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日本史歴代天皇
【第96代:後醍醐天皇】
のINDEX記事です看板持ち

鎌倉幕府を滅ぼし、
南北朝時代へ


※未完成記事です。順次更新〜
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在位期間

1318年2月26日(文保2年3月29日/31歳)

- 1339年8月15日(延元4年9月18日/52歳)


系譜

父:後宇多天皇(第91代天皇)

母:五辻忠子

 (後宇多天皇の後宮)


後宇多天皇の第二皇子


●大覚寺統

ウィキペディア:大覚寺統


●南朝

ウィキペディア:南朝


吉野行宮


略歴

0歳

1288年11月2日(正応元年11月26日)
誕生

20歳

1308年(正安3年)

持明院統の花園天皇の即位に伴い

皇太子となる


31歳

1318年2月26日(文保2年3月29日) 

花園天皇譲位により践祚

(※践祚/せんそ=位を受け継ぐこと)

1318年4月30日(文保2年3月29日)

後醍醐天皇即位

※即位後3年間は父の御宇多法皇による院政


34歳

1321年(元享元年)

御宇多法皇院政停止

後醍醐天皇親政開始


35歳

1322年(元享2年)

中宮の御産祈祷

(※鎌倉幕府に呪いをかけたという説もあり)


37歳

1324年(正中元年)

正中の変

:後醍醐天皇が鎌倉幕府倒幕を企てた嫌疑で

 側近が処分される(※天皇は無罪放免)


39歳〜42歳

1326年〜1329年

中宮の御産祈祷


44歳

1331年(元弘元年)

元弘の変

倒幕計画を密告で暴かれ、

京都脱出し、

比叡山や笠置山への籠城を試みたが失敗。

山中に潜伏していたところを発見され、

捕虜となる。


鎌倉幕府は、

京都から逃亡した時点で

後醍醐天皇を廃位し、

光厳天皇を即位。


45歳

1332年(元弘2年)

謀反人として隠岐島に流される


46歳

1333年(元弘3年)

反幕勢力を頼りに隠岐島を脱出し、

山陰(鳥取県)で挙兵。

幕府から追討で派遣された

足利高氏が味方につき、

直後に東国で挙兵した新田義貞が鎌倉を陥落し、

北条氏滅亡。


1333年6月5日(元弘3年7月17日)

建武の新政開始

●自らの退位と光厳天皇即位を否定

●幕府・摂関を廃止

●両統迭立を廃止し大覚寺統に統一

●実子の護良親王を征夷大将軍とする

●足利高氏に「尊氏」の名を与える

(※後醍醐天皇の譚「尊治」より)


47歳

1334年1月29日(元弘4年3月5日)

建武に改元


48歳

1335年(建武2年)

足利尊氏と対立→建武の乱


49歳

1336年(建武3年)

足利尊氏は九州で態勢を立て直し、

後に北朝となる光厳天皇の院宣を得て

上洛へ

後醍醐天皇は比叡山に逃れて抵抗するが、

尊氏の和睦に応じて三種の神器を渡す。

足利尊氏により

光明天皇擁立

光厳天皇院政のもと建武式目を制定し幕府開設

※京都朝廷(北朝)のスタート


後醍醐天皇は吉野で吉野朝廷(南朝)を開き、

南北朝時代がスタート


52歳

1339年8月15日

義良親王(後村上天皇)に譲位

1339年8月16日

崩御



祀られている社

  奈良

吉野神宮



奈良INDEX