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東京都台東区
【摩利支天徳大寺】

2023年11月

11:10〜11:17

の記録(アルバム)です看板持ち


※記事の日時=記録整理用日時です
写真や動画の流用は固くお断りします



📍

〒110-0005

東京都台東区上野4丁目6−2


縁起


摩利支天徳大寺縁起

当山(徳大寺)は、江戸時代初めの寛永年間に

慈光院日遺上人によって創建され、

正式には日蓮宗・妙堂山徳大寺と申します。

また、

仏教の守護神である開運大摩利支尊天を

奉安することから摩利支天徳大寺とも称し、

下谷広小路(現在の上野広小路)に

位置したことから下谷摩利支天

とも呼ばれてまいりました。

そもそも摩利支天とは、

「威光」あるいは「陽炎」と訳され、

常に日天に先んじて進み、

大自在神通の力を以て昼夜の別なく光を放ち、

参詣祈願の面々に「気力・体力・財力」を与え、

「厄を除き、福を招き、運を開く」

福寿吉祥開運勝利を誓い給いし、

諸天善神中最も霊験顕著なる守護神といわれ、

我が国では古来より

武士階級からの篤い崇敬を受けてきました。

寺宝として奉安する摩利支天像は、

江戸時代中期の京都にて

霊夢感得された御尊像と伝わり、

宝永五年(西暦一七〇八)に

当山へ安置されました。

以来、聖徳太子の御作と伝わる御尊像に

開運吉祥の利益を授かろうと、

全国よりの絶えざる善男善女の参詣により

山門は俄然活況を呈し、

いつしかその門前通りは

下谷広小路の摩利支天横丁

と呼ばれるようになりました。

その後、

大正十二年の関東大震災、

昭和二十年の戦災

による火災類焼によって、

堂宇は二度にわたり灰燼に帰しましたが、

奉安の御尊像は幸いにも

その都度焼失を免れてまいりました。

そして終戦後の混乱期、

闇市の形成などによる街並みの変化に伴い、

移転再建が検討されながらも

創建以来の此の地に部まり、

昭和三十九年十一月、

堂宇再建の悲願が結実され全伽藍の復興果たし、

今日の姿に至っております。

本堂正面に掲げられる扁額「威光殿」は、

威光の化身たる大摩利支尊天の拝殿の意として、

吉田茂総理大臣の揮毫

により寄贈されたものであります。

寛永の時代より凡そ四百年、

寺社町として栄えた上野広小路に残る最後の寺院

として今日も大摩利支尊天をお祀りし、

有縁の清衆の現世安穏、

後生善処の浄願を祈念致しております。

浮世絵に描かれた下谷摩利支天/画 楊洲周延

摩利支天德大寺

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