史都、多賀城跡は平常宮跡【奈良県}、大宰府跡{福岡}、ともに、3大史跡に数えられ,市域の四分の一が遺跡になっているなど東北の拠点であった場所である。埋蔵文化財調査センター中心になり、発掘に努めている、

多賀城合併前、13村で構成され、埋蔵センター係員の説明を受けながら、江戸時代仙台藩の命で各村が提出した安永の風土記を手に多賀城、中央部の高崎村、田中村を巡る、駅前、10時集合。

東北本線多賀城駅、仙台より23分、240円

太子堂、

安永3年{1774}風土記御用書出には、多賀城廃寺跡から現在地に

移したと記されてる、安産の御利益があり、太子講の女性中心

信仰集めた

祈願の際には前掛けを一枚借り。お札参りの際もう一枚,添え

2枚にして返す風習があった

石仏立像、2尺8寸

 

熊野三社

化度寺、境内。祭日9月19日

風土記によれば宝永7年再建

説明する埋蔵センター係員

  化度寺

曹洞宗の寺院、高崎、東田中,志引地区中心に檀家を抱え現在の住職

26代目、中世には高崎氏の庇護受け園初代盛忠の法号を取って、化度寺となってる

 

 

 

 

 

三所宮

安永三年の風土記御用書出、村鎮守三所明神社と記されてる

現在周辺の伊藤氏の氏神となり、本家、分家の人々により、祀られてる

    志引遺跡

志引石という巨石をこの地に運んできた伝説上の少女祀る

宮城郡33番札ところの第32番所になってる。

志引石,

君が代は千引の石をくだきつつ、よろず、世ごとにとれとつきせし、

誰も動かせなかった千引石を若い女性が動かした、、、、伝説

観音堂

 

かくして、本年の、駅長おすすめの旅、終了した

4月7日、山形白鷹、古典桜と残雪の朝日連峰、スタート、本日の、多賀城まで、17回、{宮城県8回、山形9回}

2年間、ウィルの影響もあり、久しぶり動いた感じだ、いつも見渡せば最年長者、迷惑かけることなく、歩いた、、来年も歩こう、ただ、早朝出発、夜遅く帰る、8k以上走行、自重しよう。

健康に只只感謝である。