塚本拓朗
こんばんは、4年の塚本です。
とうとうこのブログを書く時が来たのか…
と、ちょっと寂しい気持ちで書かせて頂きます(笑)
まず、
自分は奇跡に近い状況で
中央大学に入学することができました。
この話は長くなるので割愛しますが、
自分にスカウトがきた時点で
「持ってる男説」は始まっていたと思います(笑)
入部してからは
仕事や上下関係が
予想をはるかに上回る厳しさで、
面食らってしまいました(笑)
バレーでも理生さんによく怒られ、
本当につらい時期があり、
何度やめたいと思ったことか…
そういう時でも
同期とバカやったり、
「ここは耐える時だ」
と励まし合ったりして
なんとか持ち堪えられたと思います。
また、理生さんが自分に怒るのは
期待の込めた鞭であることが分かっていたので、
それに応えようと必死に食らいつきました。
1年のときの東日本インカレでは
決勝戦で当時キャプテンだった渡辺奏吾さんが怪我をして、
代わりに自分が入ったのですが、
周りにカバーしてもらいながら
なんとか優勝することが出来て、
その瞬間にコートに立てていたことを
今でも誇りに思います。
2年目は
特に何も出来ないまま、
時間が過ぎてしまっていた気がします。
1年生に対して強く当たることが多かったと思いますが、
それに関しては後悔も反省もしてません!(笑)
学生の部活動において
上下関係はなくてはならないし、
仕事もしっかり覚えさせる必要があったからです。
「あーオレ嫌われてるんだろうなぁ」
と思いながらいつも怒ってました(笑)
でも
今では後輩と仲良くやれていると思うので、
あの時しっかり怒っておいてよかったと感じています。
3年目は
スーパールーキーが入ってきたり、
生まれて初めて日本一になれたりして、
貴重な経験ができた年でした。
正直、このあたりから自分の生き残れる、試合に出れる道はピンチサーバーしかないと思ってました。
バレーをやるからには試合に出たかったので、
どうすれば試合に出れるか?
自分なりに考えた結果がピンチサーバーでした。
4年目は
いよいよ、自分たちの代。
大好きな同期たち、
後輩たちとバレーが出来る最後の年。
この年から自分は選手兼学生コーチという役職につきました。
上半期は
部活に就活に授業にで、
すごく忙しい時期でした。
でもそんな忙しい時も
自分なりにポジティブに楽しんで過ごせたと思います。
自分らの代では四冠するのが目標でしたが、
東日本インカレではいい結果が出せずに、その目標を達成することは叶いませんでした。
その悔しさを糧に
チーム一丸となって最後の全日本インカレに臨み、
優勝できたときは最高に嬉しかったです。
家族、同期、後輩、スタッフの方々、
チーム関係者の方々、
応援してくれた方々全員に
この場を借りてお礼が言いたいです。
本当にありがとうございました。
この4年間を思い返していたら、
いろんな事があったなぁと染み染み感じてしまいます。
すごく長くなってしまいましたが、
正直、まだまだ書き足りないくらいの思い出が中央大学バレーボール部にはあります。
本当に密度の濃い、大学生活でした。
自分に関わってくれた全ての人に感謝しています。
特に
同期のまさひろ、ひこ、甲斐、さちよ。
今までありがとう。
そしてこれからもよろしく。
卒業したら別々の道を行くけど、
心は繋がってる。
絆。
年に一回くらいは集まろうね(笑)
あと、就職先は横河電機グループの
「横河マニュファクチャリング株式会社」に内定をもらっています。
横河電機の9人制のチームで
バレーボールを続ける予定です。
就活をしながら、
やっぱり
バレーボールから離れられない人生なんだなと思いました(笑)
卒業しても
「何事も気から」
をモットーにこれからの人生を歩んでいきます。
最後はもうすぐ始まる天皇杯で
胴上げしてもらって学生バレーを引退したいと思います!
長々と失礼しました。
塚本 拓朗