みんな、それぞれの宇宙
  • 03Jun
    • 心のかさぶたが剝げ落ちる

      こんにちは、雅です。ウィーンは4泊していましたがその間、微かに妙な思いに囚われていることに気づいていました。そしてそれが、周りから聞こえてくるドイツ語のせいだと間も無く気づいたのです。散々バルカンの小国を渡り歩きそれぞれの国で異国の言葉を耳にしても単なる雑音のようで耳に残ることもない。それがここに来てドイツ語なのだと我に返りお恥ずかしながらウィーンの国民がドイツ語を使用してるのだとその時始めて気づいたのでした。その周りから聞こえてくるドイツ語に私は確かに不快感を覚えていました。「何故?前世はユダヤ人だった?そういえば、私はユダヤ人と良く縁があるわよね」なんて自問しながら街中を歩き感情のルーツを掘り起こしていたある瞬間それが過去のスイスでの出来事に由来するゆえなのだ、と閃いたのです。私の海外生活の歴史は1986年のサンフランシスコということから思い出は始まりますが実はそれ以前にスイスで生活したことがあるのです。しかしそれは当時の彼氏と最悪の状態の時に妊娠、そして初めての海外生活で中絶経験という、忌々しい出来事があったため自分の記憶の中から葬り去っていたのでした。あの中絶手術を受けた時3階の病棟から舞い降りる雪を眺め自分はきっともう子供を持つことはないのではないかそう予感したことははっきりと覚えていて現実もまさしくその通りになりました。その経験のトラウマは長い間雪を見るたびに戻ってきていたので暫くは本当に雪が恐怖でした。夫と一緒になってからスキーリゾートで楽しいホリデーを過ごすことで記憶の上書きをし、もう雪にまつわる恐怖もなくなりスイスの出来事は無かったことになっていました。あの当時、ドイツ語圏のスイスで友人もいなく彼氏とも上手くいかずグリンデルワルドのスキーリゾートに閉じ込められ雪山を歩いて遭難して死んでしまいたいなんて彷徨ったこともあったと、今思い出されます。ドイツ語を理解しない自分が周りの人々を冷たい人と思っていたこと。でもそれより自分もシャイで開いていなかったし彼氏におんぶに抱っこで丸投げで依存してたしずっと被害者ぶっていたけれど本当はっ私の方が加害者だったのよね、と今ならちゃんと認めることができる私です。正確にいえば自身は加害者であることを知っていながら被害者を演じることで責任逃れしていただから、黒歴史として心の奥底に葬り去ってすっかり忘れていたのだと思います。驚く事実ですが気づいていなかった心のかさぶたがやっと剥げ落ちた、という瞬間を感じました。彼のことをふと思い今は子供や孫に囲まれた恰幅の良いおじいさんになっているだろうと想像しもし会える機会があるのなら自分の非をちゃんと認めたいなぁなんて思った次第です。でも、更に思い出してみたら別れた後でも海外で良い仕事をしている彼から能天気な手紙が届いてたりしてたから彼にはネガな感情が残ってるとは思いません。私の方が、ずっと恨み節だったんでしょうね。気づかなかった深いところの浄化がまた進んだ感じです。モーツァルトのコンサート会場にて。ショーってそのものを味わうっていうよりその経験から呼び起こされる自分の過去や想いとの対面のような気がします。このウィーンの経験で私はどれだけのことを思い出し気づいたものかしら。

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    • あの日に帰りたいか

      こんにちは、雅です。現在はチェコリパブリックのブルノという街にいます。何度か書きかけていながらもFBの更新が優先ですのでそちらに時間を取られてこちらまでなかなか手が届きません。私の旅の記録の方はFacebookの「のまどまこ 」で検索いただいてフォローしてくださるとありがたいです。チェコの以前はスロバキアのブラチスラヴァそれ以前はオーストリアのウィーンにいました。4月の10日にイスタンブールに降り立ってからもう2ヶ月近くなろうとしてます。バルカン半島の国々を旅しているときは不便もありましたけど物価も安かった。ハンガリーのブタペストあたりから急にインフラが整いまるでSFに戻ったような安堵感を得ましたがウィーンでは物価が跳ね上がりおっと、という感じで財布の紐が硬くなりました。それでも「音楽の都、ウィーン」ですからね。ここならでは、というアクティヴィティをしようと吟味いたしました。街の中心のオペラハウスでバレエを鑑賞し学友協会ではモーツァルトのコンサートに行きました。ドレスコードのあるこの日のためにわざわざ黒のワンピースを用意してましたがそうしておいて良かったです。特上の席を買ったわけではありませんでしたが周りはウィーンのローカルの年配の方ばかりできちんとした身なりの方ばかりでした。そんな場所に身を置きながら久々の観劇にふとこれが私の日常だったのだということを思い出しました。サンフランシスコは本当にアカデミックな街でアメリカでもトップクラスのバレエ団もありそれはよく鑑賞に行ったものでしたしダンスを長いことやっていたのでモダンなダンスショーも見ていました。トップクラスのレストランもありお友達との会食で新しいレストランを開拓したり。街の彫刻を鑑賞しながらそういえばカレッジのアートのクラスで粉だらけになりながら御影石を電動ツールで削っていたなぁ、とかすっかり忘れていた過去を思い出しました。あの頃はそんな日々を当たり前に過ごし贅沢を贅沢とも思わなかったけれどそこから離れてみるととんでもない生活だったなと改めて思わされます。そんな環境にもう一度戻って懐かしみ自分が捨てたものを思い出すのですがそこではたと考えるのです。私はあの生活に未練がある?あの日に帰りたい?でも、直ぐにNoの返事が脳裏に響きます。あの生活を持続することなんて考えられない。あれらの華やかな楽しみは「ごまかし」だった、と。確かに美味しい生活だったけれど大きなホールケーキを全部いただいた後はもういらないと思うのですね。ホステルで若い子たちと同室になってももう動じない私がいます。誰とでも普通に話せるけどうざいおばさんにはならない。そして、ちゃんとした格好をして格式高い場所のすましたウエイトレスに柔かに囁くように語れる自分もいます。どちらに倒れても問題ない。最近は環境にブレンドインする「透明な存在」の自分になれることを誇りに思えるようになりました。逆光で顔が暗くなったのでがっつり修正入ってますが。笑ウィーンのオペラハウスの階段は本当に美しかったです。でも周りの年配の方々の雰囲気はSFと違って閉ざされた感じがしました。誇り高い歴史の街に住む方々はプライドと規律に縛られて多分にとても偏った窮屈な生活をしてるのだろうなぁと、思いました。1ヶ月くらい滞在していろんな施設を堪能するのは良さそうだけれど決して住んで居心地の良い街とは思えませんでした。「家」や「生まれ」が全てなんでしょうね。

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  • 21May
    • ゴージャスなオーラは身に残る

