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またまた4本1000円シリーズです。Tsutayaを徘徊していると、あの名優アン・ソンギの顔が目に入ります。えっ、と思いましたが、あまり話題にならなかった「フェア・ラブ」が邦盤DVDとして出てたんです。大作とは呼べないし、何でこんな小品にあの大俳優が…とかブツブツ言いながら借りて観たんですが…五つ星、「不器用なふたりの恋 (原題:フェア・ラブ)」

薄明るい雲が流れる空は、次第に暗くなり、やがて、雨が降り始める。クラシック・カメラが並ぶ小さなカメラ修理工房の窓を、雨が濡らす。これまで一人だった弟子チンテは、新入りチェヒョンに工房の約束事を教えている。社長のキム・ヒョンマンは、修理するカメラから目を上げ、水滴が滴る窓を見つめる。病院に向かう車の中。キム・ヒョンマンは、友人のユン社長、カン牧師と、かつての友人キヒョクの話をしている。キヒョクは末期の肝臓癌なのだが、友人の立場を利用して、ヒョンマンやユン社長から金を騙し取った詐欺師なのだ。病室。キヒョクはヒョンマンに詐取を詫び、そして、図々しいが残された娘ナムンの様子を「毎日」見て欲しい、と言い残して息を引き取る。娘ナムンは、ヒョンマンの工房の近く、牛乳受けの袋がある家に住んでいて、詐欺師として逃げ回る父親キヒョクに連れられ辛い日々を過ごしてきたのだ。ヒョンマンは修理したばかりのRolleiflexを携え、街の景色を撮る。修理結果の最終確認だ。工房に寝泊まりするヒョンマンだが、今日は、兄の家だ。甥のチェウンは、就活のための写真を撮って欲しい、兄嫁は、洗濯物を洗ってあげる…等々かまびすしいが、ヒョンマンは居心地が悪い。カン牧師が訪ねてきて、キヒョクの葬式に来なかったことでヒョンマンを責める。ヒョンマンは、カメラは一旦開けると修理し終わるまで手が離せない、と弁明する。カン牧師は、家も近いのだから、キヒョクの娘ナムンの様子を見てやれ、と諭す。ヒョンマンは、街で撮った写真に写った牛乳受けの袋を思い出し、キヒョクの娘ナムンの家に向かう。入るか迷っていると、突然ナムンが顔を出す。かつて卒業写真を撮ってやった少女は、もはや25歳の女性だ。散らかった部屋に上がったヒョンマンは、床の上に置かれた牛乳の入った皿を見つける。ナムンは、この1週間で父と飼い猫を失い、猫が死んだ時しか涙が出なかった、酷い娘だと告白する。ヒョンマンは、父親の死とはそんなものだ、だが、少しずつ空白が広がっていくだろう、と言う。ヒョンマンは続ける。人は、受け取ったものより与えたものを失った時に喪失感が大きい、だから、親を失った子より、子を失った親の方が苦しいのだ、と。ナムンは、結婚したこともないヒョンマンに何故分かるのか、と切り返す。父キヒョクによれば「あいつ(ク・セッ●)は恋愛もしたことがない」と辛辣だ。ヒョンマンに返す言葉はない。ヒョンマンは思わず紅茶をこぼし服を汚すが、ナムンは父の服を着ればいいと言う。しかし、ナムンが差し出した服はかつてのヒョンマンのものだ。いつの間にか無くなっていたものが洋服棚に並んでいる。多くの衣服を抱えたヒョンマンはナムンの家を後にするが、ナムンは、荷物を運ぶ、と工房までついてくる。ナムンは、機械を直す人は神秘的だと言うが、ヒョンマンは、どんな複雑な機械も仕組みさえ分かれば単純だと言う。ヒョンマンは甥チェウンの就活写真を撮るが、チェウンはチニという女の子のことを語り始める。別に恋人がいるチニだが自分に惚れてる筈だ、と思い込みたいようだ。単に利用されてるだけだ、とヒョンマンは一応指摘するが、3年も同じチニの話を聞かされているヒョンマンは飽き飽きだ。兄の家から大量にキムチを仕入れてきたヒョンマンの工房を、突然、ナムンが訪れる。父の衣服を洗濯する、とか、「毎日」自分の様子を見てくれなくてもいい、とかしどろもどろだ。動揺しながら立ち去るナムンをヒョンマンは追いかけ、気にせず何時でも工房を訪ねてくれ、と言う。ナムンは、自分は洗濯が得意だ、と言う。ただ、ナムンの家の洗濯機は壊れているのだが…こんな風に、30歳も年の離れたヒョンマンとナムンの危なっかしい恋が始まるのだが…

