど努力すれば達成できるだろう

と思う範囲の目標しか持たなかったし、

口にしませんでした。


今の私は、最大限に幸運が重なったら

達成できるかな?

ぐらいのことであれば口にできます。


もしできなかった時は、

頑張ったけど出来なかったよ。

と言えばそれで良いのだと

思えるようになったからです。


私が医学部に受かっても受からなくても、

私の価値は別に変わらない。

受からない私は価値がないという人は、

私の仲間の中にはいないと、

信じられるようになったからです。



 

⑤人間関係

夢との付き合い方と同じように、

大きく変わった人付き合い。


中学、高校、浪人、大学と

私が選んできた友人は皆、

スーパー真面目で努力家な人ばかりでした。


就職してからも、朝から晩まで働き、

子供がいるママでも海外出張に行く。

そんな人たちと働いてきました。


起業してからは、

周りは会社経営者などが多く、

ストイックに生きないと生きる意味はないと

本気で思っていました。


今でも自分に対する気持ちは

あまり変わりません。

朝4時には起きて勉強し、

朝ごはん、お弁当作り、幼稚園送り、

移動中に勉強し、仕事、夕飯作り、洗濯、

掃除、お風呂、寝かしつけ

そして勉強・・・


自分でもよくやめないなぁと思う

暮らしをしています。



変わったのは、

相手にそれを求めなくなった事です。

友達がたとえ

一日中スマホゲームをしていたとしても、

お昼寝をしていたとしても、

その1日が無駄だと思わなくなりました。


おかげで、私が友達になれる人の人数は

格段にひろがりました。

この辺りの考えのシフトにもまなともは

大きな役割を持っていたように思います。

 

 


Before Afterを比較して思うことは

 

まなともという場所は、私に

 

音譜多様性を受け入れること

音譜大きな夢を持つこと

音譜自分の強みを愛すること

音譜人に頼り甘えること

音譜自分の気持ちを大きな声で発信すること

音譜世界は変えていける

 

ことを教えてくれました。


特に最後の

音譜世界は変えていける

は本当に大きな気づきです。

 


これは 

まなともの解散から気づいたことです。

 

私は理工学部に入るときも、就職活動でも、

女性だから不利というのは

特に感じなかった世代です。

女性も総合職で当たり前。

ずっと働くのが当たり前。

男性と同じお給料をもらって当たり前。


そう習ってきたし、

世の中はそういうものだと思っていました。



結婚して、駐妻になった時、

世の中はそうではなかったと知って、

絶望しました。


もしかしてだけど・・・

女性の人権が守られていない国って

日本も入るんじゃないの??

と気付いてしまった新婚の私は


駐妻を通じて、

女性差別問題を考えてきたように思います。

 


たった5年半。

小さな小さな変化かも知れないけれど、

それでも世界は変わった。

まなともが必要ではないくらいに。


まだまだ、まだまだ問題はいっぱいある。

でも、ジェンダー平等はきっと実現できる。

世界は変えていけると信じて、

小さな小さな変化を積み重ねていきたいと

今は希望を持っている。

 


将来、駐妻という言葉が死語になり、

このブログが超意味の分からない、

誰にも共感されないブログになることを

切に願う。

 


最終的になんだか壮大な締めとなりましたニコニコ

自分でも想定外の結論に戸惑っています。笑

まなともを通じて、社会性も身についた

ということなのでしょうか。

 


壮大な夢を描き、毎日をストイックに、

これからも頑張って生きることを、

まなともメンバーに誓います!!


これからも、応援しあっていきましょうラブラブ

 

縁もゆかりもない帰国の地 

大阪にて

 


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