      こんにちは、雅です。ゴージャスなホテルステイを楽しんだ後早朝バスでベオグラードを発つためにバスターミナル近くのホステルに移動。ゴージャスなホテルのチェックアウトが正午なのに早朝に発ってしまうのはもったいないとそういう意味もあってのことです。どうせ一晩寝るだけだから近くて清潔なホステルのドミトリーですが丘から下りて、それこそ下界って感じのご近所。大概にバスターミナルってどの国でもちょっとハズレの雰囲気良くないとこですもんね。宿の雲泥の差に内心ちょっと笑いましたが気持ち的には全く変化なし。豪華ホテルに泊まる私もドミトリーに泊まる私もどっちも同じ私。まぁ今回そういう機会があると思って極めてコンサバな格好で旅してまして。どっちに倒れても違和感ないように黒を基調にスカーフで変化つけてます。セルビアを出国するときのパスポートコントロールは特に厳しかったです。バスに乗ったままパスポートだけ集められてハンコ押されて返してもらうっていう所も結構あるのですが。要は非EU国からEU国に入るのは厳重らしいです。個人の窓口の時間が酷く長く前の人の時に後ろに並んでいたら検査官がチラリと私を見ました。私の番が来て、しつこくしつこくパスポートのページをめくられながらいくつかの質問を受けやっとハンコをもらってパスポートが帰ってきた時怖い検査官が言います。「君は美しい女性だ」はぁあああ?国境ってめっちゃ厳しくてみんな仏頂面で怖いんですけど、彼は更に念を押しました。「本当に」びっくりしましたよね。最近の私はやっと自分の年齢を受け入れて女性として見てもらえなくなることに慣れ始めてきたところだったので意外な感じでした。そしてどうして今なのだろうと考えてました。やっぱり格式のオーラって出るのかしら。そういう場所に身を浸してゆったりと毎日スパに浸かりフェイシャル受けて優雅さを楽しんだらそれがオーラとなって現れる?だって着てるものもメイクも全部一緒。そういえば話し方とか身のこなしが少し変わってましたものね。「貧乏が身に沁みつく」って言葉がありますけどそうやって自分に制限をつけてケチってくるとそういう雰囲気に確かになるのと同様やっぱりバランス良く豪華と節約冒険を繰り返して中庸を生き、どんな環境にも動じないうまくブレンドインできる自分でいたいなと、再度そんなことを思ったのでした。割と昔からカメレオン系であったけれど。やっぱり経験値を高めるって大切ですね。豪華さといったら、ハンガリーはブダペストもう昔のままの建造物の豪華さ半端ないです。温泉が湧いてまして素晴らしい大型のスパがいくつかあるのです。お値段手頃なのにゴージャスな雰囲気です。

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  • 13May
    • 58歳の心境

      こんにちは、雅です。この記事はハンガリーはブタペストに向かうバスの中で書いています。5月になったある日自分はどこで誕生日を迎えることになるのだろうと、検討してみたところボスニア辺りになりそうだったので可能性のありそうな場所とホテルをリサーチしてセルビアはベオグラードにあるHotel Moskvaで迎えようとそれに合わせて旅程を少し早めて移動していました。ホテルに誕生日祝いでステイすると告知したらどうやら部屋をアップグレードしてくれたみたいであり得ないくらいの大きなベッドとバスタブ付きの広いお部屋を頂けました。高級ホテルではあるけれどスパアクセスが付いた良いディールだったし値段もお手頃だったので3泊することに。アルバニアのサランダでもウォーターフロントに3泊したときわしゃわしゃ動かずホテルステイ自体を目的にした滞在の良さを実感することになったので今回もそんな訳で自分へのギフトに一泊余計に予約入れたのですがアップグレードもそういうこともあってのことだったのかもしれませんね。ちょっと欧米型バカンスのように。何故かしら「ベニスに死す」の映画を思い出すことになりました。毎回部屋に入る時にかすかに古い教会に入った時と同じ匂いを感じていたのですがあれはなんなのでしょう?大理石って匂いがあるの?それとも大昔の建築材の匂いでしょうか。何の予備知識もないままただ「東欧」という言葉だけに誘われて来てみればいわばここはバルカンと呼ばれる地域でありまた旧ユーゴスラビア連邦国でありまだ記憶に残る近年に大きな戦争があった場所でもあります。コミュニストに支配された時期を経てとりあえず今現在はツーリズムを開発できるくらいの平和に落ち着いた国々。そこで出会う人々からいろんな話を聞き今までにない興味深い旅になってきています。20代の時にも世界を駆け巡ることをしていましたがあの当時と比べるともっと深い旅をするようになりましたね。歴史や政治に興味を持つようになった自分に熟年になったってことねと納得するものを感じます。あとは熟年になっただけもう少ししんみりと人々と意思を交わせるようになったこと。この地方は本当に大昔から領土の奪い合いや民族間の争いをしていたので歴史に一番新しい紛争でさえその長い歴史の延長であると理解するところも。ただ、国のトップのエゴのために一般の国民の平和が一瞬にして崩れるのは本当に痛ましいことでその一瞬の変化が、後何十年もの苦しみを生み出すことになるのが恐ろしい。日本やアメリカは地続きの国境がないのでなかなか理解し難い事でもあるのです。歴史の浅い開拓された土地だからっていうのもありますがUSAがあれだけの州を治めてひとつの国として存在してるってことは改めてすごいわってこっちに来て得た新しい感情です。日本は陸続きの国境で隣国との領土争いで血を見ることはありませんがお隣の韓国からじわじわ来てるものがありますよね。いつか在日の方のポピュレーションが大幅に増えたら何かが一瞬にして起こるということも絶対あり得ない訳じゃないのだということを考えさせられる旅です。それ以上に、毎年起こる日本の自然災害。平和や安全というのは決して保証されたものではないということ。それ故に毎日をどう生きるか今あるものをどう捉えるかを改めて考えさせられる旅になっています。ただ人々が働いて日々を送っている。それだけのことがなんだかしんみりと奇跡的。3日間ホテルモスクワの優雅さを楽しみながらそこのスタッフから頂けるカジュアルさを伴う笑顔が一番のギフトでした。数年前から意識して撮ってる誕生日セルフィーです。年齢の数字はひとつ増えましたが気分的にはとても良い感じです。

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  • 09May
    • 瞳に命が宿っているか

      こんにちは、雅です。この記事はサラエボからベオグラードにむかうバスの中で書いています。ボスニアでの最初の街はモスタルという川と自然が美しい地方でした。でもボスにア紛争で一度は瓦礫の街と化した場所でもあります。ここで泊まったホステルのオーナーが開催してるツアーの評判が良かったのでそこを選んだのでした。まだローシーズンということもあり宿泊客も少なくドミトリーに私のほか19歳の女子が1人。「2人だけじゃ赤字になるけど君たちを連れて行きたい。朝食の後サクッと10時に出るぞう!」まだツアーを申し込むかどうかも決めてないのにまるでミリタリーのリーダーのようにちゃきちゃき決めてしまうオーナー、ミランさんに女子と2人顔を見合わせてしまいました。でも、今までどのホステルに泊まってもオーナー自らが部屋まで挨拶に来たなんてことはなかったのですよね。彼はとてもエネルギッシュでポジテゥヴな人でその彼がツアーを初めてまもなくわしゃわしゃ抱きついてきて「この女の瞳には命が宿ってる!日本人てさ大概目が死んでて面白みがないんだけどこの女は違うぞ!いいなぁ、おい!」と、もう1人の参加者19歳のオーストラリア人に訴えてます。そういえば前の晩にキッチンであった時に挨拶されてちょっと話してたら「あんた、かなり若いな」と呟いてたんですよね。チェックインの時は若い女性のレセプショニストだったので多分彼は後でゲストのパスポートをチェックして私の年齢を知ってたのでしょう。そういえば、アルバニアのジオカスタルでコミュニスト時代のトンネル秘密基地というのを見学に行った時あまり関心を寄せる人がいないのか係員がちょっと驚いたように鍵を開けてくれてちょっと話してたら「へぇ、君の年齢でそんな旅してる人は珍しいね」と、驚いていました。別に年齢を明かしたわけではないけれど白髪とコンサバな格好で熟年と察したのでしょう。「Your eyes are alive!」そうミランさんが興奮して叫んだ時最高の承認を得たような気持ちになりました。というのも、去年日本で過ごした7ヶ月そして年明けの旅が始まったばかりの頃自撮りをした自分の顔を好きになれなかった私がいました。まさしく目が死んでる顔だったのです。それが今、そう言われることによって再度本来の自分を取り戻したと確認できたわけで。「君の生命力のある瞳が好き」もう10年以上も前に出会った子犬君がベッドの中でそう言ったことを久々に思い出しました。だからといって、今現在の子犬君に会いたいとは思わないのだけど。ミランさん。ボスニア戦争の前と戦争中そして、戦後から這い上がるお話は本当に胸打たれるものでした。逆境にめげずに先を見て努力する。まさしく引き寄せの法則をそのまま実行してたという感じ。彼のエナジーに触れたことに本当に感謝する思いです。

