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中讃ミドルクラブログ

陸上は楽しくありたい!が原則で,それでも本気で世界一のアスリート育成を目指す,うどん県骨付鶏市を拠点に活動中!陸上クラブの日常を書き綴ります。

陸上の神様と言われた織田幹雄選手は,練習でさまざまな試みをしたそうです。
しかも,優勝したのは三段跳ですが,幅跳,高跳,ハードル,短距離,混成競技等あらゆる種目に挑戦し,たくさんの日本記録を樹立しています。
オリンピック等でも外国選手を冷静な目で観察し,本番で上がるのが日本人だけではなく,強いはずの黒人選手も上がるんだ,それは耳たぶが赤くなることでわかるというようなことにも気づいています。
こうした客観的な思考が世界一の栄光を引き寄せたのです。

ところがこうしたことは,ほとんど伝わっていません。
なぜでしょう?
そこに私は日本人の考え方が潜んでいるのだと思います。
それは「負けて悔いなし」という考え方です。
つまり「全身全霊で努力したのであれば,結果は二の次であり,例え負けたからと言って恥じることはない」という考えです。
これには私も大賛成です。
勝敗のみにこだわる人は私は大嫌いです。
私が中讃クラブを長年続けているのも「陸上を通していい経験をしてほしい」という願いからです。
決して「勝つために」「日本一になるために」しているわけではありません。
ただ「いい経験」の中の最高のものはやはり「好成績」「好記録」であることが多いために,それを目指すことが多いですし,そうした目標に向かって努力するという経験が今後の人生に大きく役立ちますから,とりあえず「大きな目標を立て,その実現に向けて頑張れ」と言っているだけです。
ですから,強い人だからと言って特別扱いはしませんし,弱いからと言って軽んじたりもしません。
これはみなさんがよく知っているはずです。
どれだけ努力したかが唯一の価値基準です。
毎回練習の後で発表しているその日の順位は,そうした基準(如何に以前の自分よりも進歩したか)で作っています。
そのため,必ずしも強い人がチャンピオンにはなっているとは限らないでしょう。

話を元に戻して,では私も賛同している「負けて悔いなし」がなぜいけないのでしょう。
それは,今までの日本のスポーツは,この前提条件をクリアしていないからです。
つまり「全身全霊で努力したのであれば」という部分です。全身全霊で努力するというのは,ただ人よりもたくさんの練習量をこなすということではありません。
この点が多くの(特にスポーツをやったことのない人)人にわかっていない点です。
量をこなすことが努力したことではないのです。
あくまでも「勝利目指して」「好記録を目指して」のための努力が必要なのです。
だから,「練習量を多くすることが勝利につながる」のであれば,練習量を増やせばいいのです。
しかし,現実は残念ながら違います。
人間の体は生身ですから,際限なく練習量を増やせば,必ずどこかで壊れます。
これは個人差が非常に大きいのです。
ですから,活躍した人が,偶然生まれつきからだが丈夫で少々の練習で壊れなかったために,多くの練習をして勝ったときに「猛練習に耐えたから強くなった」とコメントすると単純に多くの人は「なるほど,やっぱり猛練習が欠かせないんだ」となってしまうわけです。
そんなことが戦後の日本中を覆い尽くした結果が,世界から離される原因になったと私は考えています。
ある人には「猛練習」が必要かもしれないし,ある人には「動きを変えること」また別の人には「怪我をしない工夫」が必要かもしれないのです。
そこに個人差があるのです。
人間は機械ではないのですから単純にはいかないのです。
それを単純に「猛練習=栄光」としたのが多くのマスコミだというのは,いつも私が言っていることですからもう知っていますね。
だってマスコミの人たちは,自分たちがスポーツをしていませんからわからないんです。
もちろん漫画家や小説家も同じです。

さて,続きです。
では,どうして「努力」の方向が「練習量」だけに限定されてしまうのでしょう。

続きは次回。
では,また!!