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こちらの記事は
東京都千代田区
【神田明神】
2024年6月
8:48〜9:21
の記録(アルバム)です看板持ち


※記事の日時=記録整理用日時です
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神田明神には

八雲神社も二社鎮座しています

神社




三天王 二の宮

大伝馬町八雲神社

御祭神 建速須佐之男命

祭礼日 六月五日

この神社は江戸時代以前に祀られていたと伝えられる。三天王の二の宮の天王祭は、六月五日明神境内を発し、氏子中を神幸し大伝馬町の御仮屋へ渡御して八日に還輿していた。このことから大伝馬町天王と称されていた。

この祭は元和元年(一六ー五)頃より行われて、江戸時代には他の天王祭と共に大変な賑わいの一つであった。今日でも大伝馬町一丁目・本町三丁目東町会の有志諫鼓会(神田祭の一番山車大伝馬町謙鼓山車より命名)の人々の篤いご信仰がある。

尚、東京の風物詩「べったら市」も伸田神社兼務社日本橋宝田恵比寿神社で諫鼓会の人々により祭礼伝統文化行事として継承されている。



顔の穴の中に狛犬さん

ニコニコ









三天王 三の宮

小舟町八雲神社

御祭神

建速須佐之男命

祭礼日 6月6日

この神社は江戸城内吹上御苑より神田神社と共にこの地に遷座された。小舟町[貞享年間(1684〜)までは小伝馬町]お仮屋を有し神輿が渡働されたことから小舟町の天王と称された。

明治以前は公命により、江戸全町域の疫病退散の為、江戸城内・北奉行所・日本橋々上に神輿を安し祈祷が行われた。

東都歳時記によれば、当時の天王祭は一丁目にお仮屋ができ大提灯・大注連縄が張られ、二丁目には七、八間の張りの神門が造られその左右に随神が置かれ長さ五丈の杉の木を植込み、鰹節の樽積みが高々と重ねられた。三丁目には須佐之男命と稲田姫の造り物、八岐大蛇の行灯、天王祭の大幟をたて神輿の神幸を待った。

神輿は6月10日に明神境内を発輿して氏子180か町を巡り還奥するのは13日か14日その間の里程は十三里に及んだといわれる。このことから十三里天王ともいわれた。

近年では、八雲祭と改められ小舟町街中に壮大なお仮屋がたてられ、華麗にして壮な大神輿の神幸祭が不定期に斎行されている。



八雲神社は

八坂神社と同じ祇園進行の神社ですね

指差し



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