もう一本チョン・ウヒ主演作を…結果的には劇中一度も顔を合わせない男女を巡る”雨”と”待つ”を主題にした余りにも緻密で美しい文芸傑作…「雨とあなたの物語」

 

2011年12月31日。夜の公園で、ヨンホはハンカチと手紙と傘を持って雨を待っている。彼は手書きの絵で飾った雨傘を作る職人で、昔を思い起こす…8年前の春。2浪のヨンホは進学塾に通うが、兄ヨンファンと違い勉強が苦手なヨンホは苦戦続きだ。ヨンホが屋台で一人トッポキを食べていると、同じ塾の二浪娘スジンが妙になれなれしく声をかけてきて、腐れ縁が始まる。そんなヨンホは、数学の走る速度の問題を見て小学生時代の運動会を思い出す…ヨンホは徒競走に出場するが途中で転んでしまう。水飲み場で傷を洗っていると、一人の少女が近づいてきて黙ってハンカチを差し出してくる。少女の胸にはコン・ソヨンの名前がある。ハンカチを返せないでいる内、少女は転校していってしまう…こんな風に、小学生時代、予備校時代、現在をつなぐ、”雨”と”待つ”の物語が進んでいく…

 

二浪生パク・ヨンホに、絶好調の二枚目カン・ハヌル、母親の古書店を手伝う妹コン・ソヒに、チョン・ウヒ、入院中の姉コン・ソヨンに、「私のボクサー」のパンソリ詠い手イ・ソル、古書店に入り浸る青年プックワーム(本の虫)に、他に経歴が見つからない好青年カン・ヨンソク、革職人のヨンホの父親に、渋いイ・ヤンヒ、古書店の女主でソヨン/ソヒ姉妹の母親に、ベテラン脇役イ・ハンナ。特別出演では、ヨンホと同じ塾の二浪生スジンに、「サニー」「シークレット・ジョブ」の美形カン・ソラ、ヨンホの兄ヨンファンに、監督前作「怪しい顧客たち」などの長身二枚目イム・ジュファン。友情出演では、予備校講師に、最近主演級の活躍キム・ソンギュン。

 

監督はチョ・ジンモで、生命保険と自殺というとんでもない題材のコメディ「怪しい顧客たち」を五つ星にしましたが、実に緻密に設計された映画空間が、ジャンルが違えど今回も共通していると感じます。本作では、縦糸のヨンホとソヨン、横糸のソヨンの妹ソヒ、ヨンホに近づくスジン、ヨンホの父親、姉妹の母親、ソヒに纏(マト)わりつくブックワーム(本の虫)が見事な化学反応を起こし、さらに、書ききれませんが、その糸の交点で、雨傘、ソヒの(生まれた翌日に2歳になるという)誕生日でもある12月31日、ラブホの名前でもあるオーロラ、文通、鏡文字、自転車、最小公倍数などなどの記号が美しく煌めく映画空間は恐ろしく緻密な世界を作り上げているでしょう。

 

途中に筆が滑ったかのようなエピソードがあって五つ星を見送ろうかと思った瞬間もありましたが、エピローグの更に鮮やかな語り口に、五つ星以外はあり得ないと思い至った次第です。機会があれば、仕掛けだらけの映画迷路を存分に楽しんで頂きたい傑作だと思います。

 

書き残しておきたいことは山ほどありますが、順不同、簡単に…

・ヨンホが工房で観ている映画は、勿論劇中で語られるウォン・カーウァイ監督1990年「欲望の翼」ですが、主演レスリー・チャンが自ら命を絶った2003年4月1日が重要な日であることと切ない符合になっています。

・ヨンホが古書店で買って後に再登場する小説は、「これからの人生(자기 앞의 생、La vie devant soi)」ですが、フランス人作家・監督ロマン・ガリーの1975年の小説で、シモーヌ・シニョレ主演で映画化もされてます。羨ましいことに、あのショートカット美人ジーン・セパーグの夫だったこともあるようです。尚、映画での本の表紙は傘の絵ですが、装丁にも著作権があるからでしょう、本来の装丁は傘を持った男の絵だったりします。

・ヨンホの雨傘工房の入り口に書かれている詩は、絵本作家イ・サンギョ(이상교)の「雨が降る日(비 오는 날)」で、さらに、店の名前が詩の出だし「또닥 또닥(”こんこん”とか”とんとん”とかの擬音)」で、しかも鏡文字で書かれているところが泣かせます。

・ヨンホの父親の台詞に「苦尽苦来(고진고래)」が出てきますが、調べるとこれがなくって、本来は「苦尽甘来(고진감래(苦しい時はいつか過ぎ楽が来る、くらいの意味)」のようです。父親の洒落た人生訓です。

・一番印象的な台詞。ブックワーム(本の虫)が「大地と水が生命の起源だ」みたいなことを言った時のソヒの母親の返答。「泥になるだけよ」。刺さります…

 

楽曲について。オープニングやエンディングの美しい曲群は音楽監督キム・ジュンソク作曲のオリジナルですが、引用曲だけ…ソヒが客から買い取った古いレコードの名曲は、フォークグループ<旅行スケッチ(여행스케치)>1992年「古い友達へ(옛 친구에게)」、車の中でのソヒと母親の切ない会話のBGMは、チョン・ジェイル(정재일)2010年「一つずつ(주섬주섬)」。