オ・ジョンセの名前が出たのでユ・ダイン共演のミニシアター系小品を…優秀ゆえ男社会の電力大企業からはじき出され人里離れた高圧送電塔を保守する僅か4人の下請け会社に左遷された女性社員の苦闘を描いて秀逸…「私は私を解雇しない」

 

大手電力企業の総合職ジョンウンは、海沿いの道を南に車を走らせ、ある地方都市の安宿に泊まる。翌朝、舗装もされていない山道を進んでいくとプレハブ作りの小さな作業場が見える。本社から左遷されたジョンウンが派遣された小さな下請け会社だ。事務所に入ると、むさ苦しい作業着姿の男三人がたむろしている。社長に会うと、高圧送電塔の保守をするだけの職場に女の仕事はない、と露骨に嫌な顔をされる。しかし一年辛抱すれば本社に戻す、との本社の意向には逆らえないので、ジョンウンは強引に居座るしかない。その夜、宿近くのコンビニで焼酎パックを買い会計に向かうと、レジを打つのは昼間の作業員の一人、マンネ(末っ子)とあだ名で呼ばれる男だ。二人は何の会話もなく、会計を済ませる。三人の作業員たちはぶつぶつ言いながら、自分たちの更衣場所やベニヤ板で仕切られたジョンウンの机を準備するが、彼女に与える仕事はない。ジョンウンは宿の窓に1から365までの数字を書き、ひたすら日々が過ぎるのを耐えることにするのだが…

 

左遷されるジョンウンに、結婚・出産から復帰した「暴露」など演技派美形ユ・ダイン、マンネ(末っ子)とあだ名されるベテラン保安員に、今回は笑いを封印する渋いオ・ジョンセ、社長に、脇役で見た筈の悪役風キム・サンギュ、チョンウンの親友ヘスクに、『春のワルツ』とかTVでは見た筈のキュートなチェ・ジャヘ。

 

ラブコメやお仕事ものの出だしを想起するかもしれませんが、話は相当に重苦しい社会派作品として展開していきます。大企業の露骨な女性差別や下請け搾取といったエピソードを重ねながら、その中で呻吟する女性像を生々しく描いていく、といった感じでしょう。それが、無味乾燥な社会派ドラマにとどまることなく、風格すら感じさせるのは二つの軸があるためだと思われます。一つは大ファンのオ・ジョンセの存在感で、いつもはよく似た大泉洋っぽい口数多く騒ぐ役が多いんですが、今回は幼い三人の娘のためいくつものバイトを掛け持ちしつつ苦しむヒロインを口数少なく支えようとするところ、もう一つは、西海岸中央部クンサン(群山)近辺の海山の絶景と山の尾根や海の岩礁に立つ武骨で巨大な高圧送電塔の威圧的で幾何学的な様式美を巧みに画面に織り込んでいるところでしょう。

 

”本社の人間には分からんだろうが、345,000ボルトの高電圧や鉄塔からの墜落死より俺たちが怖がっているのは解雇だ”とかさらっと言ってのけるオ・ジョンセの魅力にも痺れますが、復帰したユ・ダインがちょっとコ・ヒョンジョンのような風格が出て来て、今は重めの役が続いていますがコメディとかクライムとか活躍の場を広げそうで楽しみだったりします。脇役陣がちょっと薄いのは残念ですが、現代社会の裏面を名演と美しく幻想的な絵作りで描く秀作だと思います。

 

エンディングで流れるラップは、ミン・ブヌン(민본웅)らの音楽集団が手がけた本作オリジナル「フリッカーのテーマ(플릭커테마)」で、光と影、善と悪を対比させた哲学的な歌詞になっています。