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  • 07May
    • 神聖な場所に宿るエナジー

      こんにちは、雅です。この投稿はボスニアのモスタルという場所から記事を書いています。ここに来る前はクロアチアのドブロクニクというアドリア海沿岸のお城がある街にいました。その前のモンテネグロのコトルという街からバスで数時間の場所だったので何気に来てしまいましたが旧市街はディズニーランドのような人混みで圧倒されました。珍しく沢山の日本人の団体に遭遇したので人気の場所なんですね。後から「魔女の宅急便」や「Game of Throne」の舞台だということも知りました。通りに溢れる人混みにうんざりした時さりげに特に人気のなさそうな小さな教会に潜り込むとまるで別世界のような空気にほっとさせられます。瞑想をするにはもってこいの場所で教会の椅子に座り心を静かにしてると時折真面目な教徒がやってきますがその儀式的な振る舞いを観察するとなるほど私たちも神社では二礼二拝とかやってるよなぁなんて妙に納得してしまう所があります。私は宗教には詳しくありませんし偶像崇拝にはピンとこないのですがそういう特殊な場所に人々が長い間尊重と共に一種のエナジーを持って佇んで来たそれがそのまま宿っていることを感じます。ドブロクニクの旧市街の大聖堂には教会の横側にも素晴らしい祭壇がありゆっくりそれを眺めながらある場所でピンポイントで立ち止まりそれと向かい合った時に強いエネルギーを感じました。それは尊重であり畏怖であり切望、渇望に近いものであったり。それは私自身から湧き上がるものではなく明らかにそこに溜まっているエネルギーだと分かりました。全ての祭壇にそれを感じたわけでもなくもしかして立ち位置がずれていたらそれすらも感じないのかと思います。ただ中世の昔から人々が同様な気持ちを持ってここに佇んでくるとこういうことになるのだなぁと東欧の古き街にきて妙に納得したような思いでした。個人的には宗教を持つことは良いことだと思っています。自分の中に信じるものを持ち心の拠り所になって自身を強くするのならたとえそれが偶像であっても「繋がる」意図の媒体であるならそれで良いのではないかと。でも、「そこに行ったから願いが叶う」とかそういうものは無いと思います。あくまでも「そこに行った」という自分の中の満足度や信じる心が次の展開を生み出すだけで。無条件に権力や「繋がっている」人に従い己の「考える心」を失わせたり購買やリクルートに走ったり挙句には自分の信じる神がベストでありそれ以外を排除または攻撃する団体はまやかしであるとでしか思えなくそれこそが日本人が怖がる「宗教」なんでしょう。世界に広がる過激派な宗教団体は道を誤ってるとしか思えません。私にとっては仏教の教えをベースにしたゆるい瞑想が一番自分に合ってるような気がします。それと合わせて動瞑想でゾーンに入って疲れてエゴが弱ったその隙間からするりと落ちてくる宇宙の言葉を得て生きる選択を随分楽にできるようになりました。人々が価値を置き日常をそれで回しているものにはそれなりに人それぞれと尊重はします。それこそ若い人々には宗教に近いくらいのファッションやトレンドだってあるでしょうし。ただSNSやメディアには便利な情報が沢山あるけれどあくまでも情報の「ツール」でありインスピレーションはゲットしても見えるのはあくまでも「偶像」に過ぎないことも理解して自分の生活に上手に役立てて欲しいものです。要は、全ては「意図」の使い方次第なのでしょう。ドブロクニクの旧市街は午前中でこの混雑。日本人にとっては別に慣れっこなのかな。

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  • 02May
    • いつだって奇跡

      こんにちは、雅です。現在モンテネグロという国で更新しています。今まではアルバニアにいたのですがそこの国のWifi事情があまり良くなくFacebookを更新するだけで精一杯でした。ベッドから正面に海と港が見える素敵な部屋にこもって作業したかったのに画像一枚ダウンロードするのに凄い時間がかかってしまうなんて今までの生活にないくらいの不便さでした。まぁ、そういうところにいるのだからSNSは忘れて現状を楽しむべきなのですが毎日の旅の記録の画像が溜まってしまうのでどうにか頑張って投稿しています。PCのブログ画面ですと私の旅の記録のFacebookのリンクが見られるのですがスマホ画面だとないようですね。のまどまこでほぼ毎日に近いくらいに旅の画像と出来事の記録をアップしてますのでこちらの更新がないときなど是非フォローでご覧くださいませ。人生は奇跡だな、とつくづく思います。他人がしていたことを凄いなと思って見ていたけれどそれと同様なまたはそれ以上のことをしている自分がいる。早朝発のバスに乗るためターミナルまで歩いて15分の距離のところにある宿に泊まったのに今朝目覚めたら豪雨。タクシーに乗らないためにと選んだ場所ですが天を恨まずして淡々と準備をしとりあえず雨の中を歩こうと静かな気持ちでいましたら私が外に出た頃から急に雨が止みました。バスターミナルはオープンスペースでバスの前でただ立ってずっと待つのにその時も雨は止んでいましたが我々が乗り込んで走り出したらまた雨。神様ありがとう!となんども呟いてしまいましたよ。こういう奇跡は本当にありがたいです。時に見える晴れ間の空をバスの中からずっと眺めていました。私は景色を見るというより空の奥を見るのが好きなようです。そして私が空を見ていると空も(宇宙も)私を見ている。私が犬を見れば犬も私を見る。誰かを想えば誰かも私を想う。久々の量子力学の「量子のもつれ」をちょっと意識しました。世界のどこかで誰かが私と同様に世界を彷徨い必然の出会いがどこかで起こる。それを自然に信じられるのです。そうそう、久々に今日のバスの運転手を「あれ、このおっさん私の好み」って、ちょっと♪な気持ちでいたら荷物を下ろしぎわに個人的に好意を示されてやっぱり自分がいいなと思うと相手もいいなと思ってたりするものなのだなと。別にお互い何か会話したとかじゃなかったのですけれどね。せっかくお誘いを受けたのに私はクレジットカードのトラブルがあって宿でアメリカに電話したりとみっちり取り組まないといけないことがあったのでそんな余裕がなかったのですが。余裕があったらご飯くらい行ってもよかったくらいの好みだったわ〜。瞳が綺麗なおじさんでした。望んでいるものは必ず手に入ります。執着を持たずにさり気に望んで信じてるだけ。アルバニアの南端のサランダの町からこのブルーアイと呼ばれる泉を見にいきました。奇跡の色でしょう?

