追っかけ中ハン・イェリ主演の文芸小品。KOFICの統計では8万人しか集まらなかったようですが、ハン・イェリの魅力あふれる逸品「最悪の一日」

 

映画はとある日本人作家の独白から始まる。北海道の留萌で8歳まで生まれ育った作家は、旅先で見た故郷の夢のおかげで、苦境に立つ一人の女の物語を思いついたと言う…小部屋の一室。ウニは小難しいセリフに挑んでいるが、なかなか上手くいかない。ウニはまだ舞台にも立っていない役者の卵だ。一方、日本人作家うえだりょうへいは、小さな出版社を探して、伝統的で古びた家屋の混み合う下町「西村(ソチョン)」を歩き回っている。レッスンを終えて出てきたウニはりょうへいと出会い、一緒に出版社を探すことになる。この近辺にはあまり詳しくないウニなので、二人は似たような家が並ぶ街並みをぐるぐる巡りながら、ようやく目指す出版社「流歌軒(リューガホン)」に辿り着く。しかし、会社は2時オープンでまだ一時間ある。りょうへいは礼をかねてウニをカフェに誘い、二人は、たどたどしい英語で会話を始める。こうしてウニの「最悪な一日」が始まるのだ…

 

 女優の卵ウニに、ハン・イェリ、日本人作家うえだりょうへいに、wikiによれば結構な芸歴の岩瀬亮、軽薄な端役TV俳優ヒョノに、印象に残ってませんが結構見てるはずの二枚目クォン・ユル、特別出演では、しつこい中年男ウンチョルに、悪役ではお馴染みのイ・ヒジュン。

 

一言で言ってしまえば、ホン・サンス作品みたいに映画的な出来事がひとつも起きない映画、というところで、二人の彼氏との痴話喧嘩を淡々と追っているだけ、といった感じです。舞台も、殆どがNソウルタワー脇の遊歩道で、あとはちょっと下町とカフェといった実にシンプルなものだったりします。ところが、個人的にはこれが大好物。軽薄端役男とは「パンマル(タメ口)」、既婚者中年男とは「丁寧語(ヘヨ体)」、日本人りょうへいとは「英語」と使い分けながら、主人公を実に曖昧に描いていきます。息をするように平然と嘘をついているようにも見えれば、いやいや、実は本当に傷ついているようでもあり、結局見終えても、この主人公の女性像は曖昧模糊としたままというところがお気に入りです。普通一人だけ登場のシーンでは、監視カメラでもない限り嘘をつかないのがお約束ですが、彼女の場合、カメラの向こう側の観客、あるいは、自分自身に平然と嘘をついているように見えたりします。そういう意味で、知る限り激しい役の多いハン・イェリの別の一面、茫漠とした存在感が光る作品です。実は、大ファン黒木華のドラマの後に観たんですが、そういう意味で、二人は似てるかも、と思ったりします。

 

映画館に観にいけば、入場料を返して欲しい、と思う観客も少なくなさそうなので、迂闊には近寄らない方が良いかもしれませんが、久しぶりに、観ながら不気味にも一人ニヤニヤ・クスクスしてしまった愛すべき小品だと思います。

 

余談ですが、終盤ウニに何か日本語で語って欲しいと頼まれてりょうへいが口ずさむのは、芥川龍之介「杜子春」で仙人が詠う漢詩、

「朝北海に遊び、暮には蒼梧。袖裏の青蛇、胆気粗なり

三たび岳陽に入れども、人識らず。朗吟して、飛過す洞庭湖」

という仙人 呂洞賓作といわれる浮世離れした詩だったりします。

 

ちなみに、二人が訪ねる「流歌軒」は実在するギャラリーで、映画の通り鐘路区西村(ソチョン)にあるようです。