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こちらの記事は
茨城県土浦市
【亀城公園】
2024年4月
12:09〜12:22

の記録(アルバム)です看板持ち


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お城と桜🌸


聖徳太子堂





聖徳太子堂の由来

この御堂は日本文化と日本仏教の元祖である聖徳太子を祀る。境内の聖徳太子報恩碑は、昭和十一年に土浦の有志により桜川畔に建てられ次いで昭和四十年、土手の改修工事の為 移される事になり、

時の市長天谷五之助氏の厚意により土浦五職組合の人々がこの場所に移し、神堂を建て太子御尊像を奉納した、以後 五職組合の人々が聖徳太子讃会を興し、職祖神として太子をお祀りしている。

•聖徳太子の伝記と主な行積

敏達天皇三年御生誕(西暦五七四年)

父、用明天皇皇太子時代(母、穴穂部間人皇女)

鹿定豊聡車皇子、上富太子とも呼ばれる・祖父、明天皇の時代、最初の仏教伝来あり(五三八年)

現代の韓国(当時の煮・高句麗・新羅)より

多くの経典・僧侶・大工・鑪盤師・瓦師・画工・来る。

太子は幼時より足等の人々に学問、技術を学び、仏教を大いに信仰し国民に弘める。

二十才推古天皇(叔母)の幅政皇太子となる。

益々、仏教を信仰し大阪に四天王寺を建てる

推古十一年冠位十二階を制定し人材の登用をはかる(六〇二年)

推古十二年憲法十七條を制定し天皇の尊厳並びに豪族の融和をはかる。

現在の中国(当時の階)とも外交を結ぶ
(六•七年)

是等の中国、韓国の国々より建築技術者、仏師、画工、医学博士、

暦本天文地理学者、絵具、筆、星、紙、布、等の製造技術者、

楽人、伎楽舞人等を呼び…・・・・

国民に学問研究、寺院建築、仏像彫刻、絵画製作、舞楽の研究、絵具、筆、黒、紙、布、薬品等の製造と販売等を指導し、又農耕を国是とした。

高麗僧恵慈を師とし石済僧 恵聡よりも深く仏教を学び法隆寺を建立する(六〇七年)

三經義崎(法華・勝髪・継麻經・の注釈書)を箸はす、六〇九年より六一五にわたり完成する)

推古三十年二月二十二日 四十九才にて御去(六二二年)

大阪南河内太子町磯長に御廟あり。

現在、太陽暦に換算し四月十一日を御命日とす。

当奉讃会に於ては毎年四月中旬御堂前に松て奉讃、法要を行っている。

川村 歌子記













  2024年4月茨城旅





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