逆転人生 | 置かれた場所で咲くんやで!元JW2世の前向き備忘録

「逆転人生」遅ればせながら録画で見ました。
ハートネットTVの時よりぐぐっと切り込んできたな?
え、そこまでボロクソ言っちゃって訴訟とか大丈夫?くらい、逆に心配になるレベルでした笑

坂根さんという方は、著書も拝見したり、ブログをちょいちょい拝見したりして、普通の元JWとはちょっと一風違った方かな?と言う印象があったのですが、自分の過去や、写真、お名前までさらけ出して語ると言うのは、ものすごい偉業だと思います。
正直、そうしたくとも、一般的な元JWにはなかなかできへんことやと思うわ。それが彼女の強さ、ある意味での健全さなんでしょうね。

番組の方向性として、多少大げさに脚色されていたり、JWとして一般的ではないだろう面もありましたが、
「JWの2世が抱える問題」と言う面にはより深く掘り下げてくれたのではないかと思います。
コメンテーターはズレとったね。山ちゃんの相槌だけでよかったわ。
ま、でも、あれが一般的な友人の反応だというのは私も結構感じて来たので(親の愛ってありがたいもんだよ、なんだかんだ言って最後まで残るのは親子の絆なんだから、親大事にしなきゃダメだよとは結構当時言われた)
悪意あってのコメントや編集ではないのではないかな、と思います。


私が刺さったところをふたつほど。

・依存してしまうこと

親に(組織に)善悪を決められ、自分の意志がなくなってしまうので、
なにかに、あるいは誰かに依存しないと生きていけない、と思ってしまう。

すごい分かる。
ほんで、私も、こういう依存心があるうちはJWの影響から抜けたとは言えない、と、思ってた。

辞める時ですら、私は既に坂根さんのように重度のアトピーだったので、
自立しているとはとても言えない状況で、
そして依存先を結婚相手である旦那に変えるだけだと自覚もしていた。

だから、それでは申し訳ない、どうしても旦那に寄っかかりすぎてしまう、と言う話もしたんだけど、
ええから、今はそこから出ることが最優先なんやから、頼っとき!と言われて、
ありがたく甘える事にしたのだ。思考を放棄して。



・・・で。

今、私が自立しているかといいますと。

いや、むしろ昔より依存しとんちゃうかな。笑

旦那おらんくなったら生きていけへんわ。精神的にも経済的にも。
でも、依存している自覚はあるし、
幸い旦那が依存されていることを悪用するタイプの人間でもないので、まぁ、普通に健全に生きている。

考えてみれば、人間何かしら、大なり小なり何かに依存して生きている。
大きく言えばこの社会の枠組みには皆依存している。
完全に自給自足して生きていっている人なんてほぼゼロだし。
お酒、タバコ、何かしらの趣味、セックス、スリル、
そうしたものに一時の逃避をしないと日常生活を送れない人もいる。


それが悪いか?というと、

「度を越さなければ大丈夫」
「依存していることを自覚してある程度コントロールできていれば大丈夫」


というところではないだろうか。

つまりは、


・健全な依存先を見つけること
・複数の依存先を確保しておいて、それがなければ生きていけない状況を回避すること


依存=ライフライン、と言い換えてもいいかもしれない。
そこをクリアしていれば、依存することそのものは悪くない、と思う。
まぁ、ベタベタに旦那に寄生中の私から言われてもどないやねん、と言う感じではあるけれども。笑

依存する自分を許せる、ということは、
つまりは、依存する親を許せる、ということでもあると思う。

坂根さんの「100%許せた」には、心から深く共感を覚えた。
彼女とは状況は違うかもしれないが、
親になって、親という生き物の不完全さを身にしみて感じたときに、

 

ああ、親も依存することが必要だったのだ、
そして親という生き物は、自分で思っているよりずっと大人ではなかったのだ
、と、
 

ずーん、と心に落ちた。

それでキズが癒えるわけではないし、問題としては何一つ解決はしていないとしても。
少なくとも、心のなかでは解決した、と、私も思っている。


・正しいより楽しいを

JWから出るにあたって、
私は組織が間違っている、と、納得行くまで調べて確信したわけではない。
でも、たとえすべてJWが正しかったとしても

私はJWとして生きたくない、
楽園での将来に魅力を感じられない、と、
そう感じたから、JWを辞める踏ん切りがついた。
最初は罪悪感とのせめぎあいもあったけれども、

段々と、「生き物として幸福を追求することが悪いわけがない」と思えるようになっていった。

組織の闇や、歴史的な間違いや、聖書との食い違い、そして聖書そのものの正当性にまで思いが至ったのは、
脱塔して数年後のことである。
で、それを知って衝撃的だったか、と言うと、
うーん、ぜんぜん?と言う感じだった。
本能的に「おかしい」と思っていたことが答え合わせされたような、それだけな感じだった。

そこまで洗脳が深くなかった、というだけかもしれない。
でも、楽しい方、楽な方を選んでいいんやで、と、自分に許可を出した時、
本当に霧が晴れたような気持ちだったことを私も覚えている。


今も、無意味にしんどい方を選んでしまいがちで、ドMやなぁ、と旦那に言われることがよくある。


しんどいほうが偉いんちゃうんや。
楽で、幸せな方が、健全なんやで。


今も、自分に時々言い聞かせてあげないといけない。
でも、確実に、JWとして生きていた時より、すんっごく幸せで、自分に正直に生きている、と、それだけは言える。

逆に言うたら、私が楽しい生き方を選んでいる以上、
JWを信じている人が楽しいと思うなら、それを選ぶ権利ももちろんあると思うのだ。
承認してくれる仲間がいる。やることがある。意味のある人生を生きていると思える。
そうした事をJWで得ることができた人にとっては、たしかにJWでいることが幸せで、楽な道なのだ。
私とは価値観が合わないけれども、
その人生を否定したり、人としての中傷や非難をするのは、自分を否定しているのと同じことだと思う。



子供を見守っていると、
「なんでそういう事するかなー」「なんでもっと頑張られへんかなー」
って言うことはいっぱいある。

でも、本来、人間の発展とは、「楽しい」をずっとずっと突き詰めた向こうにあるものだ。
子どもたちの自分とは違う常識に戸惑うこともあるけれども、
子どもたちの「楽しい」を、できる限り重視していきたいな、とも思った。