置かれた場所で咲くんやで!元JW2世の前向き備忘録

と言う投稿を目にしたので、

しばし考えてみました。


皆様はいかがですか?


赤ちゃんの時

小学校入学時

中学校入学時

高校入学時

大学入学時

バプテスマを受けた時

JWをやめようと思った時

結婚した時

就職した時


色々あると思います。





私は学生時代、ずっと過去に戻ってやり直したかった。

学生時代というのはつまり、まだ自分がJWであった時です。

あの時こうすれば、この時こうすれば、もっとうまくやれたかも、もっと友達いたかも、って。


でもその時には、

JWを辞めるという選択肢は頭の中に浮かんですらいなかった。



「JWとして生まれなかったら」を想像したことは何度もある。

でも、「あの時バプテスマを受けなかったら」なんて選択肢はひとつも浮かんでこなかった。

芯までJWだったんだなぁと今思えば思います。


そして、脱塔後も数々の黒歴史を築いてきた私ですが、

「もっと早くJW辞めればよかった」

って思ったことも実はほとんどない。

あれはあれで私のベストタイミングだったんです。

その前に辞めていても、自立していない状況で家も出られず、親は気が狂って、進学にも恐らくお金は出してもらえず、

単に地獄を見ただけなんじゃないかな。



そして、JWを辞めた今振り返ってみても、

「あの時バプテスマを受けなければよかった」と言う思いは

実はないことに気づきました。



何故なら当時、バプテスマを受けるということは、

親の研究生からの卒業であり、

より大きな(組織の中ではあるけれど)自由を得るチャンスであり、

親のJWとしての自尊心を取り戻させてあげる唯一のタイミングだったからです。実際、あの時私がバプテスマを受けていなければ、親子関係も悪くなる一方だったし、母の心は壊れてたんじゃないかと思う。

我が家、兄も排斥、姉は世の人になってシングルマザーで、義理の両親の介護もあったし、

ついでに更年期も真っ只中でしたから。


そして、そんな半分狂った、

今や自分より知識量も論理でも劣る親にこれ以上「研究」(今は聖書レッスンで言うのよね)をされる事が耐えられなかった。

だって、出版物読んで、書いてある事答えるだけですよ。まだしも集会の注解(コメントって言うのか!めんどくさいな!)のための予習の方が工夫の余地があるだけ楽しかったし、

ちゃんと(?)聖句も洞察も調べてメモって、「自分の言葉で」注解してましたよ。



で、そんな模範的な2世をやって、小学校5年でバプテスマを受けたおかげで、

私はある程度の信用と自由を得て、

よその会衆に参加すると言う建前で色んなところに旅行に行ったり、親の関与しない(JWの)(ちょっと不良な)友達を作ったり、

「世の人」である姉のところにお泊まりする事ができて、それで色んな楽しい経験ができたおかげで、

JWの理不尽さをギリギリ飲み込む事ができていたんだと思います。

言うても未成年ですから、親の庇護なくては生きていけなかった訳で、

その中で病まずに済む最適解だったんじゃないかな。きっと。



正直、日本全国どこに行っても「王国会館」と言うセーブスポットがあり、

そこに行くと大抵歓迎してもらえて色々教えてもらえると言うのは、なかなか出来ない旅体験だったなぁと思います。兄弟姉妹のおうちに泊めていただけるから旅費もかからなかったし。

数えてみれば、福岡、大分、熊本、鹿児島、青森、岩手、福島、鳥取、岡山、山口、大阪、神奈川、東京で集会に参加して来ました。なかなか楽しかったのが正直な感想だし、きっとJWの家でなければそんなに旅行することもなかっただろうなと思います。

今はそんな旅好きの心をYouTube見る事で紛らわせてますが、ほんとは色々行きたいのですよ…。




当時行った竜泉洞に奥入瀬渓流

流石にJWの時には行けなかった恐山にはこないだリベンジで行って来ました

温泉サイコーでした






↓以下はリベンジ恐山








そもそもJWの家庭に生まれなければ良かったと言うのはもちろんですが、

そもそも我が家の場合、JWになってなければ両親の関係が破綻していて私は生まれてこなかったと思われるので、

そしてこんな人生でも、ありがたいことに「生まれて来て良かった」とは思っているので、

そこを否定するのも難しいなー、と思うのです。







とは言え。


ひとつだけやり直したい事があるなーと、

ちょっと思った。



それは、

高専を辞めるんじゃなかったと言う事。



私、先日不惑の年を迎えまして。

今、子供の都合や体力や色んな事情でしがない事務をやってますが、

正直、

もっとものづくりに関わりたかったと思う。


私の同年代、旦那も含めてですが、今が1番エンジニアとして脂が乗ってる時で、

重要プロジェクトにもどんどん参加したり起業したり、転職して理想の職場を見つけたりしてる時で。


こちとら、今はものづくりの端っこですらない業界です。

製造業の購買をいっときやってましたが、それも業界の商社のような立ち位置なので、見るのは納期と金額のみ。図面はある程度読むけど、自分の手で作るわけでもない。

やりがいはあったけど、正直、作る方に回りたかったなぁって。



もちろん、私の頭が理系向きでないのはよく分かってます。

ただ、

私は小さな頃から、テクノロジーがすごく好きだった。

興味だけは人一倍あった。

高専の数学は苦痛でしかなかったけど、それでも専門科目や工学実験をやっているときはいつもワクワクしてた。電子工学の教科書は意味がわからなかったけど、ただただその文字列やグラフを追うだけで楽しかった。いつかプロジェクトXに出るような仕事がしてみたかった。



その興味そのままに、なんとかかじりついてでも卒業していたら、

少なくとも自分の手に製品が、技術が触れる仕事をしていたんじゃないかなって、

そんなことを最近よく考えます。



「不惑の年」なんて嘘やね笑




そうしてバリバリ働いていたなら、

ひょっとしたら子供は4人もいなかったかもしれないし、

そうするとめちゃくちゃ可愛い末っ子に会えなかったかもしれないし、

それはそれで嫌だなぁと思うのですが。


ちょっとだけ。

あの時高専続けてれば良かった、って、

それだけはなんか残ってるんだなーって思うのでありました。







今の仕事、暇すぎやねん…。

お客さんと接することは多いけど、それ以外の時間がめちゃくちゃ暇…。

勉強したり掃除したりしてますが、私物を持ち込んだりネットしたりできない職場なので、

相方とおしゃべりするくらいしかやる事がない。

一日がめっちゃ遅く感じます。

もっとバリバリ働きたいよー