小さい頃から
その人の言葉よりも
相手の人の心の中の本心を視ていたように
思います。

小さな頃は、それは自分だけなんだ
とは、思っていなくて
お友達も
先生も
両親も

みんなみんな、言葉は使うけど
相手の心の中も分かっているのだと
思っていました

それが、違うのだと分かってからは
人の裏表を感じて
なるべく、人の心を視る事に意識を向けない
でおく事をしました。

だって怖いから…




でも、今

やっぱり、人の気持ちを詠みとく
こんな私になっています。

クライアントさんの心の中にある
本当の気持ちを感じて

こんなところに、傷つかれたんですね
こんな言葉をかけて欲しかったんですね

と、お話しながらお伝えしている私がいます。


そして、自分の心も内観をしています。


私は、私の個性で

言葉を伝えていく。


クライアントさんが私に合わして
下さるのでもなく
私が合わしていくのでもなく


お互いの心をひとつにして
寄り添うって感じかな


小さい頃
私の中にある自分だけだった視えるという事

神様からの使命として、
今は大事にしています。

だからこそ、
傲りはないかと
常に自分を内観しています。

自分は、特別だと
自分は、偉いんだと
勘違いして
思った瞬間に

大切なお役目は、、、泡となり
消えてしまうと思うから。

焦りの自我から
利他より利己になり
人をコントロールする事になる
そんな事を
いっぱい視てきたから。

だから、静かに

ただ、静かに

粛々と………自分流で

自分の心も
相手の方の心も大切に
出来る人と……繋がっていく