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昨年250万人を超えるヒットで、しかも五つ星連発の名匠イ・ジュニク監督作品ながら、余りに重苦しいプロットと聞き、手に取ることを先のばしにしてきた作品なのですが…「願い (ソウォン(所願))」。

慶尚南道チャンウォン(昌原)に凧が舞う。やがて糸が切れた凧は、空を漂い、雑貨屋「ソウォン(願い)文具スーパー」の近くに落ちていく。店の二階では、8歳の少女ソウォンの母ミヒが「PTAの集会に何故来ない!」と携帯で責められている。ミヒは、慌てて身支度するが、二人目を宿したミヒには、いつものパンツが入らない。しかも、集会場所が犬料理屋だと言う。ミヒは犬を食べられないのだ。町工場。ソウォンの父トンフンは旋盤作業に忙しい。やがて友人で工場長クァンシクが昼飯時を知らせ、メニューはサムゲタンだと告げる。犬料理屋では教師への心付けについて話し合われ、終わると、何故か料理を食べられなかったミヒに勘定が押しつけられる。19万8千ウォンだ。友人の工場長クァンシクの妻が、ミヒが保護者たちから浮かないよう配慮したのだ。ミヒは、それより亭主を出世させろ、と機嫌が悪い。工場では、一人一切れの筈のサムゲタン(参鶏湯)が足りず、工場長クァンシクとトンフンが奪い合っている。居残りで勉強していたソウォンが自宅の雑貨屋に帰ってくる。店の前では、工場長の息子ヨンソクらソウォンの同級生たちがTVゲームに夢中だ。三人半の家庭団欒だが、ソウォンは、1問だけ算数の問題が解けないと悩んでいる。問題は「ヨンスが9本、ジニが3本の鉛筆を持っている。どうすれば、二人が同じ数の鉛筆を持てるか」で、ヨンスが3本の鉛筆をジニに渡せば済むが、ヨンスは悪い奴で鉛筆をくれない筈だ、というのがソウォンの悩み所だ。ロッテ・ジャイアンツの野球中継に夢中のトンフンは、お母さんの言うことを聞け、しか言えない。ある雨の日の朝。工場長クァンシクから、子供が急病で工場に行けない、との電話が入る。トンフンは代りに急いで工場に向かわねばならない。店に傘を取りに下りたトンフンは、怪しい人影と空になったチョウムチョロム(焼酎)の瓶を見つける。そしてソウォンは、大きい道を行くのよ、との母ミヒの声を背に、雨の中、歩いて三分ほどの小学校へ向かう。ソウォンが校門まで僅かな所まで辿り着いた時、一人の男が彼女の前に立ちはだかる。その頃、トンフンはクァンシクに代わって工場を開け、ミヒは夫、娘の食べ残しをご飯にかけ、朝食にする所だ。やがて雨の建設現場では、ソウォンの血まみれの手が、携帯を探している。ミヒの携帯が鳴る。クァンシクの妻からだ。小学校前に警察官がたくさんいて、建設現場で少女が半死の状態で見つかったと言う。同じ頃、工場のトンフンの携帯が鳴る。警察のソ刑事で、ソウォンがチャンウォン(昌原)病院に運ばれ、意識不明の重体だと言う。病院にかけつけたミヒとトンフンは、傷だらけの娘を見て、さらに、警察と医者から恐ろしい現実を聞かされる。激しい暴行の末、腸の損傷が酷く人工肛門施術が必要だ、と言うのだ。胎児を含めて四人家族の、未来に向けた余りにも死に物狂いの闘いが始まるのだ…

町工場で働くソウォンの父親トンフンに、韓国映画界最高の名優ソル・ギョング、ソウォンの母親ミヒに、硬軟自在の演技派オム・ジウォン、悲劇の少女ソウォンに、3本ほどTVドラマに出たくらいの新人ながら圧倒的な名演の美少女子役イ・レ、ヘバラギ(向日葵)児童センターの相談員チョンスクに、こちらも韓国最高級の名女優キム・ヘスク、トンフンの友人で工場長クァンシクに、イ・ジュニク監督作品でも印象的な主演級の名脇役キム・サンホ、その妻でソウォンの同級生ヨンソクの母親に、個性派脇役ラ・ミラン、美しい女巡査トギョンに、キュートな美形ヤン・ジンソン。

「ラジオ・スター」「楽しき人生」「あなたは遠いところに」「雲を抜けた月のように」「ピョンヤン(平壌)城」と、ここまで5作品連続五つ星の大尊敬イ・ジュニク監督なので、すぐに手に取る筈でしたが、さすがに、今回のテーマには一歩も二歩も後ずさりしてしまいました。実際、上にある出だしの粗筋を書きながらも、指先が震える程の重苦しさです。いかに映画といえども、描いてはいけない一線というものがあって、それを踏み超えてしまったんではないか、と感じたほどです。しかし、その先の展開では、イ・ジュニク監督独特の驚くべき物語が繰り広げられていきます。それについては、多くを語らない方が良いでしょう。それは、個々の観客が観て、判断すべき事柄なんだと思います。演技陣については、イ・ジュニク監督ならではの配役は完璧です。ソル・ギョングやオム・ジウォンの名演については、最早書くべきこともありませんが、記憶に留めたいのは、キム・ヘスクとイ・レの演技です。物語の中盤過ぎ、性犯罪被害者の心のケアを担当する相談員キム・ヘスクと被害少女イ・レが会話を進めていくシーンがありますが、韓国映画史に残る名シーンだと思います。少女を見つめるキム・ヘスクの穏やかでいながらも悲劇から逃げてはいけない、との思いから来る真摯な、或いは、哲学的とも思える深い眼差しと、その視線に必死で応えようとするイ・レの語り口の交差は、涙する余裕すら与えない深みと緊張感に溢れています。このシーンを観るだけでも、映画館に足を運ぶ価値があるでしょう。また、キム・サンホ、ラ・ミラン演じる夫婦の存在も書かねばならないでしょう。側に本当に苦しんでいる友人がいる時に何をなすべきか、を下町風情一杯に教えてくれる素晴らしい存在感を見せてくれます。

とは云え、物語は余りにも陰惨な出来事を発端にして描かれているので、心の準備なく近づくのは、いささか心配に感じます。余計なお世話だとは思いますが、イ・ジュニク監督お得意の深いヒューマニズムを信じるとしても、事前には、充分に深呼吸されるべきかもしれません。評価ですが、実はかなり迷いましたが、結局、五つ星しか考えられないとの結論です。

どうしても忘れられない台詞を一つだけ。ソウォンの母親ミヒが狂乱して思わず漏らした一言。「世界中の子供たちに、娘ソウォンと同じ事が起これば良いのに…」。余りにも身勝手で残忍な言葉であることは理解しつつも、思わず沈黙を強いられた感じです。

ちなみに、物語では「ココモン」というアニメのキャラクターが重要な役割を果たします。このキャラは、EBS(韓国教育放送公社:日本のEテレみたいな感じでしょうか)放送の「冷蔵庫の国のココモン」で児童に食習慣や歯磨き習慣などを伝える人気キャラだそうで、チェジュ(済州)島やヨンイン(龍仁)には、関連するテーマパークもあるようです。一般的な商業主義的キャラとは一線を画しているようなので、その大ファンであるソウォンという悲劇的な少女を理解する上には、多少知ってた方が良いかもしれません。

もう一つ。少女の名前は”ソウォン(所願=願い=hope?)”ですが、映画の終盤には、さらに”ソマン(所望=望み=wish?)”という名前が登場します。イ・ジュニク監督の映画に託した思いが、強く感じられるような気がします。