涙が出そうにきれいな桜。


4月から師匠は別の学校へ。

師匠との出会いは7年前で、その1年間のことを鮮明に覚えている。
小学部のプレイルームで1年生と遊んでて、なんか話しかけられたんだけど、雲の上のすごい人なんだよ!って同じクラスの先生に言われたのがはじまり。
1学期の終業式の後電話きて動揺して。
9月に太田ステージのこと質問して。
11月に事例研に出て、そのあと生単のこと相談した気がする。
それ以降の記憶はごちゃまぜ。

師匠はおっとりとした人で、優しい人として認識されていた。
でもわたしには厳しかった。。しょっちゅう怒られてたし、「そんなことも知らないの?」ってよく言われた。

怒られたこともつらかったけど、それよりもつらかったことがある。
師匠とわたしの間には透明な壁があって、師匠は壁の向こうのキラキラした専門家の世界に住んでいて、向こう側は見えてるのに、自分はその壁の向こうには行かれないってわかったこと。
お金も時間もつぎこんでも、わたしは壁を破ることもよじ登ってこえることもできなかった。

隣の席で働いた最後の1年間は特にそれを感じていて、するするっと壁の向こう側に行ってる人を何人も見て、なんかもう絶望的だった。登るんでも壊すんでもない、自分の知らない方法でしか壁の向こうには行かれないことだけはわかったから。
自称愛弟子で、他の人からも師弟関係に見えてたみたいだけど、、育ててくれようとしてたかもしれないけれど、、でもそれにうまく応えられないことがただ申し訳なくてせつなかった。

師匠はよく、「すごい実践との出会いは人生を変えてしまう」というような話をしていた。ふーんって人ごとのように聞いてた。

3月の終わりにそのことをふと思い出して、自分の心に残る実践を振り返った。
そのほとんどに師匠のサポートがあった。
太田ステージ使って個別の指導計画作ったやつも。PECSのやつも。スーパー不適応を脱出したやつも。ビデオ分析使った研究も。初めて書いたKABC-Ⅱのレポートも。読み書き困難の子の文字学習も。算数障害の状態像の子の支援も。。

それだけじゃなくて、環境との相互作用で子どもを見ることや、ZPDを大切にすることや、入力→処理→出力ってわけて考えることや、今わたしが当たり前のようにやってることの多くのことは師匠に教えてもらったことだ。

間違いなく、師匠との出会いはわたしの人生を変えた。
きっと師匠に出会わなかったら、事例発表するとか、学会に入るとか、コンサルテーションって文化とか、東京に長期研修に行ったりとか、そんなんしなかった。

決してそっち側には行かれないけど、キラキラした世界があるって知ったことは、間違いなくわたしの教員人生にプラスになったと思う。

7年間本当にお世話になりました。
師匠に出会えてよかったです。
これからもわたしにキラキした世界を見せてください。