こちらも渋沢栄一さん
縁の社
(↑11:53)
鹿島神社
創立年代は不明だが
天慶年代(10世紀)
平将門追討の際、六孫王源経基の臣、
竹幌太郎がこの地に陣し、
当社を祀ったと伝えられる。
以降武門の守とされ、
源平時代に竹幌合戦に
神の助けがあったという。
享徳年代(十五世紀)には
上杉憲清(深谷上杉氏)など
七千余騎が当地周辺から手計河原瀧瀬
牧西などに陣をとり当社に祈願した。
祭神は武甕槌尊で
本殿は文化七年(1810)に建てられ
千鳥破風向拝付であり
拝股は明治十四年で軒唐破風向拝付で
ともに入母屋造りである。
境内の欅は空洞で底に井戸があり天然記念物に指定されていたが現在枯凋した。
尾高淳忠の偉業をたたえた頌徳碑が
明治四十一年境内に建立された。
昭和六十年三月 深谷上杉顯彰会
(第二十二号)
揮毫は渋沢栄一さん書
とんぼ
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香取神社
尾高淳忠の偉業をたたえた頌徳碑
鹿島神社
下手計の鎮守社で、拝殿には渋沢栄一揮になる「鹿島神社」の額が掲げられている。
境内には、栄一の師である尾高惇忠の偉業を称える藍香尾高翁頌徳碑が建立されている。この碑の篆額は徳川慶喜公の揮毫である。また、撰文は三島毅文学博土(号 中洲)、書は日下部東作(号 鳴鶴)に
よるものである。
今では朽木となったが、大欅の根元に湧いた神水で共同風呂が設けられていた。栄一の母、栄はこれを汲み、らい患者の背を流したと伝えられている。
栄一手植えの月桂樹と長女穂積歌子が植えた橋があり、その由来を記した碑がある。
深谷市。
2024年7月深谷•赤城山の旅
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