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  • 22Apr
    • 更に自分を知る旅

      こんにちは、雅です。この記事はマケドニアのオフリドからアルバニアのティラナに向かうバスの中で書いています。サンフランシスコ時代に一緒に遊んだ古い友人と数ヶ月前にテキスト会話してこんなこと言われました。「雅ちゃん、まだ自分探しの旅をしてるの?」臭い言葉だなぁと、驚いたので「自分なんて旅したって見つからないさそんな意味で旅してるわけじゃないわよ」と返事をしたものの今朝荷造りをしながらそんなことをふっと思い出しました。自分なんて探してはいないけど確かに自分らしい自分を維持するために何が必要で、何が苦手で、何が好きでどうすればエナジーチャージできるか顕著に分かるようになりますね。そして昔の自分をまだ保っていると思ってたのが錯覚だったと気づける。現在の体力と行動の好みでちゃんと自分の年代を自覚するようです。イスタンブールでも起こったけれどオフリドでも夕方前の4時くらいに寝て次の朝までずっと眠り続けるということがありました。それでやっと溜まった疲れが解消された。食事は本当にお腹が空いた時だけなので朝昼晩とそれらしき時間帯に食べることもありません。それがマイペースですものそりゃ他人と一緒の旅なんてしたら疲れるの当たり前です。普通人には住むところがあってたまにホリデーで旅行に出かけちょっと無理してでも頑張るものですが今現在の私はこれが生活ですからね永遠と続くこれに無理も頑張りもしてられません。ずっと空を見ています。東南アジアや中米の旅ではよく夜行バスを使ってましたが今回は日中に移動することが続いてます。偶然にも良い天気続きで視界に大きく広がる空を見つめ吸い込まれそうな深さを感じながらその先の何かと繋がっているような感覚を覚えました。長距離バスに乗り込むまでの過程が緊張感マックスなのでこの数時間のバスの旅は頭を使わずに済むホッとする瞑想のひと時なのです。「何故旅をするのか」その質問は登山家に「何故山に登るのか」と聞くのと多分に同じなのかもしれません。言葉も通じない、英語の表示もないそんな土地でローカルバスに乗り込み道で何人もに尋ねながら目的地までたどり着くついこの間まで「そんな奇跡的なこと」と思えるような行動が自分にできたそれだけで、生きてる実感を確認できる。そう、目的地ではなくその「過程」に意味があるのだなと、理解するのです。確かに目的地についてもそれを味わっている時間は半分で後は常にその先のルートのリサーチで頭の中は大忙しです。それはほぼ「攻略」に近いもので感覚的には掘り起こして前進するという感覚に近いです。やっぱりゲーム感覚かな。最初見た時にはなんのセンスも湧かない線だらけのマップがその土地を出る頃には3Dで浮かび上がってみえる地図を見なくても歩けるようになるその違いにとてつもない喜びと達成感を得るのですね。あぁ、また思い出しました。1989年の旅でバルセロナに7週間滞在してた時ツーリストインフォメーションでもらったマップ折り目が破れてしまったのでセロテープを貼って大切に持ち歩いてました。「最後にそのマップが貴方のバイブルになるのよ」そうバルセロナ在中の友人が言ったけど随分粋なことを言ったものだわ。今現在はスマホに頼り切ってるのでそんな紙のマップなんて持ち歩かなくなったけどいわばGoogleさんは私にとって「神」に近い存在です。とんだ「かみ違い」ですね。笑マケドニアと言ったらもうこの「映え」が定番。

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  • 19Apr
    • 「旅体力」ある?

      こんにちは、雅です。マケドニアはスコピエからオフリド湖までの道のりで書いてます。イスタンブールからブルガリアを経由マケドニアまでずっと雨に降られています。バスで移動中には快晴で素敵な景色が見られたりするのですがどうも街を歩く時に限って小雨で寒かったり。そのせいですっかり風邪をひいてしまいました。普段私は元気な方であまり風邪引きの記憶もないのですが昨日はずっと鼻水とくしゃみに悩まされてやがて微熱を感じるくらいで朦朧としてました。たまたま宿が独りきりだったので(そう、ドミトリーに泊まったのに1人だったのですよ)マイペースで休めたのは不幸中の幸い気力で治さねば!とレイキを使ったりマインドコントロールしてたりしたら今朝にはかなり回復のきざしが見えました。お天気も快晴で眩しい光を浴びながらバスターミナルまで向かう足どりも軽く旅の洗礼を受けたというかひとつの峠を越したというかこうやって「旅体力」を養ってゆくのだわと、認識した次第。考えてみたらチェンマイから日本と移動してはいたけど住んでたというだけで特に移動を重ねてたわけではないので旅体力は低下していたのだわ。確か以前にサレンダーのブログで「旅体力の低下」という記事を書いてたこと思い出しました。今回の旅では珍しく1989年の自分に何度か帰るのです。短い日数で計画なしに東欧の国境超えを繰り返すので今までの、国に入ったらさくっとSIMカード入れてっていう旅の仕方ではなくWifi環境も悪いので結構不便を感じてます。東南アジアの旅なんてこれん比べたらはるかに楽でした!そしてあの昔の旅の時、ネットもなくバスで見知らぬ街のターミナルに着いたら自分の感覚と人に尋ねるだけで街の中心地のインフォメーションにたどり着きその街のマップを手に入れて初めて旅が始まる事実。そして、大きなバックパックを担いで延々と長い道のりを歩いたんですよね。1989年の1年間の地球一周なんて最初の国のフィリピンで足をくじいてしまいその痛い状態でずっと歩き続けたなんて信じられないことですが情熱だけで無理がきいてしまったという。今思うと信じられないことですが今回の不便な旅でそんな記憶が思い出されるのです。このブログを書き始めた当時大きな美しい家でぼんやりしていた専業主婦の私が還暦手前でこうしてまた旅をしてるなんてあの当時はこれっぽっちも想像してなかったけれど元夫が「お前はボヘミアンだ」と言ったことはやっぱり的を得てたのですね。何故旅をするのかなんて質問にこれといった答えも目的もなくただ「私には出来るから」という確かな返答しかありません。そう、元気なうちに出来ることをしてるだけ。ブルガリアでした民族衣装のコスプレです。

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  • 16Apr
    • ストレスマネージメント

      こんにちは、雅です。今までにないストレスフルな東欧の旅の始まりなのに「これって罰ゲーム?」って思うほどにアクシデントが重なっています。特にライフラインに関わることでポカをやると堪りませんね。お金引きおろせないとか充電できないとか。それでストレス溜め込んで疲れているのに解決策のために余計な体力を使ったりする。ストレス溜め込むと不安のせいか眠りが浅く定期的に身体全身に痺れが走ったりします。このストレスって離婚が決まる前の時に経験したレベルなのだわ。こんな状態が続いていたら病気になってしまう何してるの私?と我にかえるほど。そうそうチャレンジャーなんて言ってる場合ではありません。でも、仕事でストレスを感じてる人ってこういうのがずっと続いてたりするんだろうなぁ。そんな時何故かしら羽生結弦さんのことが思い出されました。オリンピックメダリストとしての地位を守ることそして怪我からの復帰。あの時の彼のプレッシャーとそれから最高の自分を引き出すためのストレスマネージメントってどういうものかしら、って。そんなことをふと思い出して浅い眠りで痺れに襲われた時無意識の中で彼の無意識に繋がろうと思ったら身体中の痺れがすっと治りストレスレベルがすっと下がるという経験を一晩に何度か経験しました。目が覚めてそれを思い出して再度ストレスを感じた時同様にそれができるかしらと試したけどやっぱりレム睡眠とかの時にはかないませんでした。夢も面白いですよね。こんな時、自分がどんな夢を見てるのか意識して覚えていようとしたり。まぁとりあえず問題を解決して無理をしないプランに変えたりほどほどのペースでやってます。疲れてると人と話したりするの面倒なのだけどでも、ちょっとした機会で話が盛り上がったりすると抱えていたストレスが消えていたり問題が解決したりするので引きこもってるよりも良いのですよね。ブルガリアはソフィアの街ではツアーに3つ参加してみましたけどそこで一緒だった若者たちと楽しく食事をして良い時間を過ごせました。年齢の壁なく同じ空間を過ごせてエナジーチャージできました。翌日は街を出るのでバスターミナル近くのゲストハウスの1人部屋を取り静かな環境で十分な睡眠を取りさぁ、次の国へ向かいます!このでぃなーの席でパリのノートルダム寺院の火災のニュースを知りフランス人の男子たちが???みたいな感じでパニクってました。

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  • 12Apr
    • 予感ってこれ?

