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劇場で観たのではありませんが、もう1本東京フィルメックス上映作品から、キム・ギドク製作・脚本の大傑作、「プンサン(豊山)犬」。

韓国。病床の老人は、ビデオカメラに向かって、半世紀も前に生き別れた妻ユンニムへの思いを語っている。北朝鮮。老婆ユンニムがその映像を見つめる脇では、そのカメラを運んできた”男”が見守っている。”男”は老婆の返事をカメラに収めるが、老婆の息子が幼い孫も”男”に託す。自転車に子供を乗せた”男”は、途中で仏像を預かり、一路国境を目指す。”男”は子供を背負い、電気鉄条網をくぐり、全裸でイムジンガン(臨津江)を渡る。韓国側の岸に着くと、全身に泥を塗って赤外線監視カメラをかいくぐり、棒高跳びの要領で鉄条網を越える。”男”は、仏像を依頼主に手渡し、子供を老人の枕元に連れて行く。”男”は、韓国と北朝鮮を行き来する「運び屋」なのだ。一方、仏像を受け取った男たちが密輸容疑で逮捕され、”男”のことを当局に話してしまう。国境にあるイムジンガク(臨津閣)の掲示板に依頼を書いたリボンを残せば、連絡が来ると言う。その情報を得たNIS(国家情報院)の課長は、一カ月ほど前に脱北した北の大物の協力を得るために”男”を利用することを思いつく。大物脱北者は、北に残してきた愛人イノクを連れて来い、と言って協力を先のばしにしているのだ。NISは”男”に接触するが、”男”は3時間で連れて来ると言う。半信半疑のNISだったが、”男”は約束通り3時間でイノクを連れ帰る。ところが、女を受け取ると、NISは金を払う代わりに"男"を逮捕してしまう…

運び屋の"男"に、驚くほど男臭くなったユン・ゲサン、大物脱北者の愛人イノクに、ここしばらくアートな作品で魅力を発揮し続けるキム・ギュリ(旧ミンソン)、大物脱北者に、殆ど知らないキム・ジョンス、NISの課長に、こちらも殆ど記憶にないハン・ギジュン、間抜けなNIS要員に、主役級もこなすチェ・ムソン(旧ミョンス)、北の暗殺団ボスに、悪役脇役ユ・ハボク、NISの潜入要員に、かなり二枚目ペ・ヨングン、病床の老人に、大迫力のユ・スンチョル、その老妻ユンニムに、こちらも大迫力のソン・ヨンスン、ユンニムの息子には、お馴染みキム・ジェロク。またキム・ギドクとの縁で"マイウェイ"撮影中のオダギリ・ジョーが、画面を左から右に横切るだけの北朝鮮国境警備兵役で姿を見せています。

「映画は映画だ」さらには「高地戦」をヒットさせたチャン・フン監督から、途中で「ビューティフル」のチョン・ジェホン監督に代わったという、いかにもお騒がせキム・ギドクらしいエピソードが背景にあるようですが、出来上がった作品は十二分に五つ星です。序盤・中盤は、キム・ギドクのファンなら絶望しかねない、高い完成度を持ったポリティカル・アクションになっています。緊張感あふれるサスペンス、切れ味良いアクション、曖昧模糊としたロマンス、時折挟み込まれる乾いたユーモア、どれを取っても一級品ですし、タール30mg(!)という北朝鮮に実在する煙草"プンサン(豊山)"といった小道具の使い方も絶品です。このまま終わっていれば、誰もキム・ギドク製作・脚本だなんて信じなかったでしょう。ところが、終盤、そこまで抑えてきたキム・ギドク節が炸裂します。そうか、このシーンが描きたかったのか、と膝を打ってしまいます。そこまでの物語展開を一気にキム・ギドクの世界観に変えてしまうと云っても過言ではありません。キム・ギドク組とは無縁と思われる主演二人も見事です。ユン・ゲサンは、これまでの優男のイメージを巧みに裏切っていて痛快ですし、キム・ギュリ(旧ミンソン)もあわや現実味を逸脱しそうになる絵空事を「生々しい」人間ドラマに踏みとどまらせる名演だと云えるでしょう。脇役では、ステレオタイプな悪役になりそうな所を、複雑な陰影をもって大物脱北者を演じたキム・ジョンスが見事だと思います。

一部評では、キム・ギドクがあたかも「転向」したかにありますが、とんでもない。凄まじくレベルの高い娯楽性を持っていたとしても、キム・ギドクらしい独特の記号を十二分に味わうことの出来る希有な傑作だと思います。五つ星、当然でしょう。

余談ながら、映画のビハインド・ストーリーには殆ど興味を持ちませんが、ただ、せっかく東京フィルメックスで上映されていたのに、キム・ギドク監督が自身の苦悩を描いた「アリラン」を観なかったことだけは、非常に悔やまれます。出来ればこの作品より先に観たかったと思われてなりません。来年3月には一般公開されるようなので、期待したいと思います。