今日、ニュースで、アフガンの人が帰還する米兵に1歳の赤ちゃんを手渡しているニュースを見た。
我が子のようにムチムチとして、とても可愛らしい赤ちゃんだった。
あの可愛い盛りの子供を他人に、しかも外国人に手渡せるほどの、自国への絶望とはいかなるものだろうか。
ニュースの子供は男の子のように見えたが、
もし女の子である我が子が今アフガンにいたとしたら。
将来は家に閉じ込められ、将来の選択の自由もなく、結婚の自由もなく、男の機嫌次第ですべてが決まってしまう。
女性だからこそ、の恐怖に、一瞬囚われた。
私は前にも書いたが、イスラムの文化は嫌いではない。むしろ男女平等を謳っていながら水面下の男尊女卑がえげつない某お隣の国の方がどっちかというと嫌である。
でも、タリバンのような、人権度外視の政権が生まれてしまうと、やはりとてつもない恐怖を感じる。
私はフェミには迎合しない。
どちらかというと昭和の価値観に生きていて、(だって昭和生まれだもの)
男女にはそれぞれ違う役割や適性があって、ある程度それを受け入れて生きていったほうが生きやすいと、なんとなく自分では思っている。つまり、結構古い考え方である。
でも、昭和初期、中期、男女同権のために、くだらない、意味がない、女はすっこんでろと言われながらも、ずっと戦うことをやめなかった、
むしろ同性からも応援してもらえない中頑張った先輩たちがいるからこそ、
私は「自分で選んで」昔ながらの役割を心から受け入れていることができるのだ。
教育も受けられた。雇用条件だって、参政権だって、そこに男女の差はない。
今、煙たがられながらも主張をやめない、過激派のフェミニストのような人がいるからこそ、
女性の立場は後戻りせずに済んでいるのかもしれない。
本当に、弱者の立場というものは一瞬で覆されるのだなと思った。
後戻りし続けた行く先を見せつけられた気分だった。
しかし、アフガンの人はなぜ絶望したのだろうか。
それは、自由を知ってしまったから、だと思う。
実は保守的なイスラムの女性の幸福度は、世界の中でも意外に高いらしい。
そういうものだと思ってしまえば、受け入れてしまえば、幸せに生きていけるのだそうだ。
それはすごくわかる。
私は子供時代、JW2世として、決して不幸ではなかった。
学校に行き、メディアを通して他の子供達の生活を知り、そうして初めて「ここにいるのは嫌だ」と思った。
外の世界を知らなければ、そういうものだと思って生きていけるのだ。
状況が悲惨でも、自分でその状況を悲惨と思わなければ、意外に人間、幸せなものである。
もし、JWが、ヤマギシやアーミッシュのように、小さな頃から外界と隔離して育てる宗教だったら、
きっと単純な私はそれなりに幸せに生きていたに違いない。
なにかの違和感はあったかもしれないけど、きっと耐えられないほどのストレスだとは感じなかったと思う。
つまりは、外の世界に目を向けないように、背教者と接しないようにと言うJWの方針は、ある意味で賢明だとは言える。
それが本当に自由意志で本人が決めたことならば、決めた後は外界に目を向けない事こそがJWとしての幸せにつながるのだろう。
現在民主化されているブータンは、
貧しい国であったが、かつては「国民総幸福度」が世界一だったという。
それは、国王の施策で、国民にインターネットを公開しなかったからだ。
外の世界を知り、自分たちで国のトップを選び、国の行き先を決めなければならない、となって、
ブータンの人々の幸福度はかなり下がったのだという。
それでも、国王は、自ら勇気を持って国民に「知る自由」を開放したのだ。
人として何が幸せなのか。
すべてが理想の世界になる、などという夢はもう抱けない。
けれども、自分はここで幸せになる、と、
腹をくくる覚悟があるかどうか、で、何かが変わってくるのかもしれない。
それを妥協と呼ぶのかもしれない。
それでも、我が子がアフガンにいなくてよかったと思う。
我が子が日本に、そしてJWから抜け出た一般家庭の我が家に生まれてきてくれてよかった、と思う。
米兵に手渡された、あのムチムチかわいい赤ちゃんが、どうか笑顔でいられる環境で生きていけますようにと、願う気持ちはやはり止められない。