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こちららの記事は、
山梨県身延町
【身延山久遠寺】
2023年8月
8:50〜12:20

【日蓮聖人御廟】
11:45〜12:08

の記録(アルバム)です看板持ち


※記事の日時=記録整理用日時です
画像や動画の流用は固くお断りします



(↑12:02)

日蓮大聖人が過ごされた

御草庵跡です

うさぎのぬいぐるみ












御草庵跡

文永十一年(1274)に身延山へ入られた日蓮聖人は、6月17日に南部實長(波木井)公のご丹誠による御草庵へ住まわれ「昼はひねもすに一乗妙典の御法を論談し、夜はよもすがら要文誦持の声のみす」と書き残されているような明け暮れを送られましたが、弘安四年(1281)に至り十間四面にひさしをつけたお堂に造りかえられて、これに住まわれました。石の玉垣で囲まれた区域がその跡です。このところこそ日蓮聖人が九ヶ年ご在住になり「墓をば身延山に立てさせ給へ。未来際までも心は身延山に

住むべく候」と遺言せられて墓を築かれた聖地で、身延山久遠寺発祥の地です。石の玉垣は旧姫路藩主酒井公の夫人頭寿院殿の寄進になるところです。


県指定史跡

日蓮聖人御草庵跡

昭和34年2月9日指定

身延町身延3628番地

身延山久遠寺所有

この御草庵跡は、18・18メートル四方で、

日道聖人が文永11年6月17日より弘安5年9月8日までの9年間、時には厳寒と戦い、時には飢餓に耐えながら、昼は終日門下の教養に努め、また法華経の深旨を論談し、夜は深夜まで法華経要文の読誦と著述に励まれた聖地である。

聖人はこの御生活に満足なされ


たちわたる身のうき雲も晴ぬべし

たえぬみのりの驚の山風


と詠じ給いて、

法悦歓喜の安住を表されております。


昭和51年5月1日

身延町教育委員会






(12:08)



🔻2023年8月山梨・静岡旅



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