イメージ 1

 

もう一本パク・チュンフン主演作、巨匠イム・グォンテク101本目の監督作にして、伝統技能の馥郁たる香りに満ちた、「月の光をすくい上げる」。

2008年7月15日、全羅北道チョンジュ(全州)市庁、ソン・ハジン市長の下、人事異動が発令される。韓国の伝統芸能・技能を推進する韓スタイル課に、ハン・ピリョンが異動してくる。ピリョンは、出世への思いもあり、100億ウォンのプロジェクトが進行中の韓紙係に就く。ピリョンの家では、2年前に脳梗塞で倒れ麻痺の残る妻ヒョギョンが待っている。妻は貧しい製紙職人の家に生まれたが、その故郷ウォルゴク(月曲)が何処にあったか分からない。韓紙係では、ユネスコ記憶遺産(世界の記憶)に指定される「朝鮮王朝実録」を、1000年はもつといわれる「韓紙」で複本化する事業を進めているが、人事異動で局長が変わり事業が中止される。現代のインクは200年しかもたないじゃないか、というのが理由だ。ピリョンたちは、慌てて文化体育観光部に乗り込み、大幅に規模は縮小されるものの事業の継続を取り付ける。ピリョンたちは、地元の製紙業者を集め複本化で使う韓紙の質を説明するが、余りに厳しい基準なので業者の間で不満が続出する。そんな荒れる会議を撮影している者がいる。ピリョンは追い出すが、後で、市長の許可を得て韓紙のドキュメンタリーを撮る女流監督ミン・ジウォンだと分かる…

韓スタイル課韓紙係ハン・ピリョンに、監督作初出演のパク・チュンフン、女流ドキュメンタリー監督ミン・ジウォンに、87年監督作「シバジ」でベネツィア女優賞を獲りパク・チュンフンとは87年「青春スケッチ」以来24年ぶりの共演カン・スヨン、ピリョンの妻ヒョギョンに、監督作初出演のイェ・ジウォン、韓紙職人チャン・ドクスンに、監督作常連のアン・ビョンギョン、クムグン(金芚)寺トアム僧に、意外にも監督作初出演貫祿のチャン・ハンソン。製紙業者の面々には、お馴染みのミン・ギョンジン、キム・ギチョン、クォン・テウォン、キム・ビョンチュンらの顔が見えます。また、チョンジュ(全州)市長役がソン・ハジン市長ご本人だったり、書家、漢方医、紙縄工芸家などなど実際の専門家が数多く登場されています。

再現ドラマ入りドキュメンタリー、そんな雰囲気の作劇法が観客の評価を大きく左右すると思われます。イム・グォンテク監督ですから、どちらもものすごくレベルは高いと思います。ドラマ部分は、パク・チュンフン、ベネツィア女優カン・スヨン、曲者イェ・ジウォンが渾身の演技を見せ、アン・ビョンギョン、チャン・ハンソンの貫祿も加わり、凄いのは当然です。女流監督の目を通して語られるドキュメンタリー部分も、韓紙という素材が、文献にとどまらず書や工芸品に威厳に満ち美しく活かされているのを見事に捉えていると云えるでしょう。問題は、このドラマとドキュメタリーをつなぐ、演技には素人の専門家たちだと思います。彼らによって語られる言葉の深い価値には大いなる敬意を払うとしても、映画作品が持っている独特の時間の流れを無慈悲にゴツゴツと止めるのにはちょっと堪え難いものがあります。要するに、いっそドラマかドキュメンタリーかどちらかにしてくれ、という感じです。イム・グォンテク監督といえば、パンソリや葬礼を材料に、「ドラマ」と「現実の芸や儀式」の絶妙な融合を映画で実現してきていますが、今回は成功したとは云えないでしょう。と文句は云ってみたものの、パク・チュンフンとイェ・ジウォンが庭で満月を見るシーンとか、パク・チュンフンとカン・スヨンが車で満月の道を行くシーンとかの出来ばえはため息が出るほど見事ですし、終盤の製紙シーンの完成度も余りにも高いと云わざるを得ないでしょう。

チョンジュ市も出資していて、チョンジュや韓紙のPRの色が強いのは止むを得ないのですが、それにしてももう少し映画としての自立性が望まれると思います。決して崇高なものだけに目を向けず、出世欲や男女の機微など生臭い部分にも光を当てるなど、いかにもイム・グォンテク監督らしい部分もたくさんあるので、余計に惜しいと思います。とは云え、そうだとしても、映画としてのレベルは凡百の作品よりは十分に高いでしょう。

ちなみに、題名「月の光をすくい上げる」は、高麗の文人イ・ギュホ(李奎報)の「井中月(정중월)」という漢詩から来ているようです。原詩は以下の通り。
山僧貪月色(산승탐월색)
竝汲一甁中(병급일병중)
到寺方應覺(도사방응각)
甁傾月亦空(병경월역공)
この詩のシーンを思い浮かべれば、しばしば「月の光をくみ上げる」という訳が使われていますが、個人的には「すくい上げる」の方が良いと思います。

余談ですが、女流監督のドキュメンタリー試写会の後、ソン市長が「ハノク(韓屋)村(チョンジュの観光スポットの一つ)がもうちょっと映っていればよかったのに…」とジョークを言うシーンがありますが、案外この映画への本音かもしれない、と思わず苦笑してしまいました。