曲者脇役ヒョン・ボンシクが出てきたので…辣腕演技派女優三人が集結して、過去からの負の波動に抗いながらも屈服しそうになる三姉妹を描いて衝撃作…「三姉妹」

 

寒空の田舎の夜道。薄着で裸足の少女二人が手をつないで走っている…金髪の三女ミオクは、遅く起き出してきて夫が準備してくれた酔い覚ましのスープを一口飲むが「不味い」とスプーンを投げる。長女ヒスクは、病院でよその子供をニコニコあやしている。教会聖歌隊指揮者の次女ミヨンは、教会の事務室で牧師から光教(クァンギョ:ソウルに近い水原(スウォン)市の地名)にマンションを買ったことへの祝福を受けている。息子のチェロ教室でミヨンの携帯が鳴る。妹ミオクからだ。昔、故郷江陵(カンヌン)で一緒にホヤを食べた食堂の名前が思え出せないと言う。妹からの電話は長々とつまらない話が続くが、ミヨンは一生懸命応えている。長女ヒスクは自分の生花店でカッターを軽く自分の手に当てる。三女ミオクはパソコンに向かうが売れない劇団のための新作が書けず、本棚に隠した酒に手を伸ばす。ミヨンの新居の夕食では、幼い娘ハウンが食前の祈りを拒み、ミヨンは声を荒げる…こんな三姉妹に、父親の誕生日が近づいている…

 

裕福な主婦で聖歌隊指揮者の次女チョン・ミヨンに、韓国に四人しかいないアカデミーを含む四大映画祭個人賞受賞女優の一人ムン・ソリ、生花店を営む長女チョン・ヒスクに、この作品を撮ったイ・スンウォン監督の四つ年上女房で「8番目の男」「マルモイ」などの名女優キム・ソニョン、劇作家で金髪の三女チョン・ミオクに、ヴォーグの表紙を飾ったとは思えない汚れ役演技に驚くチャン・ユンジュ、大学教授のミヨンの夫に、お馴染みチョ・ハンチョル、食品流通業のミオクの夫に、ぴったりヒョン・ボンシク、高校受験を控えるミオクの義理の息子ソンウンに、ベテラン子役チャン・デウン、三姉妹の母親に、「キム・ジヨン」の母親キム・ミギョン。友情出演では、故郷の飲み屋兼スーパーの女主に、怪女優イ・ボンリョン。特別出演では、長女ヒスクの元夫に、名優キム・ウィソン。

 

入れ墨だらけパンク姿の娘ポミにも、借金を作って家を出た元夫にも媚びへつらって生きる長女ヒスク、裕福で敬虔な教会信者でありながら或る出来事から陰湿な暴力性に身を任せる次女ミヨン、義理の息子に”クレージー女”と馬鹿にされながら酒に溺れる三女ミオク…映画の大半は、この三姉妹の日常を乾いたタッチで延々と描いていきますが、その中に妙に軋んだリズムが垣間見えるのが怖いところです。誰にもいつも笑顔で従順ながら軽い自傷を抱える長女とか、三女からの無駄話の電話にじっくりと向き合う次女とか、実の息子に厳しいのに酒に乱れる後妻の三女には優しい夫とか…これが、三姉妹が江陵(カンヌン)に集まる終盤への長く胸苦しい序曲ということでしょう。それにしても三女優の凄いこと、ムン・ソリはいうまでもありませんが、長女キム・ソニョン、三女チャン・ユンジュには打ちのめされます。いっそタイトルを「三女優」にしても良いでしょう。個人的には、妙に直情的でありながらも可愛い三女の夫役ヒョン・ボンシクがお気に入りだったりします。

 

そうだとしても、残念ながら万人に受ける作品とは言い難いと思われます。映画の大半を占める三姉妹の日常は直視するのも辛く、リタイアの文字が頭に浮かぶほどではありますが、一方で、ラストシーンを見逃すのもまた惜しい感じはあります。それなりの覚悟を持って試してみるのも一つの選択かもしれません。

 

余談。義理の息子の携帯には義母ミオクを「돌+아이」と登録されていて”クレージー女”と訳されています。意味は「돌(石)+아이(子ども)」で頭のおかしい人、狂った人という意味で使われるようです。「또라이」とも綴りますが、日本で良く使う”トライ”に発音が似ているので使用には注意が必要なんでしょう。

 

楽曲について。モノクロ回想シーンの浜辺で三姉妹が恥ずかしそうに歌い踊るのは、「しあわせまでの距離」「偽りの隣人 ある情報員の告白」「タチャ 神の手」でも使われたナミ(나미)1984年「くるくる(빙글 빙글)」。エンディングのソプラノが美しい1曲目はイ・ソラ(이소라)2016年「愛ではないと言わないで(사랑이 아니라 말하지 말아요)」、2曲目のアングラ並みに過激な歌詞の曲はYouTubeにも載っていないパク・クァンジン(박관선)「引き裂いてやろうか(찢어버릴까)」。