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〒374-0064
群馬県館林市代官町11−38
由緒
御祭神
藤原朝臣長良公(802~856)
【合祀17柱】
- 蛭児命
- 大国主命
- 豊受姫命
- 金山比古神
- 伊奘諾命
- 伊弉冊命
- 猿田彦神
- 鹿屋野比売神
- 倭建命/ヤマトタケル
- 句々酒馳神/ククノチ
- 長乳歯神
- 素戔嗚命
- 大山祇神
- 倉稲魂命
- 木花咲夜姫命
- 菅原道真公
- 大日孁命/天照大神
【摂社:織姫神社】
- 天照大神
- 天乃衣織姫命/織姫
- 豊受姫命
- 天野八千々比売命
- 長白羽命
- 天乃日鷲命
- 天乃棚機姫命
鎮座由来
祭神藤原長良公は贈太政大臣正一位藤原冬嗣公の長子で、権中納言兼左衛門督に任ぜ
られ、東国平治のため下向常に民衆を憐れみ、病を癒し、貧を救い、仁恵を施した。
任満ちて帰京の後、斉衡3年7月3日(856)
御年55才で去す。
後元慶元年(877)左大臣正一位、
重ねて同3年(879)太政大臣を贈られた。
死後貞観11年3月18日(869)大和国春日大社の末社に列せられた。時に上野の
住人赤井良遠なる者が長良公の余徳を慕い、
本国に勧請せんと奏聞し、勅許を得て佐貫
荘長柄郷瀬戸井村上の森に社殿を造営した。以後佐貫の人民をはじめ郡内の人民の信仰深く、分社するものが多く赤井山城守照光館林城主となるや、天福寺境内に社殿を造営して当地に勧請する。爾来領主代々氏子の崇敬厚く、社殿を修復し、境内の整備につとめ、社地の寄進等あり祭事の興隆に努力せられた。
享保五子年(1720)正一位長良大明神の宣旨を賜わり、明治六年一月郷社に列し長良神社と改称する。最近祭神長良公の余徳を慕い氏子をはじめ遠近より参拝するものも多く、館林市惣鎮守として社頭殷賑を極めている。
つつじの館林七福神めぐり恵比寿神(蛭子命)
当神社では御祭神藤原長良公と共に蛭子命を合祀しております。
御祭神蛭子命は、記紀神話の中では伊邪那岐、伊邪那美二神の御子で恵比寿神として崇められております。寛永年間(1624年項)摂津国武庫郡西宮(兵庫県西宮市)の西宮神社より勧請をし、当神社では恵比寿祭が毎年旧暦の
10月19日、20日の両日にわたり盛大に行われ、今に至るまで市内はもとより近郷近在から御神徳を仰ぎ福を求めて、参拝する崇敬者が多数に及んでおります。尚当神社では、大国様も合祀しておりますので、両神様の御神徳を仰ぎ商売繁昌、五穀豊穣、家内安全、身体健全、交通安全の御神璽として、旧館林藩主子爵秋春朝書の西宮大神、旧帝国美術院審査員小室翠雲画伯の画くエビス、大国の三体の掛軸を頒布しております。
又、当神社裏の境内には、樹齢百数十年余におよぶ雌雄の銀杏があり、ふくよかに豊かに実を稔のらせております。その実のぎんなんは「
ふくよかにみのる」と言う意味で一陽来復、招福、諸願成就の霊験あらたかな「ぎんなん守」として参拝の方々から求められております。
尚、西宮大神、エビス、大黒の三体の
掛軸、神札、御守、色紙、朱印は神札授与所にありますのでお受け下さい。