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ヤン・イクチュンつながりで、キネマ旬報外国映画作品賞87年の歴史でベスト・テン1位に初めて輝いた韓国映画、五つ星ではとても足りない大傑作、「息もできない」。

ソウル南西部の下町、深夜の路上で若いチンピラが女を殴りつけている。そこへ男が表われ、チンピラをボコボコにするが、今度は女の方に向き直り、唾を吐きかけ、やはりビンタを浴びせかける。男は、高利貸しマンシクの下で働くやくざサンフン。今日の仕事は総長退陣を求める学生運動の粉砕で、バットと鉄パイプが学生たちを蹴散らす中、サンフンは、敵味方見境なしに殴り蹴り倒していく。手当てを貰ったサンフンは、その小切手をまだ幼い甥に無理やり握らせるが、その帰り路、吐いた唾が女子高生ヨニの制服にひっかかる。彼女は汚い言葉でサンフンに食って掛かりビンタするが、逆にサンフンの拳の一撃で伸びてしまう。間もなく気がついたヨニは再びサンフンに突っ掛かるが、その勢いに呆れたサンフンは、彼女の言うままポケベルの番号を教える。サンフンには、或る殺人で15年服役し一カ月前に出所した父親がいるが、時折訪ねては、袋叩きにしている。一方、ヨニにも、ベトナムから復員し精神を病んで粗暴な父親とぐれた弟がおり、家の中は荒みきっていた…

やくざサンフンに、この映画の監督として映画賞を総なめにしたヤン・イクチュン、女子高生ヨニに、珍しい韓国製ミュージカル映画「三差路劇場」で見て以来すっかりファンになったキム・コッピ、ヨニの弟ヨンジェに、二枚目イ・ファン、サンフンの父親に、ベテランの演劇人パク・チョンスン、サンフンの異母姉に、「アドリブ・ナイト」「素晴らしい一日」などのイ・スンヨン、サンフンの甥ヒョンインに、まだ8~9歳くらいながら既にベテランの名子役キム・ヒス、精神を病んだヨニの父親に、『ホテリア』など日本でもお馴染みチェ・ヨンミン、死んだヨニの母親に、迫力ある名脇役キル・ヘヨン、サンフンの社長に、演劇人チョン・マンシク。ヨニの担任に、映画一家のオ・ジヘ、サンフンに痛めつけられる債務者に、知る限り最も多い映画に出演する名脇役チョン・インギの顔も見えます。ちなみに、チョン・インギに殴られている妻は、この映画のプロデューサー、チャン・ソンジン。

この一見粗暴でチープでありながら実はきわめて繊細で緻密な作品は、「風の丘を越えて」や「オアシス」に匹敵、いや、超えたかもしれない大傑作だと思います。時制が異なる3組の凄惨なDV家族の物語をベースにやるせない男女関係を激しい暴力社会が取り巻くという劇空間の構成が素晴らしい上、やくざ・女子高生・幼い甥が作り上げるつかのまの疑似家族の平安と家庭内や社会の片隅で炸裂する強烈な暴力が交互に繰り返されるリズムも絶品、さらには、半ばに示される二つの過酷な因縁が終盤の緊張感を高めつつ鮮烈なラストシーンへと昇華する筋運びも完璧と言わざるを得ません。大半が揺れ動く手持ちカメラによるザラザラした画面ながら、韓国映画史上最も美しい漢江土手のツーショットは静かな固定カメラの撮影だったりする辺りも参ったという感じです。携帯も銀行口座も持たない暴力中毒やくざを演じるヤン・イクチュン、荒んだ家庭で母親代わりを務める悲惨な姉と卑語を連発し強がる女子高生を行き来するキム・コッピ、勿論この二人の存在感は圧倒的ですが、叔父を恐れながらも時には「行かないで」とその足にすがりつくという難しい役所の甥を演じる名子役キム・ヒス、ありがちな残虐な高利貸しの顔と共にサンフンへの優しい視線を併せ持つチョン・マンシクも、この映画にもの凄く貢献しているでしょう。

暴力映画という韓国映画お得意のDNAを色濃く身に纏いながら、同時に、シェークスピアを鮮やかに想起させる透徹した悲劇の香りを放つ、世界に通じる希有な傑作だと思います。強いてこの映画の難点を挙げるとすれば、これほど素晴らしい映画でありながら、その余りにも苛烈な映画作法ゆえに、語り合い共有しようと思える友人がなかなか思いつかないことです。DVDも出ていますし、WOWOWでも放映されますが、果たして薦めて良いのか、いまだに迷います。ただ、三本の指に入る傑作韓国映画だと思えることだけは、揺るぎない事実です。

余談ですが、鮮烈なラストシーンに続くエンド・ロールで、キム・コッピ、イ・ファンという若い二人を先に立て、三番目に自らも親の暴力の経験があるというヤン・イクチュンの名前が並んでいるのを観た時、それまで堪えていた涙がこぼれ落ちたのが、忘れられない経験だったりします。