こんばんは⭐
中大軟式野球部です!
3年生ブログリレー第3弾🙌
(投稿1日遅れですみません💦)
本日の投稿者は、
連盟が主戦場、自称シティボーイの愛されパシリ
上野雄也です!
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こんにちは。
駒澤が生んだ清水依与吏こと立谷からご指名をいただきました、連盟が主戦場、自称シティボーイの愛されパシリこと
中央大学総合政策学部国際政策文化学科 上野 雄也(うえの ゆうや)です。
僕の前の2人、特に小牧正宣がとてつもないハードルの上げ方をしたので、なんとか3人目の読み物としてギリ読めるように頑張ります。、
そして、自分らしいブログになるように僕の人生の数ある思い出の中から3つ選んで頑張りたいと思います。
第1章 部員1人の軟式野球部
まず僕は中学から野球を始めました。
始めた野球部は先輩は10人いるけれど、その下が僕だけという入った時点で連合チームが確定していた野球部でした。今考えるとその状況でよく入ったと思いましたが、先輩たちの人の良さがその思考を忘れさせてました。
その先輩が引退してから顧問の先生2人と自分1人の生徒の方が少ない部活になってしまい、私は最初の頃グラウンドで1人で練習するのがとても苦しく、先輩たちがいた時とのギャップにより野球部に行くことを躊躇うようになりました。しかし、クラブチームに行っている同い年の友人たちが、平日だけでも自分のためにわざわざ時間を割いて練習に来てくれたことが、自分の中でとても嬉しく、その人たちの為にも何とか続けようと思いました。膝を怪我して半年間まともに野球ができない時も、その友人たちは嫌な顔を1つせず、一緒にリハビリに行ってくれたり、練習に付き合ったりしてくれました。また、顧問の先生たちも、1人だけの部員のために熱く指導していただいたり、近くで同じ人数の少ない野球部と連合組むよう手配してくれました。そのため僕は部員としては1人という野球をするには不自由な環境だったけど、その環境を不自由と思わないほど、周りの人たちに恵まれ、とても幸せな中学野球部を過ごすことができました。
第2章 高校野球部時代
中学で野球部の人数が私だけだったこともあり、高校に入ったら大人数のところで野球をしたいと考えていました。そこで家から近く野球部の人数も多い立正大学立正高校に進学しました。
そこは、前年度、那須の大会でとても良い成績を残したため、いろいろなクラブチームからめちゃくちゃうまい選手たちが集まっていて、中学野球部の出身者は半分いましたが、僕みたいに部員1人だけの人はいませんでした。そして人数も多いため、毎日がベンチ、レギュラー争いのように毎日が刺激的で、大人数で野球ができる嬉しさはあったものの、ストレスが半端なくて、入るとこ間違えたと思いました。
ともあれ、2年半そこでやっていかなければいけないため、自分の武器を見つけるため、非力な自分でも、戦えるものは何か探した結果、バントと言う武器を手に入れました。それからバントを手に入れた自分は練習試合で狂ったかのようにバントのサインが出続け、一時期は、代打バントなどバントをするマシンとなっていました。
しかし、バントしかできない自分にはベンチ入りのチャンスはなく、高校の2年半で公式な大会にメンバーとして出場することはありませんでした。
そのため、高校の野球部時代を一言で表すなら悔しいと言う言葉が似合うと私は思います。しかし、中学と違って常に大人数で野球ができる喜びを知れたこと、野球という1つの競技に真剣に向き合った事は自分の中で大きな財産となりました。
第3章 大学軟式野球部
最後に大学の軟式野球部のお話をさせていただきます。
それよりもまず大学の軟式野球部に入った経緯をお話ししたいと思います。
僕は一個上で主将を務めていたMさんにサークルの新歓で会って、そこで誘われて軟式野球部に入りました。入った理由はサークルでゆるーく活動しようとしていたけれど、体験会に行ってみたら少し緩い雰囲気はあったけれど、真剣に全国を目指しているメリハリのある雰囲気の惹かれて入りました。
軟式野球部では公式戦には多く出る事はできなかったけれど、ベンチメンバーとして全国大会3連覇や四冠達成という今までの野球人生では、経験できなかったことを経験することができ、軟式野球部入部してよかったなと思いました。どれくらい良かったかと言えば、大学に入ってからかなり本気取り組んでいた。マンドリン部と陶芸サークルを辞めるほどの良さでした。
さらに入部して良かったと思った事は、卒業してしまった頼りがいのある二学年上の先輩たち、1個上の癖の強い先輩たち、一個下のめちゃくちゃ大人びてる後輩たち、さらに新しく入ったテンションの高い後輩たちと一緒に野球ができたことです。そして、自分が連盟と部活の両立がなかなか難しくて、苦しんでた時に、話を聞いてくれたり、一緒に夜中までカラオケに付き合ってくれたり、休日一緒に遊びに行ったり、いろんな話を居酒屋や路上で語り合ったりした個性の強い同期たちと野球部の時間だけでなくて、他の時間も一緒に共有できたことが僕の中で1番の思い出です。
中学の時とは違い、人数も多く、何一つ不自由なく野球ができる環境、高校時とは違って、毎日常にストレスがかからず、楽しく野球ができるところといった。今まで私の野球人生のいいとこ取りをしたような部活がこの中央大学の軟式野球部です。
自分は今とても良い環境、仲間に恵まれて、野球もプライベートも自分の中では充実することができています。
自分は野球の才能はないけど、周りの人に恵まれる才能はあったのかなと最近思います。
一緒に野球ができることがもう少しという事実が僕は悲しいですが、残り少ない野球人生、今の仲間たちと楽しみたいと思います。
ここで余談ですが、僕の軟式野球部に入って思い出トップスリーを発表したいと思います。
まず3位は新人戦での一球種しかないピッチャーまさかのサインミス。
第2位は、ピッチャーの調子の悪さを僕に押し付けられて怪我も何もしていないキャッチャー3イニングで交代。
第1位は、2個上のキャッチャー脳筋だと思っていたらまさかのサプライズ上手。
以上の3つです。
ここまで拙い文章を読んでいただきありがとうございました。
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今回も知られざる過去や野球部への思いを聞けて、マネージャーも嬉しいです☺️
実は3年生の選手たち、ほんとーーに仲が良くて、1年生選手には気持ち悪いくらいって言われてました😂
次回は、
エキスポを愛し、エキスポに愛された母から生まれた大麻パンツが勝負下着の関西人
坂口晃一朗です!
明後日、10/11(土)に投稿予定です!
お楽しみに✨





