われわれプロテスタントのクリスチャンにとって、
クリスマスと並ぶ、
2大記念日の一つ、イースター。
実は、それが、来週の日曜日です。
で、フィリピンはアジアで唯一のキリスト教国だと言われますが、カトリックなんだよね。
私はプロテスタント。
意外と全然別モノなので、私は彼らの習慣をあまり知らないことが多い。
だから日本ではキリスト教と仏教の違いが目につきますが、ここではカトリックとプロテスタントの違いが、こういうときに目について、新しい勉強になります。
で、来週のイースターに向けて、
今日からカウントダウンが始まります。
カウントダウンはカトリックもプロテスタントも同時にスタート。
本日日曜日が棕櫚(しゅろ)の日曜日。
月ー水はおいて、
木曜日にレオナルド・ダ・ビンチの壁画で有名な最後の晩餐。
金曜日にイエスキリストは十字架に架かって死んだ。
土曜日おいて、
日曜日に復活された。それがイースター(ドイツ語起源?)と呼ばれる復活祭。
そんな一週間の始まりです。
昨日から街中でこんな露店が並んでいました。


これは、棕櫚の葉をイメージした飾りです。
ちょっとファンシーにデザインされてます。
カトリックの方々はこれを買って、
今日の教会に持って行くんです。
そしたら礼拝のなかで、司祭さまが手に手に持たれているその葉を祝福する時間があります。
列席した人たちは自分の葉を高く掲げ、
祝福を受けます。
祝福を受けた飾りは、来年まで魔除けになります。
つまり、カトリックの破魔矢だな。と、私は結論付けることにしましたけど。
来年、この「破魔矢」を燃やす日が持たれます。
そして燃やした灰を司祭さまに額(おデコ、ね)につけてもらって、
「清め」の儀式になります。
その灰は自然に取れるまでそのままです。
学校にも職場にもそのままで行きます。
灰を見てギョッとする人はいないそうです。
けっこうそういう人が街に溢れるから、なのと、
よく知られていることなので、あ、やってもらったんだな、という程度らしい。
灰がなかったら?
それも、宗教が違うのね、と思われるくらいだそうです。
ちなみに、わざと灰を自分で拭き取っちゃうと?
それは踏絵を踏んだ行為になるそうです。
恐ろしい背教&侮辱です。
聖書にそんなこと別に書いてないので、プロテスタントの私たちは同じように「魔除け」も「清めの儀式」もすることはありません。
結局どこかで人間が、おぉ、こんなのしてみよう、って礼拝に入れちゃった。
聖書にそうしろと書いてあるからしてるわけじゃない。
と、私は思ってますけど。
ま、なんか、人間が考える「魔除け」とか「清めの儀式」って、
東洋も西洋もどれもよく似てるなぁと思います。
そんな我々は「破魔矢」の前は素通りで教会へ。
以前からおいで、おいでと牧師先生に誘われてた教会。

