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こちらの記事は
【埼玉•栃木•群馬三県旅】

2023年10月

の記録(アルバム)です看板持ち


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足利織姫神社

→足利西宮神社

からの

🚲🚲

三寶院








足利五郎太藤原行国の墓

藤姓足利氏は、平将門討伐の功績のあった佐野唐沢山城主藤原委郷の子孫です。子孫の伊勢崎潤各城主藤原成行が天喜2年(1054)足利に入部、両産山に城を築き、足利藤原氏が誕生しました。

成行は、足利大夫と呼ばれました。大夫は、武士最高の五位の別称ですから、足利郡司だったと考えられます。

麺男成網が早世したので、孫の家網が成行の養子となり、足利大夫を継ぎました。

当時の継嗣相続は五位の位の家では、孫では相続が出来ぬ制度があったので祖父の養子となり、家替を継いだと思われます。

行国は「尊卑分派」によれば成行の番行房の子となっていますが「藤原系図」によれば成行の5男で栗崎五郎太部又は、足利五郎太郎と呼ばれました。

同素には「栗崎蓮台寺城主大治元年(1126)7月27日卒、正事寺殿仁応行国」とも書かれています。

行国は、父成網が早せし、幼くして家督を継いだ家網が成長するまで、成行の後の足利郡司をつとめたと考えられています。足利五郎太と足利という地名を冠して呼ばれる時は、その他の棟梁を表していますから、一時期、足利藤原の棟梁で両崖山城主となり、家網の成人により、譲って連台寺に穏居したと考えられます。昔の暖かい人間関係が浮かんで来るような行国の墓です。

足利藤原氏は源平合戦の時、平家に組したため、頼朝により滅ぼされました。







大黒天石🪨と

イヌサフラン



可愛いけど

見た目も名前も似ている

香辛料のサフランとは

科も違う別物で食べると有毒らしい

にっこり

でも可愛いから好き



たぬき?

ほんわか



つづく

黒猫しっぽ黒猫からだ黒猫あたま



🔻2023年10月関東三県旅



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