こちらの記事は
東京都墨田区
【隅田川七福神サイクリング】
2024年5月
9:15〜13:14
【白髭神社】
10:40〜10:55
の記録(アルバム)です
※記事の日時=記録整理用日時です
※画像や動画の流用は固くお断りします
隅田川七福神サイクリング
多門寺(毘沙門天)に続き
白髭神社(寿老神)です
(↑10:41)
白鬚神社
寿老神
白鬚神社は往古の寺島村の鎮守であって、
祭神を昔風に平たく申し上げると
白鬚大明神である。
江戸時代の終りに近く、町人文化が全盛の時期、
当村の百花園に集っては風流を楽しんでいた文人たちが、隅田川の東岸で初春の七福神詣を始めようとしたとき、どうしても近隣の寺社に寿老人が見つからない。
そこで機智を働かせ、鎮守の白鬚大明神は、
白いお髭の御老体であろうから、まさに寿老神としてたたえるのにふさわしいということになり、
めでたく七福神が誕生したわけである。
寿老神は、人びとの安全と健
豚とを守る長寿の神として崇敬されている。
諏訪社
白鬚神社
祭神
猿田彦大神
天照大御神
高皇産霊神
神皇産霊神
大宮能売神
豊由気大神
健御名方神
由緒
天暦五年(西暦九五一年)に慈恵大師が関東に下った時に、近江国比良山麓に鎮座する白髪大明神の御分霊をここにまつったと、社伝の記録は伝えている。天正十九年(一五九二年)には、時の将軍家より神領二石を寄進された。
当社の神祭神猿田彦大神が、天孫降臨の際に道案内にたたれたという神話より、後世お客様をわが店に案内して下さる神としての信仰が生れた。
社前の狛犬は山谷の料亭八百善として有名な八百屋善四郎、吉原の松葉屋半左衛門が文化十二年に奉納したもので、その信仰のほどがしのばれる。明治四十年には氏子内の諏訪神社を合祀した。
隅田川七福神
当社に寿老神を配しあるのは、文化の頃この向島に七福神をそろえたいと考えた時に、どうしても寿老人だけが見当らなかった。ふと白鬚大明神はその名から、白い景の老人の神様だろうから、寿老人にはうってつけと、江戸人らしい機智を働かせて、この神を寿老人と考え、めでたく七福神がそろったといわれる。隅田川七福神に限り、寿老神と神の字を用いる所以である。
(↑10:55)
続いて百花園
🚲
🔻2024年5月隅田川七福神パワスポサイクリング