先日投稿した「私があなたに触れた時」は、アロマハンドケアの際に、利用者様から聞いたお話がベースになっています。

 

 香りと手の温もりが心のブロックを溶かすのか、その方の記憶や思いがあふれてくるような場面に立ち会うことがあります。そういう時は私のほうも、境界が薄くあわくなっているようで、その方と二人、時間と空間が少し異なる透明の膜のようなものに包まれているような感覚になることがあります。「共感」と言ってしまえば言葉足らずで、それが起こった時は、本当に胸がいっぱいになり、今日はこの人に会うために来たんだな、と思うのです。

 

 最初のエピソードは、「おついたちの思い出」で書かせていただいています。手に触れながらお話していくうちに、どんどんその方の記憶が蘇ってきて、21歳の頃の自分やお父さん、お母さん、小さかった姪ごさんの姿を思い出されました。故郷の景色や結婚式を挙げた出雲大社の厳かな雰囲気も感じておられたと思います。

 確かに、それほど意識的にではないですが、きっかけになるような問いかけはしています。何がその人の心に触れるのかはわからない。何かの偶然かそうなることになっていたのか、時折扉が開くのです。

 

 二つ目のエピソードは、もう何年も前のことになります。アロマハンドケアのボランティアで訪ねた施設で初めてお会いした方です。

当たり障りのないお話をしていたと思うのですが、ふいにお兄さんのお話になりました。

 近いうちに出征することになったと知らせがあり、お兄さんのいた駐屯地に面会に行った。宿舎は松並木の坂の上にあり、夏の暑い日に坂を上っていった。手には差し入れのお弁当を持っていった。その時が、兄を見た最後だったと。

 私にも、その松並木や夏の日差しや風が感じられて、向かい合っているお二人の姿が見えるようで、その方と一緒に泣いていました。その方は、「こんなこと、今まで誰にも言うたことなかったんよ。今日は話せてよかったわ。」と、微笑んで言われました。

 

 アインシュタインが教えるような、難しい時間と空間の原理はわかりませんが、「あの頃」と思い出される「そこ」は、時間が過ぎ去ったとしても、どこかに確かに存在している、と感じることがあります。