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こちらの記事は
埼玉県深谷市
【深谷•赤城山の旅】
2024年7月

【深谷サイクリング】
11:13〜13:15
の記録(アルバム)です看板持ち


※記事の日時=記録整理用日時です
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「藍」栽培中



藍(タデ科の植物で花の色は白)


藍が発酵した状態を「蒅(すくも)」と言い、藍甕等に水、薬、石灰や灰等を加え30度位に保つと、微生物が働き出し更に発酵し泡が出ると1週間ほどで完成する。糸や布を漬けよく絞って空気に触れさせ藍染め液と酸素が科学反応をすることで青く染まっていきます。






深谷市指定史跡
尾高惇忠生家

尾高惇忠は天保元(1830)年、下手計村に生まれました。通称新五郎、謹は忠、鑑香と号しました。渋沢栄一の従兄にあたり、栄一は少年時代からこの家に通い論語をはじめ多くの学問を学びました。
後世"藍香ありてこそ栄一あり”と称えられた人物で、知行各一の水戸学に精通し、栄一の人生に大きな影響を与えました。明治時代を迎えると、惇忠は富岡製糸場初代場長や第一国立銀行の盛岡支店長や仙台支店長などを務め、幅広く活躍しました。
この尾高忠生家は江戸時代後期に忠の曽祖父磯五郎が建てたものと伝わっています。
「油屋」の屋号で呼ばれ、この地方の商家建物の趣を残す貴重な建造物です。栄一の妻となった千代、見立養子となった平九郎、忠の娘で富岡製糸場伝習工女第1号となった”ゆう”が、この家で育ちました。また、若き日に忠や栄ーらが尊王攘夷思想に共鳴し、高崎城乗っ取り・横浜外国商館焼き討ちの謀議をなしたのもこの家の2階と伝わります。内庭の煉瓦倉庫は、「上敷免製」の刻印を残す煉瓦が周囲に残ることから日本煉瓦製造株式会社製の煉瓦で建てられたものと思われます。平成22(2010)年に深谷市指定文化財(史跡)となりました。


  2024年7月深谷•赤城山の旅

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