今日は友達と町に出ていました。地震の起こった時刻-この時をどう過ごそうか、ここ何日か考えていました。結局その時間は友人と昼食を囲み、時計を確認した時には2:46は過ぎていました。みんなでいるときは地震の話が触れられることはなく、友達1人と一緒になった帰りの車の中ではじめてその話をしました。
今日という日を悼みたい、、一方で、その発生時刻に取り立てて黙祷とかいう非日常の行動をすることが勝手に地震と津波をドラマチックにしているようではばかられて、結局こんな形になりました。
正直あの日、
お父さんとお姉ちゃんが生きていてくれて良かった。
その次に、おばあちゃん、おじちゃん、おばちゃん、友達が無事でよかった。
でも、おばちゃんたちの家がなくなったことは悲しかった。
岩手の、東北の、故郷の人々の多くの命が失われたこと、
ずっと変わることのないと思っていた故郷の風景が
私の記憶とはすっかり変わってしまったこと、
それがとても悲しかった。
私の心で思われるのはいつもこの順番で自分は利己的だなと思います。
自分に身近な所からしか思いをめぐらすことのできない自分を受け入れることができなくて、この一年は自己中心的な自分の思考の現実を受け入れるのに本当に時間がかかりました。心の中で色んな思いがめぐるうち、、何も言葉にできない、何を口にすべきかわからない、、自分の感情・意思・信念を自分で制御しきれない感覚を初めて経験しました。
しかも、いつもこんな心のぐるぐるを聞いてくれた友達・家族は遠くにいて、みな私より大変な状況におかれていてとても彼らを煩わせることはできなくて。私は精神だけは安定している方だと思っていたけど、自分がおかしくなったのかなと思いました。お花畑だったハッピーなかつての私のメタ認知がなつかしくてたまりません。これが大人になるってことなのかな。いや、大人になったって前向きに捉えないとやってけないから、前よりちょっと慎重になった、、くらいに考えておきます。
テレビで見た、京都 大文字での小学生を中心とした人文字追悼イベント。参加者は生き生きとしていて笑顔もこぼれていて、正直、高田の松の問題もあったから偽善のにおいを感じてしまった。でも、偽善だってそうでなくたって、当人が選択して当人の時間のいくらかを地震に思いをはせるために使うことにしたんだからそれで十分なんだよね。
私だって、小学校の時は、奥尻島の津波支援で雑巾を送った時「津波」が何かもわからなかったし、「被災者」は外人さんとおなじくらい現実感のない存在だったし。ただ学校がそうしましょうと言ったからお母さんに縫ってもらって雑巾もってたんだ。そっか、あんとき低学年だったけど自分で雑巾縫ってさえもなかったんだよね。
でも、その行為によって、自分が遠い所にいる人の助けになってる、社会の役に立っているという責任感をおぼろげながらも自覚することはできたんだよね。そう思えば、「一周忌」とか非日常の儀礼を行うことで、それが結局は自分の心の浄化のためであっても、あの惨事に思いをはせ、あれから教訓を得ようとするならば、それは十分意味のある行為なのかもしれない。
だから、家に帰ってから震災特集を見て、その2時間だけは自分なりに震災のことを一杯考えました。
父姉には動揺させたら申し訳ないから、直接言えないからここに書きます。
本当に、生きていてくれてよかった。それだけでよかったよ。ありがとう。
この一年間、本当によくがんばったね。えらいね。おつかれさま。
まず、今日という日は何の区切りでもなくて。でも気持ちの整理をしやすいように「非日常」を設定する機会がめぐってきたから、この機会に自分の今日の気持ちを整理させてもらいました。
明日からはまた日常に戻り前よりきっと震災のことを意識上におく機会の少ない日々を送ることになると思います。でも、人間、忘却をしていかないと日々の新情報についていけず破たんしてしまうと思うので、また折々にいただく「非日常」の機会を大切に使わせていただきながら明日からまた自分のすべき日常の課題に真摯に取り組んでいきたいと思います。その結果、何年後、何十年後でもいいので、間接的にでも私の日々の積み重ねがめぐりめぐって震災で悲しい思いをした日本に正の影響を与えることができたらいいなと思います。
二度とこんな悲しい出来事が誰の上にも起こりませんように。