違うのは
一昨日書いた記事の内容を本日自分が思い切り実践しました自分の想いを言葉にすること初めのうちは聴き手に理解できるようにという気持ちが前に出るのですが段々と伝えたい事の核心に近づいてくると今まで意識していなかった視点での感情がほとばしって出てきて言葉にしていたり出来事の時系列が自分でわからなくなってもまてよ、それ間違ってるんじゃない?と気づいていったり自分が経験してきて忘れてしまっていた記憶が鮮明に蘇ってきてその時の私は頑張っていたんだなと自分を褒めたい気持ちになったり(笑)あんなに何事にも自信の無かった私が沢山の悲喜交々の経験を経てこんなに人に自分を語っている事が信じられなかったり…「話す」ということは自分を語るもう一人の自分の存在が居てこそのものだなと本当に実感し ましたもう一人の自分=俯瞰するなんだなぁと思いますそれができていくと思考の同じ道筋の堂々巡りが減り違った角度から事象を考え想像できたりしていけるんじゃないでしょうか?ただこれも聴き手の「何でも受けとめてくれて、ジャッジしない」対応があればこそ!人の語る言葉に正解も間違いも無いのでは?「私はそう思った」それが全てだと思います違うのは「解釈」どこを切り取り、どういった価値観を当てはめたのか?だから話す言葉にまず共感して貰えることが「気持ちを放つ」に繋がっていきます。それで誰かの気持ちがちょっとでも晴れになって欲しいですね