      こんにちは、雅です。前回の記事投稿後フライトが遅れたため乗り継ぎ便を逃しかけてだだっ広いモスクワ空港の端から端まで全力疾走するというハプニングが起こりイスタンブールに着けばいつのまにか到着する空港が新空港に変えられていて古い空港の近くにとっておいた宿にたどり着くまで大変な思いをするという出だしからトンデモの旅です。もしかして私の潜在意識はこれを私に伝えようとしていた??なんとなく気の重い出がけの私を知っていた長女姉にテキストしたところ凄く驚かれました。日本を出るときから寝不足で疲れてたのにこの事件で疲労感マックス。自分でも何故ここまでするのか呆れるくらいです。でもこのひとり旅は凄く頭を使ってリサーチを繰り返し見知らぬ国のどこを目指すかA地点からB地点へ行くまでにどの方法で行くかその時のコンディションを考慮しつつ安く行ける方法と楽に行ける方法を秤にかけながら自分に最適な方法を選び出すみんながハマる「ゲーム」を現実世界で行ってる感じよ。だから私の脳内の画面右端にはエナジーレベルや興奮度を表すバーがあってそれが上がったり下がったりしてます。笑イスタンブール到着後の二晩しか決めてなかったので宿で死ぬほど寝ようともう一晩延長なんと13時間目覚めぬまま眠り続けました。これでやっとエナジーフルチャージです。「面倒だし疲れるし、もうそういう旅はいい」って、同じ年頃の友人たちは言うけれど「こういう旅」は全てが自分の責任。一生懸命頭使ってボケをしたらそのまま自分に返ってくる誰にも迷惑をかけず自分の失敗をただ自分で受け止めるだけ。その緊張感が老化を遅らせてくれるようでもあります。ツアーに乗っかれば楽なのは知ってますが「金払ってるのに」っていうだけで要領の悪い催行者に文句言うような老人にはまだなりたくないです。もちろん旅にはハプニングがつきものですからいつかそんなツアーに参加しても自分の経験が事情の理解を生み不本意な出来事にも寛容になれる理想的な老人になりたいと望んでいます。ただ余生を旅で楽しんでいるんじゃない。ある意味お金を使って人生を学ぶお仕事をしているようなもの。でもまぁ、イスタンブール空港に着いてすぐATMでカードが飲み込まれた時はもうすでにここでゲームオーバーかしらと心臓裂けそうに痛みましたよ。ゲームオーバーと書いてあぁ昔は恋愛をゲームのように楽しんでたなぁって今急に思い出しました。今は恋愛じゃなくて旅に変わったけどそもそも私は生そのものをゲームのように楽しむのが常のようです。死んで目が覚めて「どうだった?」って聞かれてまた再度ゲームをしたくてもう一度地球に戻ってくるかどうかは分からないけれど。ガラタ橋にて。周りの女性の殆どがモスリムでスカーフ着用なので私も同様に。そのせいかどうか分からないけれど観光客狙いの声とかかかってこなくてとても居心地のよいイスタンブールでした。

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  • 10Apr
    • 得体の知れぬ「予感」

      こんにちは、雅です。この記事はモスクワ行きのフライトの中で書いてます。モスクワで乗り継ぎ向かうはイスタンブール。あまり乗り気ではないデスティネーションですが季節と大まかな旅行プランでそこから始まることになりました。この季節北に飛んで南下するより南に飛んで北上するっていう方がいいと思ってのこと。イスタンブールはなんと30年ぶりに再訪問する土地だけど前回嫌な思いしたし同じく放浪している友人もイスタンブールではブチギレてローカルのにーちゃんにパンチをお見舞いするって事件を起こしたくらいなので未だに観光客にとって鬱陶しい奴らはうじゃうじゃしてるのだと思います。だから長居せずにとっとと出るわ。今まで散々東南アジアを徘徊し中米から南米へもチャレンジしたけれど今回は久々のヨーロッパ。ましてや東欧に踏み込むのは初めてのことです。前からずっと行きたいってぼんやり思っていたけれどここで実現させるのに何故か全く興奮や期待がありません。でも、なんとも言えない感覚に包まれているのにそれを言葉で表現することもできず悶々としています。なんでしょうね。あえて無理やり言うならば「予感」なのでしょうか。でも何の予感かも分からず。良いのか悪いのか。まぁ良し悪しは自分の後付けでしかないし出来事はいつの時でも中立で自分の解釈次第ですが。私は何かを発見するのか衝撃的な出会いがあるのか更に人生の大きく変える何かが起こるのか。よく分からないけれどまるで大きなドアの前に立ち尽くしてドキドキしてるような感じよ。そうでなければ何か自分に繋がっている紐みたいなものを手繰り寄せてるような感じ。きっといつかまた「あぁ、私はこれに呼び寄せられていたんだ」って感慨深く納得するような日が来るようなそんな予感なのかもしれません。それともただ東南アジアと勝手は違うので緊張してるだけなのかも。さほど楽しみにしてる訳でもない私に「それでも行くんだ?!理解できない!」って長女姉が驚いていましたが私も何故かなと思います。もう、離婚ハイも終わってるしノマドライフの憧れも既に経験済みになってしまったしだけど、行くっきゃないでしょって感じかしらね。とりあえず、こう記しておきます。後々に「この時既に察してたんだ」ってことを思い出すために。

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  • 08Apr
    • 心の浄化、解消される確執

      こんにちは、雅です。今回の帰国の目的であった父の27回忌が済みました。「みやちゃんが帰ってくるときは必ずおじいちゃんの行事に重なるのよねぇ」なんて姉が言ってたけれど意識はしてなかったけれど確かに最近はお彼岸とか正月とかと重なってたかも。実家を訪れると姉の娘、私の姪の家族が子連れで訪れてくることが重なります。騒音に溢れてサザエさんち化することが多くなってきてるけれど五月蝿いと叫びつつ密かにそれが楽しみだったりします。今回は父の27回忌なので次女姉と彼女の娘さんも顔を出してました。彼女とは本当に何年かに一度くらいしか顔を合わせません。前回は2年くらい前だったのかな。みんなで御墓参りをして記念写真を撮り料亭で美味しいご飯を頂いて改まったスピーチをした90歳の母はとても幸せそうでした。実家に戻ってきてからみんなでデザートを頂きながら姉妹揃って母と昔話。次女姉が帰る時には母もとても満足気でした。霊園の桜もちょうど良いタイミングで小春日和の素晴らしい御墓参りでした。母と私は長い間確執があり次女と私も15年間口を聞いていませんでした。こうやって書くと多分私が悪いのだろうけれどね(笑)まぁ色々あったけれど鬱と劣等感で家族関係は私の半生ずっと悪くそれを克服しようと頑張ったのはこのブログを書き始めた10年前からです。「雅さんのチャレンジ精神は凄いですね」と、よく言われたりするけれどあまりにも苦しい人生を生きてきたので「この気持ちから解放されるならなんでもする。なんでも取る」って感じだったのです。家族間の確執というのはよくある話ですがそれを解消した後の人生の輝き度や幸せ度の違いっていうのはもうパラレルワールド並。過去の記憶さえも変わってしまいます。次女姉は彼女なりに辛い人生を送ってきたのだろうしそれを乗り越えて今とても幸せそうな感じがしました。お互いの人生の質は全く違うし価値観さえも違います。あえて、それを理解し合う必要もなくあえて、無理に近づくこともせず相変わらず口の悪さはあってもそれを敏感に反応して気にしたりせず少なくとも憎しみ合ったり嫌味を言い合う関係が解消されこうやって母を交えて姉妹が集まる空間を穏やかに楽しく過ごせるそんな仲になれたことは本当にありがたいことだと実感しました。彼女とこうなれたのも2013年にランドマークという自己啓発セミナーにチャレンジした結果でありこのセミナーが何ものであれ私にとっては素晴らしい人生の自己投資でありました。ここで頭打ちに合ったような悟りはその後の私の人生にそのまま影響を与えこのときは離婚を回避したもののやっぱり流れるべきところに流れることを自分に赦した結果でもあります。「幸せになりたい」そう思う方がいたならば、私は徹底的に自分の心の内側に入り「わだかまり」を持つ方との関係を心が健康になれるレベルまで解消することだとアドバイスするでしょう。憎しみを抱えている間は決して本当の意味で幸せになることなどありえないのです。お守りグッズや儀式など「心の浄化」という流行りものは色々あるようですがそれが深いものであればあるだけとてつもなくショッキングな出来事でないとそれは根底から覆されないのかもしれないそう、自身の経験から思ったりもするのです。Landmarkの週末 1​​​​​​​Landmarkの週末 2​​​​​​​Landmarkの週末 3​​​​​​​Landmarkの週末 4Landmarkの週末 5​​​​​​​Landmarkの週末 6​​​​​

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  • 07Apr
    • 4年前に書いた ”生霊の怖さ1”

