とび職に吉〇家の牛丼^^ | うつ病で精神障がい者だけど前向きに生きてやる!

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精神障がい者なのに働いてるのが奇跡?のうつ病伊達誠です。うつ病の辛い気持ちを分かってほしいので、正直な気持ち書いていきます。

●とび職に吉〇家の牛丼^^

 

 

こんにちは。伊達誠です。

 

今回は、うつ病の話からは、ちょっと離れて、私の生い立ちの話になります。

 

生い立ちと言っても、大学時代のアルバイトの話です。

 

 

晴れて大学生になって、私は東京都八王子市のアパートで、一人暮らしを始めました。

 

生まれて始めての、一人暮らしです。

 

一人暮らしをしてみて、最初に感じたことは、自分の生活力の無さ。

 

 

決して裕福ではない両親から、月7万円の仕送りをもらっても、とにかく私は、お金の使い方を知らなかった。

 

最初は、仕送りの1週間前には、生活費が無くなる始末。

 

私はよく、サークルの先輩に、1万円借金して、何とか食いつないでいました。

 

 

両親からは、7万円以上の仕送りは、さすがにお願いできませんでした。

 

父親が病弱で、パートで働く母親。

 

いま考えたら、月7万円の仕送りでも、とても有難いです。

 

 

私も生活のために、アルバイトを頑張りました。

 

大学1年生の夏休みに、やったアルバイトは、とび職の仕事でした。

 

足袋を履いて、高い所で作業する仕事ですね。

 

 

現場は、西永福町駅の近く。

 

八王子のアパートから、バスと電車2本を乗り継いで、朝8時までに、事務所に行かなければなりません。

 

とにかく、朝起きられなかった。

 

 

結局、 仕事に行けたのは、全部で9日だけでした。

 

もっと、近いアルバイトを探せよですね。

 

 

でも、仕事は真面目にやったので、とび職の家の兄さんに、弟のように、可愛がってもらいました。

 

昼休みに、兄さんの部屋に入れてもらって、いろいろ話をしたのを、鮮明に覚えています。

 

 

あと、とび職の仕事は、給料が日払いだったので、助かりました。

 

夕方に、「はい、お疲れ」と言われて、毎日7000円もらえるのは、お金の無い学生には、有難かったです。

 

仕事の帰りに時々、仕事仲間と中華料理店で、チャーハンを食べて帰ったものです。

 

 

大学2年生の秋からは、牛丼の吉〇家で、深夜のアルバイトをしました。

 

夜の23時から、朝の7時まで、八王子の駅前の牛丼屋で、働きました。

 

 

八王子の駅の近くには、2軒の吉〇家がありました。

 

私がバイトしたのは、駅前の飲み屋街の店。

 

もう1軒は、甲州街道(国道20号線)沿いの店。

 

 

2軒の距離は近いのに、客層は全く真逆でした。

 

私の店に来る客は、ほとんどが酔っ払い。

 

もう1軒は、車で来店する客なので、100%しらふ。

 

 

私は、酔っ払いの対応に追われる、毎日でした。

 

怒鳴る、からむは当たり前。

 

警察のお世話になるほど、暴れる奴もいました。

 

 

たちの悪い客は、自分の髪の毛をどんぶりに入れて、「おい、こら、髪の毛入ってるぞ!とう落とし前つけるんじゃー!」とやって来ます。

 

なのでアルバイト2人は、客から目を離せません。

 

髪の毛を入れる前に、「どんぶりに、自分の髪の毛入れないでください!」と、ピシッと言わないとなりません。

 

 

そんなお店も、八王子は、やっぱり八王子。

 

夜中の3時から4時までは、来客0の日が、結構ありました。

 

その時間帯は、朝定食の準備ですね。

 

 

朝7時までバイトして、11時からの大学の授業に出ても、まず起きていられません。

 

私は、90分のゼミの間ずっと、机に突っ伏して、ヨダレを垂らして爆睡していました。

 

 

そんなアルバイトを、大学3年生になる直前の、3月まで続けたました。

 

吉〇家の牛丼の良いところは、バイト代が、毎週振り込まれることです。

 

深夜のバイトだったので、時給が高くて、毎週2万円くらいもらえるのは、嬉しかったですね。

 

 

大学生活は、アルバイトばかりではありません。

 

勉強もそこそこしましたし、サークル、遊び(=社会勉強)、飲み会、恋愛などなど。

 

とても濃密で、思い出深い4年間でした。

 

 

今回は、学生時代のアルバイトの話をしました。

 

うつ病には、関係ないですが、私がどんな人間なのか、フォロワーの方に、知ってほしいためです。

 

他にも、様々なバイトを経験しましたが、その話は、またの機会です。^^