私たちは密かに彼を「小林薫せんせい」と呼んでいます。
似てると思います。
元気に賛美して、ちびっこタンバリン踊りチームもダンスしてました。

私の隣にいたおばちゃんが、突然耳打ちしてこられました。
「マイク持って歌ってるの、うちの娘なの」
「そうなんですか!キレイな声で、ステキな娘さんですね」
「ありがとう。でも、癌なの」
一瞬、事の展開についていけず、聞き返しました。
でもやっぱり、癌でした。
大学4年生。あと数週間で卒業。
全然元気そうに見えるんだけどね。
「癒しの奇跡をお祈りしてるの」
礼拝の間中、娘の姿に涙があふれ、
神様のみ言葉に涙があふれ、
お祈りに涙があふれておられました。
あたしももらい泣きしてました。
それでも抗がん剤治療の効果があがって感謝だとのことでした。
礼拝後、娘さんとも話しました。
本当に目も体も雰囲気もキラキラ輝いている子でした。
こんな若さでこんな状況で、
なんだこのキラキラ感は、と、
その姿にまた感動して涙が出ちゃいました。
イエス様ってすごいです。
「主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。」第1テサロニケ 5章10節
「イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」ヨハネの福音書14章6節
クリスマスと並ぶ、
2大記念日の一つ、イースター。
実は、それが、来週の日曜日です。
で、フィリピンはアジアで唯一のキリスト教国だと言われますが、カトリックなんだよね。
私はプロテスタント。
意外と全然別モノなので、私は彼らの習慣をあまり知らないことが多い。
だから日本ではキリスト教と仏教の違いが目につきますが、ここではカトリックとプロテスタントの違いが、こういうときに目について、新しい勉強になります。
で、来週のイースターに向けて、
今日からカウントダウンが始まります。
カウントダウンはカトリックもプロテスタントも同時にスタート。
本日日曜日が棕櫚(しゅろ)の日曜日。
月ー水はおいて、
木曜日にレオナルド・ダ・ビンチの壁画で有名な最後の晩餐。
金曜日にイエスキリストは十字架に架かって死んだ。
土曜日おいて、
日曜日に復活された。それがイースター(ドイツ語起源?)と呼ばれる復活祭。
そんな一週間の始まりです。
昨日から街中でこんな露店が並んでいました。


これは、棕櫚の葉をイメージした飾りです。
ちょっとファンシーにデザインされてます。
カトリックの方々はこれを買って、
今日の教会に持って行くんです。
そしたら礼拝のなかで、司祭さまが手に手に持たれているその葉を祝福する時間があります。
列席した人たちは自分の葉を高く掲げ、
祝福を受けます。
祝福を受けた飾りは、来年まで魔除けになります。
つまり、カトリックの破魔矢だな。と、私は結論付けることにしましたけど。
来年、この「破魔矢」を燃やす日が持たれます。
そして燃やした灰を司祭さまに額(おデコ、ね)につけてもらって、
「清め」の儀式になります。
その灰は自然に取れるまでそのままです。
学校にも職場にもそのままで行きます。
灰を見てギョッとする人はいないそうです。
けっこうそういう人が街に溢れるから、なのと、
よく知られていることなので、あ、やってもらったんだな、という程度らしい。
灰がなかったら?
それも、宗教が違うのね、と思われるくらいだそうです。
ちなみに、わざと灰を自分で拭き取っちゃうと?
それは踏絵を踏んだ行為になるそうです。
恐ろしい背教&侮辱です。
聖書にそんなこと別に書いてないので、プロテスタントの私たちは同じように「魔除け」も「清めの儀式」もすることはありません。
結局どこかで人間が、おぉ、こんなのしてみよう、って礼拝に入れちゃった。
聖書にそうしろと書いてあるからしてるわけじゃない。
と、私は思ってますけど。
ま、なんか、人間が考える「魔除け」とか「清めの儀式」って、
東洋も西洋もどれもよく似てるなぁと思います。
そんな我々は「破魔矢」の前は素通りで教会へ。
以前からおいで、おいでと牧師先生に誘われてた教会。

私たちは密かに彼を「小林薫せんせい」と呼んでいます。
似てると思います。
元気に賛美して、ちびっこタンバリン踊りチームもダンスしてました。

私の隣にいたおばちゃんが、突然耳打ちしてこられました。
「マイク持って歌ってるの、うちの娘なの」
「そうなんですか!キレイな声で、ステキな娘さんですね」
「ありがとう。でも、癌なの」
一瞬、事の展開についていけず、聞き返しました。
でもやっぱり、癌でした。
大学4年生。あと数週間で卒業。
全然元気そうに見えるんだけどね。
「癒しの奇跡をお祈りしてるの」
礼拝の間中、娘の姿に涙があふれ、
神様のみ言葉に涙があふれ、
お祈りに涙があふれておられました。
あたしももらい泣きしてました。
それでも抗がん剤治療の効果があがって感謝だとのことでした。
礼拝後、娘さんとも話しました。
本当に目も体も雰囲気もキラキラ輝いている子でした。
こんな若さでこんな状況で、
なんだこのキラキラ感は、と、
その姿にまた感動して涙が出ちゃいました。
イエス様ってすごいです。
「主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。」第1テサロニケ 5章10節
「イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」ヨハネの福音書14章6節