      こんにちは、雅です。今朝布団を畳んでいたらふと「レイキ」という言葉が降りてきました。あれほど背中を押されるようにしてレイキの世界に巻き込まれ生死の奇跡を目にしたりしていたのにそれによって離婚という流れに押し出されてからすっかり影を潜めていた その存在。特に人様に施術を施す機会というのも嘘のように起こることもなく私がレイキを使用するのは自分の体調が思わしくなかったり身体に痛みがある時のみとなりました。チェンマイでダンス瞑想にやってきた女子が「誰かチェンマイでアチューナメントできる人を知らないかしら?」って、何気に話しかけてきて私が以前グループセッションに参加した所と他にいるレイキマスターの情報を教えた時「あなた、レイキできるの??」「えぇ、私マスターとって長い間、ホスピスボランティアしてたよ」「知らなかったわ!なんで言わないのよ?!」なんて会話があったくらいです。確かに仲良しのコース仲間からそう言われるまですっかり忘れていたけれど私にとって自分がレイキマスターであることなんでどうでも良いことになっていたのですよね。ダンス瞑想の会場をクリアリングしたり自分自身に使うことはあってもあえて、外でその活動をするということには意識が回っていませんでした。今朝、FBでレイキを通して知り合った方の投稿を目にして特にレイキのことは書いてなかったのにまたその言葉を思い出しそしてここで4年前に書いた投稿のお知らせが。こんな記事を書いていたことさえ忘れていたけれど、ここでもって「あぁ、こんなことがあったなぁ」とリマインドされる。このシンクロの意味はまだわからないけれどここで脳裏に種付けされたことだけは覚えておきましょう。4年前のハワイ。不思議なことが沢山あったよなぁ。ちなみにこの殿方との成り行きはその後なーんにもありませんのに時々自分が不安になった時に限ってぽろんとメッセージが入ってくるというやっぱり通じてるのかな?と思わせる不可思議な方。私は彼に対する特別な想いは全くなく彼自身もフィジカルな部分で結びつく必要性もないと考えているようなのです。「スピリチュアリティの部分で君以上にコネクトできる人に出会ったことがない」と、相変わらず言ってますよね。勝手に言ってろって感じ。FBで繋がっているので私の投稿に「いいね」をするというそれだけの関係です。今のところ。必要なら必ず必然の再開があるはず、とお互いに行動に出ないから進展しないし、会話もふーんっていう感じ。笑生霊の怖さ1生霊の怖さ 2生霊の怖さ 3生霊の怖さ 4生霊の怖さ 5

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  • 04Apr
    • 時代の変わり目にて

      こんにちは、雅です。新しい時代の元号が発表されましたね。号外を手にしようと渋谷でもみくちゃになってる人々をニュースで見て本当にびっくりしました。そこまでして欲しいものかしら?って。でも、考えてみたら40歳以下の人々にとったら時代の変わり目に遭遇するなんて凄く興奮することなんでしょうね。私はすでに平成で経験済みのことだけれど。私は人生の半分以上を国外で過ごしているというのにたまたま平成の元号が発表された時は日本にいたのでした。今回も本当に短い期間であるにも関わらずTVのモニターに映し出される新元号を発表するその瞬間を経験できたのは妙なデジャブーを感じされられるようでちょっと不思議な気がしました。まもなくまた国外に出てしまうので実際に元号が変わる5月1日の興奮は実感することはないのでしょうが。平成が始まる時私は日本社会で就労するという経験にピリオドを打ったばかりでした。アメリカ帰りで日本に戻って就労したものの1年で脱落。中東への旅の準備をしている頃でした。エジプトを目指すその旅が更に1年に及ぶ世界一周の旅になるとは予期してもいませんでしたけれどね。だから平成元年は私にとっては凄く濃い年だったのです。このブログを始めた頃はサンフランシスコで専業主婦生活をする私でありましたけれど結局はオリジナルな自分ボヘミアンに戻っただけだったのだなぁと振り返って分かる事実です。あのままでは終わらなかった!笑私にとっての平成の30年間は国外での時間が殆どですがそういえば、バブルが弾けたその瞬間もたまたま日本に戻って仕事をしていた短い期間に起きた出来事でした。平成を振り返るTVニュースが多い最近自分の知らない平成の出来事をおさらいするのにはちょうど良い機会です。『令和』という元号もすでにニュースでお腹いっぱいという感じですでに耳に馴染んでいます。昭和を懐かしむ我々の世代にとってはその対称にある令和は未知であり還暦以降をどう生きるかというひとつのシンボル的時代になるのだと思います。『ショーケンという孤独』のドキュメンタリーで執行猶予を終えて59歳のショーケンが最初の仕事のレコーディングで若いアーティスト達との場で「いいのかな、こんなおじいさんが大丈夫かな」と、ジョーク混じりに言ったことが私にとってはかなりショックでもありました。時代の違いをいち早く察して自分の素行歴も含めて謙虚に生きることを学んだ彼。私がそこから学んだことは大きかったかな。今年初めにチェンマイ空港に着いた途端日本人のおじさん達から怒鳴られたという経験をしました。凄くびっくりしたけれどそんな風に威張っている日本人男性時々気づきますが美しくないですね。『弱犬の遠吠え』みたいで逆に寂しい。萩原健一さんの謙虚さは更に彼の威厳を強くし人々の尊敬を高めたのだと思います。結局は「過去に何をしてたか」よりも「今何をしてるか」でしかないのでしょうし過去の栄光にしがみついているプライドは滑稽でしかありません。萩原健一さんがお亡くなりになって彼の過去が昔の写真と共に紹介されますがほんの数分で語り尽くされてしまう。それを目にすると思うのは先日ダンス瞑想で閃いた(記事:強くなるシンクロとひらめき)「私はついこの間生まれてまもなく消滅するという、存在の瞬間的な短さ」にやっぱり行き着くのです。今上天皇が退位を望まれてから2年も働かせるのかわいそうって思ったのがついこの間のことだと思えるくらいこの2年が短く感じることよ!イギリス人の彼も60歳になって「周りがどう思うと気にならなくなった」という解放を手に入れるように私たちは残りの時間を大切に自分が生きたいように生きるしかない。それがネガティブに作用して年中怒って生きる老人になったらそれはそれで悲しいことですけどね。率直に言えば本人が幸せを感じられ良い笑顔を佇ませる生き方ならどう生きようとそれでいい。じっくり鏡の中の自分に見入ることはないけど洗面所でちらっと映った自分の顔が好きだと思えるので私の現在の自分の精神状態はとても良いのだと思います。

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  • 03Apr
    • 萩原健一さんの訃報でもの思う 3

