JWでいたいと思っていたもう一つの理由 | 置かれた場所で咲くんやで!元JW2世の前向き備忘録

2世にとって、組織が間違っているのではないか、とか、
しんどい、世の中のほうが楽しい、私にはもうエホバの求めるものについていけない、とか、
そう思う気持ちに対抗する一番の要因は、

きっと家族であったことと思います。

私にとってももちろん家族が最後までネックでした。


ですが、それ以外にもう一つ、
どうしても最後まで思い切れなかった理由があります。

それは、2世友達が、私が小学5年生の時に亡くなったことでした。





彼女とはまさに赤ちゃんのときからの友達でした。

天真爛漫、ちょっとおバカさんで、いつも何かやらかしてはムチされてたけど、
1分後には忘れてニコニコして、また悪さをやらかすような、どこか憎めない「悪ガキ」タイプの子でした。
2世にはとても珍しかったのではないかと思います。

私も2世として、霊的な活動こそは模範的に頑張っていたものの、
本当は木登りや秘密基地ごっこが大好き。
木から落ちたり、秘密基地の設置中に池に落ちたり、自転車を両手放しで暴走させて怪我したり、そんな日常でした。笑
そんな本当の私が素で付き合える相手で、そして自由な彼女にどこか憧れてもいました。

彼女のお母さんはもともとうつ病の気があり、
集会には来れたり来れなかったりしていて、
「模範的」という家族ではありませんでしたが、私の母はよくお母さん姉妹に付き合って話を聞いていました。
母も気が合ったのか、それともJW同士の気遣いの一部であったのかは正直よく分からないところではありますが、
少なくともお母さん姉妹には割と慕われていた関係だったとは思います。

そんな活発な彼女でしたが、
実は心臓が少し悪い子でした。
そんな元気のないところは私は見たことがなかったので、彼女が持病を抱えていることなど、普段は気に留めることもなかったのですが、


5年生になって少したったある日。



彼女は突然、学校へ行く道すがら心不全を起こし、


そのまま帰らぬ人となってしまいました。



祖父母ですら見送った経験のなかった私には、
それが初めての、「身近な人を亡くす」という経験でした。

学校から帰ってその一報を聞いた私は、どう反応していいか分からず、
とっさに家にあったショパンのCDから「葬送行進曲」を再生したのを覚えています。

とっさに手にとったのが賛美の歌の復活がテーマの曲ではなく、ショパンだったのが今思えば私の本音だったのかもしれません。


集会場でお葬式は行われました。

あまりに若すぎる彼女の死に、会場は涙に覆われていました。

彼女はまだ神権宣教学校にも入っておらず、集会も休みがちでしたが、
隣の会衆からも彼女を知る兄弟姉妹が参加し、席は後ろの廊下まで一杯でした。

復活の希望が話されましたが、それで希望を持とう、という雰囲気よりも、若すぎる死を悼む涙で会場は埋め尽くされていました。


私のような赤ちゃんのときからの知り合いだけでなく、
つい最近会衆に交わったばかりの家族や兄弟姉妹までが、あまり集会に来ていなかった彼女の事を思って号泣しているのを見て、
なんてみんな温かい人達なんだろう、
むしろ、そんなみんなを観察する余裕がある私のほうが冷たいんじゃないか、くらいに思ってしまうほどでした。

彼女のお父さんは未信者だったので、普通のお通夜とお葬式も執り行われました。
私もお通夜には行って、最後のお別れをすることができました。
でも、最近できた真新しい式場の素っ気ない感じの中に、お花と棺だけは豪華な中に眠る彼女は、

どうしても会衆で行われた葬儀と比べると、寂しそうに見えてしまいました。


あの子に、楽園で会いたい。


その思いは、きっと友達を亡くした子供としては当たり前の、ごく健全なものだったと思います。

私は5年生の終わりに献身しました。
当時は離れてしまった兄の身代わりに頑張る気持ちもありましたが、
彼女を亡くした事も大きな要因の一つです。

一般の世の中がいかに楽しくて、
自分がいかにJW向きじゃない性格をしていても、
いかに奉仕に喜びを持てなくても、

あの子に会えなくなってもいいのか??

という思いは、反抗期真っ只中だった私の中にあって、かなりのウェイトを占めるものでした。

JWの教えがまるごと正しいわけじゃない、と、薄々気づいていた時も、
復活の希望を捨て去ることは最後までできませんでした。
捨てされない私が辞める時にどうしたか。

彼女のことを考えるのを、おそらく辞めたのだと思います。


今でこそ、JWの教理は全く信じていない私ですが、
辞める時は聖書への信頼はまだかなり残っていたものですから、
正直、辞める時は、
亡くなった彼女への思いよりも、
旦那と結婚することや、世の中で楽しくやっていきたい、という思いの方が上回っていたのが正直な気持ちだと思います。

亡くなった人への思いが時が経つごとに薄れていくのは健全なことだとは思います。

でも、私が過去を振り返るときに、まるでまるごと避けるかのように、彼女を思い出すことが最近までなかったのは、
どうしても隠しきれない、罪悪感のようなものがあったのではないかと思います。

結局、彼女に会えなくなってもいいと思ったから出てきたんだよね、と、
そこを認めるのは、正直辛かった。

昔に書いた生い立ちを見返して、そして今まで自分が書いたブログを見返して、
彼女のことが全く触れられていなかった事に、自分でも衝撃を受けました。



実は、私はそれ以降、知人や親戚の葬儀に参加したことは一度もありません。

彼女のお葬式だけが、故人を見送ったただ一度だけの機会です。

彼女のお墓がどこにあるかなど知るすべもなく、
信仰のない私には、
生前の彼女を思い出す事が、唯一の彼女を悼む方法です。




実は、彼女のお母さん姉妹は、その後10年ほど経って、排斥となりました。

おそらくは娘の死が原因で重度の躁うつ病になっていた彼女が、
どういう理由で排斥になったのか、私は知るすべもありませんが、
排斥になる前後、よく我が家に彼女が来ていて、母が話を聞いていたのを思い出します。
唯一の話し相手であった母を失って、あのお母さん姉妹はどうしているのでしょうか。ちゃんと精神のバランスを保てているのでしょうか。

また、彼女の数年後に生まれた妹がいました。

その子は、お母さん姉妹が集会に行かなくなった後も、会衆の若い姉妹に援助されて、やがて家族で一人献身した身となりました。
実は、私もその子に勉強を教えてあげたり、いっときは研究を司会していたり、何くれとなく面倒を見ていてあげたのですが、
私がJWを辞めたことにより、その子との絆も切れてしまいました。

お母さんが精神病で、姉も亡くなって、その子自身もおそらく精神的に不安定なところがあり、
そうした状況で「JWをやめる」と言う私の行動は、きっと大きなダメージを与えたと思うのですが、
その時はそこまで思いやってあげられる余裕が私にもありませんでした。



色んな人を傷つけて、色んな人の思いを断ち切って、私はJWから出てきました。

出てきたことはともかく、傷つけた事は事実なわけで。
どうにか、もっとうまくやれなかったのだろうか、と言うやりきれない思いは、正直なところ今もかなりくすぶっています。


若さゆえの過ち、黒歴史は誰にでもあります。そのひとつとして数えても良いのかもしれません。
が、
それだけで忘れ去りたくない、大切だった思い、というものも確かにここには存在しています。


どうか、せめても、彼女の家族が元気に過ごしていますように。