趣味を持つ理由 | 置かれた場所で咲くんやで!元JW2世の前向き備忘録

母の日おめでとうございました。

今年は何故かお礼を言う立場の子供達からは何もなくてですね…

と言うか、毎年仕掛け人(旦那)が子供たちに盛大な仕込みとやらせにより祝ってくれるのですが、

今年は仕込む余裕がなかったそうで笑、

母の日やけど旦那に祝われました。笑








子供に自発的に「ありがとう」って言わせるんはなかなか至難の技やでぇ…真顔

旦那、毎年ありがとう…






そう言うわけで基本的には仕事も育児も私のケアもする良い旦那ながら、

ゲームをする時間だけは昔から絶対に譲らない旦那。


私はゲームNGの家庭で育ったため、

そしてゲームに全く適性もなければ魅力も感じなかったため、

正直旦那のゲーマーなところは欠点(と言うかツッコミどころ)だと思っていました。

いい年やのにゲームだけは卒業できへんねんな〜、みたいなね。

ゲームの中毒性から抜けられへんのやな〜、可哀想やな〜と超上から見てました笑

あ、他のところはそれを補って余りあるくらい尊敬してるんやで!笑





でもこないだ喋ってて、今更になって分かったことがあって。


旦那がゲームをしたいのは、

「達成感を得たいから」

「自己肯定感を得たいから」

と言う確固たる動機があるそうなのです。



だから、別にゲームの媒体は何でもいい。

カードゲームでもいいし、将棋でもいいし、マネーゲームという意味では副業でも投資でもいい。


旦那は基本的に音痴の上に運痴ですが笑、

もし運動神経があればスポーツでも良かったし、

音楽センスがあればバンド活動でもピアノ演奏でも合唱でも良かったのだ、と。


自分が得意なものに打ち込んで、お手軽に達成感の得られることをしていたい、と。

(仕事や育児だと達成感得られるまで時間も精神力も体力もゴリゴリ削られますし、思い通りになる事ばっかりじゃないですからね)


私から見ると自己肯定感MAXで自分にめっちゃ自信あるように見える旦那ですが、

実は毎日コツコツ、自己肯定感を上げるためのワークをしていたんだと言う事に、

今更ながら気付いた次第です。



そして私自身も、合唱や読書が趣味なのは、

やっぱりそれが自分の得意な事で、必ず達成感を得られると分かっているから無意識に選んでいるんだな、と、

今更ながら自己分析した次第で。




私の自己肯定感なんて、

全く旦那に依存しまくっていて、

未だに吹けば飛ぶようなもんで、

恐らく旦那が隣に居なくなったら即日土台から崩れちゃうようなもんだと思っていましたが、

趣味って言うのは、自己肯定感を高めるための一つのツールなんですね。




恐らくJWにいた時は、

世の中で評価されるよりも容易く評価してもらう事が出来るため、

きっと辞めた後は「自分に価値がない」と言う意識に駆られやすい一面があると思うのですが、

「打ち込める趣味を持つ」と言うのは、その落ち込みを少なくしてくれる有効な方法なのだと思いました。


と言っても、JWの中にいる時から全くの無趣味と言う人はそうそういないと思うのですが、


必ず金銭や昇進で評価されてしまう仕事や、

「いいね」の評価が気になってしまうSNSや、

別れてしまえば不安定になる恋愛の他にも、

自分で自分を褒めてあげる、それだけで満足できるような何かを持つのがいいのだな、と。



ただ本を読むだけの「読書」と言う趣味であっても、

文字を追うことが苦にならない自分が好きだったり、

一冊を読み切ると言う達成感が得られたり、

受身なようであってもちゃんと自己肯定感を満たせる要件が備わっているから、

私はきっと本の虫なんだな、とか。


色々、気付かされることがありました。



旦那のゲームタイムも、ちょっと違った目で見えてくるな〜って。

ほんで、やっぱり私も、趣味の時間はそれはそれでちゃんと持たなあかんなぁって思った。

スマホをなんとなーくいじって時間過ぎるような時間の潰し方じゃなく、目的持って趣味やった方がええなぁって。








ちなみに趣味ではないですが、

最近あった気づき。


私、


議事録作るの得意やったらしい!笑




今年、自治会の総務になってしまい、

議事録作りをイヤイヤながら引き受けたのですが、

議事録と言うのは会議を聞きながらPCに入力して、

終わったらざっと誤字脱字ないか確認して極力早く配信するもんだと思っていたので、

その日中に配信していたのですが、

「早すぎる」と総ツッコミを受けました(そしてちゃんと書けてないんじゃないかと役員総出でチェックされました…不安)(結果、数字が全角と半角で統一されてないと言うツッコミを受けました…不安


なんせ長年公開公演や大会でノートを取り続けたおかげで、

「聞きながら後で見返しても分かるように要点をまとめて書く」と言うことが一度聞いたらできるのは、

実は(自治会レベルでは)なかなかな特技であったのだ、と。

前任さんはメモりながらボイスレコーダーに録音して、それを家で何度も聞きながら1週間くらいかけて清書していたらしく。

(1週間はかかりすぎじゃね…?と思ったのですが、所詮自治会だからと言うのもあるでしょうがみんなそんなもんだったらしいです)




まぁ、

そう言うお仕事をされている方にとっては「なんやそんな程度か」と言うレベルだとは思うのですが、

私自身「議事録を作る」のが「特技」だとは全く思っていなかったので、

この年になって新しい特技が見つかって良かったなあ、と思う次第なのでありました。笑



これも集会大会で「寝たらダメだ寝たらダメだ」って自分を叱咤しながら毎週毎週ノートを取り続けたおかげ…。

一応、学校の授業でもノートはとるけど、

あれは板書を写すだけやからなぁ。

先生のワンポイントとかはメモったりするけどさ。

ゼロから聞き取ってノートに起こすのはまたちょっと違うんやろなぁ。


でも、

大会の午後のシンポジウムとかは、

だいたいノートの半分はミミズがのたくってたよね。

あとは、眠気覚ましにカラーペン使いとかイラストの数がどんどん増えてったよね(一応関係ありそうなテイストで書くと言う偽装はしてたけど)

地域大会を寝ないで聞き通せる人なんてほんとにいるんだろうか。

「私、寝たことありません!」って人いたら教えてほしいです。


あと、

公開講演におけるノートを取ると言う作業は、

究極のところ話し手の筋書きを推察して自分のノートに再現する事だと思っているので、

もう、講演の筋書きを印刷して全員に配ったらええのになぁとは何回も昔から思ってました。


講演も何巡も筋書き回ってくるからさ、

おとんとか、

自分の昔講演した筋書き持って行って話聞いてたで(ほんで船漕いでたで)


印刷したのん配る方が、

下手くそな話し手が話すよりよっぽど有益やんかなぁー。

話し手の主観が混じって聴衆に誤った事伝えてしまう可能性も減るし、

時間だって節約できるしさー。

あれだけ「組織に忠実に」「真理はひとつ」って言うてる割には最後は話し手の魅力って言うマンパワーに頼ってんねんなーと思って。


まぁ、

学校の説明会とか、

みんな出席させられて時間かけて配られた資料の音読を聞くだけって言う苦行も大概ひどいと思っているので、

筋書きを配ったところで皆が「励まされる」のは確かに難しかったんでしょうね。


信仰っちゅうのは、

やっぱり心が動かんとどうしようもないからね。






そう言うわけで、

昔頑張って眠気に耐えてノートを取り続けていた元JWさん達は、

「議事録を作る」と言う特技があるかもしれません、と言う話でした。笑