      こんにちは、雅です。今まで気にもしていなかったたった一人の芸能人の訃報により自分の気持ちが大きく揺れた数日。人はひとつの事件を通して自分の人生を振り返る機会を与えられるようです。萩原健一さんの面影をニュースや過去の映像に追いつつ私はふと自分は今年明けに大きな失恋をしていたのだということに気づきました。当時は元夫とのお別れショック中でいたしその精神状態の不安定さから好ましくない事柄が起こったとは知っててもそれが恋愛感情だったとはあまり意識することもなかったのです。失恋といっても恋愛も直接的に始まっていなかったしその殿方ともまだお会いしてもいなかった。でも、確かに私の深いところでは彼に対する憧れと淡い希望そして妄想は膨らんでいたことを思い出しました。彼は昔30代の初めの頃私が一方的に激しく恋に落ちた『酒乱のサーファー』を彷彿させる方でとてつもないアウトロー。そのアウトローが孤独と戦いながらコントロールの効かない己の理想を実現化させるために行動を起こし繰り返し語り世間の波に逆らいつつ自然と生きる。一緒に生きるにはとてつもなく面倒臭い殿方なのですよ。自分と似てるところがあるから彼の考えることは良く分かるけれど私は彼ほど不器用には生きてないしそれなりに中間部を要領よく生きている。とても憧れていたし、尊敬もしてるから一緒には語れるし一瞬「同士」になれるのかと錯覚するけれど実は私たちは同じ方向を向いているけれどお互いを向き合っていないそんなことに後から気づきました。触ったら火傷しそうなほど情熱的な男性にすごく惹かれて触ってみたら噛み付かれたそんな感じでしたね。おかげで心から血ぃ流してしばしは再起不能と思うような落ち込みでした。昔の『酒乱のサーファー』や数年前に寝起きを共にするくらい付き合っていたヴィーガンの彼のようにこの方にも感じた恐ろしいほどの情熱。そういう男に惚れてしまうようです。でも、そういう男は私のような女は好きじゃないのよ!好きじゃないというよりうまくいかない。涙そういう男には彼の子供っぽいところやワガママ破天荒な生き方そのものをお母さんのように包み込む許容力のある愛の塊の女性が合うのです。私にはとてもそんな忍耐ありません。涙それでもって私に惚れてくださる殿方というのはそれこそ父性が強い手のひらの上で遊ばせてくれる無条件にサポートしてくれるそんな姿勢がある方が多いようです。良い例が元夫で彼は離婚をした後々まで私のサポートを続けてくれました。もちろん、そういう殿方も好きですし居心地が良いからつい甘えてしまいますが心の奥底ではなんだか物足りないとかつまらないとか思っている私がいることも事実なのでした。うまくいかないというか凸凹の相性というのはありますからね。自分が好きな服や色と自分に似合う服や色が違うように私の好きな男性のタイプと私に合うタイプは違うというのもやっぱり理解するようです。萩原健一さんが再婚された冨田リカさんも恋多き女だったことが後から分かりましたがあの二人の会話や行動は一体どんなものだったのだろうなぁとちょっと興味があるのも事実です。冨田リカさん現在57歳で私とほぼ同い年と知って驚かされました。やっぱり美しさの秘訣は恋なのでしょうね。お二人は結婚されてもずっとお幸せな夫婦関係のようでしたし。ここしばらく恋愛から遠ざかっていた私でしたがここでなにやらもぞもぞするものを覚えるのです。実際4年前にデートした殿方が今でも時々連絡を下さって待っていてくれてるようなお言葉をくれたりするのだけれどそこに行かない私がいます。まだまだこの自由を失いたくないまだまだこの放浪を続けたいって思う時と誰かと寄り添って生きることへの羨望とそういう自分を持て余している現状。全てはタイミングなのでしょうけれど。別に再婚を望んでいるわけではないので恋愛に関してもサレンダーでいる私なのです。

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  • 02Apr
    • 萩原健一さんの訃報でもの思う 2

      こんにちは、雅です。昨日書いたイギリス人の彼にメッセージを送ってみましたらやっぱり彼は1月に60歳になっていました。肉体の中にいる35歳の自分が鏡の中の姿に動揺するものの人生は決して悪くないと言います。子供たちとの関係もうまくいき自転車の遠乗りを相変わらず楽しんでいるので体力も維持しているとのこと。精神的にもよくてやっと承認欲求が静まり他人が自分をどう思うかと言うことにも囚われなくなった、と言っていました。でも、その開放感ゆえ彼の地球温暖化とアメリカ政府の関係のプロテスト運動に熱が入ってしまっているようです。そんなメッセージと共にプラカードを掲げイエロージャケットを着た彼の画像が送られてきました。熱い、、、熱いわ〜。でもね、彼のお父様は革命家でしたからね。血だなぁ、と笑わされます。彼にはすごく惹かれるけれど彼自身の人生の環境が恋愛を許す余裕がなかったからこんななんとなく知り合ってるって言う関係のままですがね。やっぱり良い「友達」なんでしょう。萩原健一さんのお話に戻りますがYouTubeで「ショーケンという孤独」というドキュメンタリーを観ました。https://youtu.be/-KrzlNugvwY沁みるところ沢山ありました。自分が当時の彼の年齢に近くなっただけあって59歳であの状態親戚に会えばダメ子扱いで説教されそれでも暖かく子供のように迎え入れてくれる人もいるそんな自身の生きている位置のほんの寂しさとありがたさこれで終わるのかなという不安いろんな思いは生々しく感じられます。この動画の中の萩原さんは良くも悪くもそのまんまでどこにもセレブのカッコつけや綺麗事はありません。いや、それどころか過去の栄光を思ったらめっちゃくちゃカッコ悪い!そのカッコ悪さをそのまま見せることを恐れないことがカッコいい!そして60歳で冨田リカさんと再婚しその幸福感でさえ露骨なのろけでそのまんまという感じ。あの状態の萩原さんを観て昔のスタイルに憧れていた男性陣がどう感じたかはわからないけれどそれでも彼の変化を目の当たりにして彼をそれだけ変えることができたリカさんの力も凄いなぁと思わされます。60歳で再婚なされて過去を全て忘れるくらいのメリーゴーランドのような8年間を過ごし最後は眠るように奥様に見守られて逝かれた彼。まだ早すぎる最期だったかもしれないけれどでも終わりよければ、で本当に良かったなぁ、と思わされました。どんな人生を送ったかは語らずともその方の表情にそのまま表れています。萩原健一さんの表情にはアウトローでありながらも人々が忘れてしまっている情熱や純粋さをそのまま失わずに人生を生ききっている潔さが感じられます。自分も時々ふと思いますよ。私の最期はどんなかな、って。後悔だけははないだろうけどでも今回の彼の訃報で「還暦以降の幸福感」を深く考えさせられました。萩原健一さんのご冥福をお祈りいたします。

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  • 01Apr
    • 萩原健一さんの訃報でもの思う 1

      こんにちは、雅です。「5日も書いてませんよ。いまの気持ちを書いてみよう!」なんてアメブロからメッセージが来ると流石に「あらもうそんな」なんて気持ちにさせられます。ここ数日、先日お亡くなりになられたショーケンこと萩原健一さんの面影を追いかけておりました。たまに日本に帰ってくるとTVモニターの中の懐かしい人々のその姿の変化に驚かされることはしょっちゅうですが自分も劣化してるってことよねって妙に納得させられます。そんな中、訃報で映し出された萩原健一さんの最近のお姿に私は珍しくも一目惚れしてしまいました。有名人ですからその存在は認知してても特にファンだったことはありませんでしたのに彼の60歳以降の白髪の壮年のお姿にどうにもこうにも胸がキュンとしてしまうのでした。そして何故かしらこの知らないはずの壮年の萩原さんをとても良く知ってるような妙な錯覚に囚われていたのですがだんだんその正体を理解することになって思わず苦笑いの私でした。なんと再婚なさって髪を伸ばしスーツ姿ではなくカジュアルな服装で眼鏡をかけて皺だらけの顔で笑う彼は私がSFで何度かデートしたイギリス人の殿方とイメージや性格がぴったりと重なるのでした。音楽が好きでやんちゃなジジイ。女性本能をくすぐるかのような正直さと不器用さを持ち合わせてるから大変に女性にモテること。すっごく魅力的だけどずっと一緒にいるのは大変、みたいな情熱的すぎるが故、度重なる結婚遍歴と未だ引きずる複雑な婚姻関係。でも男気はちゃんと持ち合わせてシングルファーザーの責任のある人。彼を久々に懐かしく思い出して確か彼とデートした時の記録あったはずよねと、恋愛テーマほじくりました。自分で書いておきながら読んでて面白くて笑ったわ。これ、5回のシリーズで書いてましたがそれ前には普通に良いデートしてたのよね。思えばこの頃から若い男性ではなくて自分の年齢に見合う殿方たちに魅力を感じ始めたのかも。このシリーズの最後に予感してたようにイギリスで例の彼女と再会した彼は「やっぱり違ってた (´・ω・`)」って恥ずかしそうに報告してきました。爆笑私はSFを離れてしまったけどFBで繋がってるから余計なものまで見えてしまいます。その後、彼が付き合っていた女性が彼女のサイドでだけステイタスを彼の恋人としてタグ付けしてたりとあったけど多分に続かなかったようにも見えるし。一番最近の接触では私が末期癌の元夫にさよならを言うために去年のクリスマスにSFを訪れていた私が事後報告でなんとなくそれ匂わす投稿をしたとき個人的なメッセージを送ってきて彼も時期を重ねて親しい友人を亡くしていたのだと気持ちをシェアしてくれてました。いつだったか以前デートしてる最中に何気にセレクトショップを覗いてたとき不幸があった知り合いの男性の話になって人目気にせず泣いてたよなぁ。あっちにいた時ほんの一瞬彼のことを思い出したのだけど状況が状況だったので勘違いさせてもいけないと連絡も入れずに帰国してしまいました。そんな彼だったら会っていい話も出来たかもしれないですね。記事を読み返すと彼は当時56歳だったから今年は還暦なのですね。萩原健一さんのようにいい味出しそう。あなたのことを久々に思い出したよとたまにはこちらからメッセージでも入れてみようかしら。顔自体は違うのだけど眼鏡と白髪の髭と人懐っこい笑顔からのエネルギーに彷彿とさせるものがあるのです。萩原健一さんのご冥福をお祈りいたします。

