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もう一本、カン・スヨン主演、イム・グォンテク監督、「ハラギャティ」。

様々な題材に精力的に取り組むイム・グォンテク監督が今回選んだのは、煩悩と解脱といった仏教的世界観から見た祖国や人間の有り様だと思われます。

流転する女性に、剃髪姿も美しいカン・スヨン、先輩の美形尼に、チン・ヨンミ、光州事件で身重の妻を殺された教師に、「燕山日記」では燕山君を演じたユ・インチョン、共産ゲリラの子として生まれ強盗・強姦と犯罪に生きてきた男に、「キルソドム」息子役ハン・ジイル、ベトナム戦争の後遺症から妻子を捨て出家したカン・スヨンの(多分)父に、『クッキ』テファ堂主人チョン・ムソン、キリスト教系左翼青年に、『新入社員』とかのキム・セジュン、好色な男やもめに、「西便制」花文字書きアン・ビョンギョン、煩悩の源である自身の体の一部を切り落とした洞窟の僧に、同じく「西便制」チェ・ジョンウォン、カン・スヨンの高利貸の母に、「木浦は港だ」とかキム・エギョン。

映画は、一人の女性の人生を中軸に据えながら、彼女と彼女を取り巻く人々のエピソードを積み重ねることで、煩悩、それは「恨」とも云えるのでしょうが、その様々な姿を描いていきます。660年三千人の官女が投身したナクファガン(落花岩)に象徴される外国勢力(唐)の介入による百済の滅亡(五千人の百済兵が散った戦いは映画「黄山原」が描いています)、1894年東学党の農民たちが日本軍により壊滅させられ日本介入の端緒となった忠清道広州での会戦、65~73年ベトナム戦争参戦、80年光州事件、87年全斗煥政権末期の民主化闘争とか、歴史的な題材を散りばめながら、さらには、出家した父や、元犯罪者、両足を失った男、好色な男やもめといった苦しむ男たちと関係していくカン・スヨンの生きざまを並行して描くことで、祖国とそこに生きる人々の、到底解脱に至ることのない煩悩の世界が生々しく浮き彫りにされていきます。

全体に暗い雰囲気(ビデオのせいもありますが)で、この監督の作品にしては多少散漫な感じもありますが、カン・スヨンの不思議な美しさに満ちた演技と、鋏と鉈(!)で剃髪されるシーンの宗教的とも云える美しさだけでも、十分に鑑賞に値する、イム・グォンテク監督の佳編です。