クラシック・カメラ修理職人キム・ヒョンマンに、韓国いや世界に誇る名優アン・ソンギ、詐欺師キヒョクの娘ナムンに、必ずしも多作とは云えないながら実に印象的でキュートなイ・ハナ、ヒョンマンの第一弟子チンテに、ユン・スンジュン、新入り弟子チェヒョンに、イ・ヒョノ、工房に出入りする変な写真家チョンソクに、こちらはお馴染みキム・ジョンソク、ヒョンマンの友人カン牧師に、殆ど知らないキム・インス、ヒョンマンの友人ユン社長に、こちらはお馴染みのクォン・ヒョクプン、ヒョンマンの兄に、渋い名脇役チェ・ジョンニュル、ヒョンマンの甥チェウンに、「霜花店」にも出た長身二枚目チョン・ソンイル、そのチェウンが惚れるチニに、その後「マイ・ブラック・ミニドレス」「ラブ・フィクション」でも印象的な美貌ユ・インナ。

アン・ソンギと云えば、韓国映画界を引っ張ってきた最高の俳優ですが、この十年ほどでの単独主演は、社会劇「折れた矢」と本作の僅か2作です。しかも、本作は決して映画として深いとも思えないラブストーリー。アン・ソンギが何故この作品に…それがこの映画の最大のミステリーです。観終わってつらつら考えましたが、かつてハリウッド映画では、脚本では、ウディ・アレンとかニール・サイモンとか、女優では、メグ・ライアンとかメラニーグリフィスとか、脚本・台詞の魔術師とも云える映画人がいて、この作品は、彼らのことを思い出させるんです。アン・ソンギがこの作品を選んだ理由の正解ではないかもしれませんが、この映画の脚本、いや、ダイアログは絶品です。例えば、ナムンのヒョンマンへの呼びかけが「アジョシ(おじさん)」から「オッパ(お兄さん)」に変わる時の会話など、それがまた極上なんですが、主人公二人だけでなく、新入り弟子、工房に出入りする変な写真家、兄、甥、牧師、それぞれの台詞が、実に良くできています。さらに、聖書ヨハネ第一の手紙4:18「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。」といった引用も巧く、何度も何度も、吹き出し、考え込み、膝を打ってしまいます。ライカやコンタックスといったノスタルジックなカメラ、それで撮られた写真、中華料理、とかとかの演出も見事ではありますが、やはりこの映画の肝は、ダイアログでしょう。役者では勿論、アン・ソンギと若いイ・ハニの絡みが逸品です。ブレーキとアクセルを同時に踏み込むような危うさを見せるイ・ハニ、その言動に右往左往するアン・ソンギの演技は、ともかく必見でしょう。

ラブストーリーの筋書きとしては、年の差が離れているとしても全く目新しい感じはなく、何百回も繰り返されてきたマンネリと断じることが出来ます。それでも、思い切り引き込まれるのは、ものすごく新鮮で意表をついた台詞たちと、それを語る役者のせいなんでしょう。名優アン・ソンギが、インディーズ系と言われても仕方のない本作品に出演したのは、シン・ヨンシクという新人監督の脚本に才能を見い出したためだ、と考えたいと思います。殆ど年の変わらないヒョンマンの初恋が成就することを念じて、五つ星とします。

日本語字幕について、全くどうでもよい余談です。映画では、ライカとかコンタックスとか名作カメラ名が数多く台詞に登場します。ところが、「ペンタックス」だけは、日本語字幕で「カメラ」と一般名詞にされてるんです。かつてNHKで「真っ赤なポルシェ」が「真っ赤なクルマ」になったような違和感があります。大人の事情があるのでしょうか。

使われている楽曲のメモ。ヒョンマンがアナログ・レコードの形で聞き入るなど、映画全体で使われる実に雰囲気のある曲たちは、最初は英語だったので西洋の楽曲かと思いましたが、キム・シンイルというシンガー・ソング・ライターの作品群のようで、OSTとして販売されています。これらの曲、実に良い感じです。