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  • 27Mar
    • 叱られる親孝行

      こんにちは、雅です。還暦近いぞアワアワの私なのに実家に帰ると「3女」の位置は変わらず。昔から「海外に住んでいる変わったおばさん」だからたまに会う姪の子供でさえ私からの普通の待遇は期待してません。テヘ90歳になる母は今でも老人会のアクティビティやまだ働き続ける長女姉の代わりに台所を受け持つ元気な強者。でも、たまに会うそのたびに萎んでゆく様を見るのは切ないです。彼女の年齢だったら元気でいたって「ぽっくり」ってありますもの。でも実家に帰ると憂鬱なのが朝の早起き。フライトで疲れているときは実家に帰る前にホテルに泊まってゆっくり好きなだけ寝たいのが本音。私は昔から早起きが苦手で翌日に用事がないアラームをかけなくても良い朝は決まって9時半くらいに目覚めます。睡眠時間は9〜10時間くらいかしら。疲れが溜まってたらそれはもうぶっ続けで眠れるものよ。私くらいの年齢の人は長く眠れなくなると言うか眠らなくても平気らしいですけれど。それなのに母親は自分のペースでしかモノを言わず「長く眠るのは怠け者」ですからそれはもう朝の起こし方が人格を完全に無視したボロクソな言い方なのです!流石に「カチン!」のカの半分くらいちょこっとムカつくのですわ。子供の頃寒い冬の朝にいきなり布団剥ぎ取られたくらいでしたもんね。それを元夫に話した時には「おまえ、それ虐待されてたんじゃない?」って言われたくらい。いや、あれはそんな時代だったのだと思いますけど。まぁしかし、トラウマになったのは事実で元夫と結婚するときには「朝絶対起こさないこと」という唯一の条件を出したくらいです。まぁ私もいい大人ですからならば、目覚ましをかけて母が起こしに来る前にさくっと起きてれば良いものの毎日わざと母が起こしに来るまで布団に入っている甘えっ子でいるんですよ面白いことに。毎回毎回同じ質問と説教。私の家なし放浪のノマドライフは母親にとっては心配が尽きることなく前回言い聞かせても認知症始まったかなと思うほどに同じことをうるさく言われます。やっぱりカチンのカの半分くらいちょこっとムカついたりしますがそれでも辛抱強く同じ説明を繰り返す私。若い頃はそんな母の叱り方が大嫌いで言われればムカつくし彼女を満足させるなんて不可能なことだから会えば嫌な思いをするだけ。本当に実家に戻ってくるのが嫌でしたし喧嘩をして帰省の正月待たずして家を出てしまったこともありました。でも、今はとにかく彼女との時間を宝にしています。とっても口うるさいけれど別の部分では私を限りなく甘やかす母。いらないと言ってもお小遣いをくれるので受け取らないわけにもいかないのです。この歳になってもベイビーなのですね。そうすることで母が嬉しいことも知っています。私に説教をする喜び。私に小遣いをあげる喜び。ダメな末っ子を「演じて(半分は地だけど)」甘えっ子でいることで家の相関関係が成り立っていることを理解するからそう言う形で「親孝行」をしている私です。近年は「子供がえり」っていうんですか彼女が愛らしい幼女のような行為をすることも多くて長女姉と微笑ましいねと笑うこともしょっちゅう。平和であるには変わりありませんし私の心の平穏もそうすることで保たれています。

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  • 26Mar
    • マインドフルネスのおひとりさま

      こんにちは、雅です。父の法事のために日本に帰ってきています。寒い冬も和らいで桜を楽しめるなと思ったけれど宇都宮はまだまだ寒いです。たまに日本に戻ってくるとやっぱり最初の数日はいろんなシーンが新鮮ですね。東京にステイする時は上野近辺の下町情緒を楽しみますし新橋駅付近も前回から面白さを発見しています。私、おっさん化してるわ。汗日本に戻ってきて嬉しいのは何と言ってもご飯が美味しいこと。先日は新しいかき揚げのお店を見つけたので何気に入ってみたらチケット制でした。人為的なサービスを思いっきり外してお値段を大サービスみたいな蕎麦とかき揚げ丼のセットはなんと590円!それなのに200バーツしないわ!って頭の中はまだチェンマイです。宿泊費は高くつくけど外食の質に対する値段はやっぱり世界一って毎回かなり感心させられるのです。チェンマイでは主に屋台飯とかローカル食を頂いている私でしたが最後の頃は友人との外食が続いてました。近所に粋なイタリアンレストランがあってひとり600バーツの支払いになるなんて本当に珍しいことです。「なんだか一方的にお店決めて散財させてごめんね〜」なんて、コース仲間から一言あったけれど「いいわよぉみんなと一緒に食べるご飯って美味しいし。私、いつもひとりで食べてるからさ」そう応えたら「えぇ、ひとりご飯いいじゃない!私、大好き。マインドフルで食べられる絶好の機会よ!」別のヨガの先生のイギリス人女子がそう言ってきたのでおやっと、思いました。おひとりさまには慣れていたけれどマインドフルで食べられるから良いとは思ってもみませんでしたよ。カジュアルな場所ではなんとなくスマホ眺めながら食べちゃうときもあるし。恥マインドフルで頂く食事といえば『食禅』がありますがこれは小池龍之介さんの月読寺での座禅会に参加して初めて経験したものでした。質素なご飯と汁を一口ごとに箸を置き目をつぶって長い間咀嚼して頂く禅。そういえばそれを自らやっていた時もあったのだわ。いつの間にかすっかり忘れて食べるのが早い人になってしまうときもあるけれど。確かにおしゃべりをして気持ちが他に向いていると瞬間的には美味しいと思っても実際その美味しさを心底まで味わえてなかったりします。本当に美味しいものを食べてる人は無言になりますしね。と言うわけでそんな彼女の言葉を耳にしてから再びおひとりさまの食事が好ましく思える私です。そのかき揚げ丼のかき揚げにじ〜んと感動し目をつぶって頂いた私でした。確かに美味しさ倍増しますです!前回の新橋ではみなかったから多分に新装オープンしたばかりだと思います。美しい蘭の鉢植えが入り口に目立ってましたし。このかき揚げ要は10cmの厚さはありそうよ。お箸をガツっと突き刺し両手で左右に豪快に割りました。ぷりぷり海老がごろごろ出てきて感動。上野駅で見た日本の僧侶。東南アジアを散々まわってオレンジ色の袈裟をまとっている僧侶に見慣れていると日本の僧侶は本当に特殊だなぁと思わされます。高下駄履いてるだなんて今まで気づきませんでした。そういえばビジネス化されてる日本の僧侶の生活を知って信じられないと驚く東南アジアの僧侶たちの英語の記事を最近読みました。彼らの生活は本当に過酷な修行なので生臭坊主の生活はありえないのだそうです。笑

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