簡単にまとめるつもりだったのに
なかなか難しくて・・・
まさかの10話になってしまいました~っっ
『完』です
認知症病棟に入院した母は
骨折して整形外科
心筋梗塞で内科
と
行ったり来たり転院繰り返していたワケだけど
この年の (2014年) 8月に
姉が居る栃木県の
○○病院 療養型の病棟に空きが出て入れることになった
やったーわっしょーい
確か、
要介護3以上で病気療養(治療)が必要な人が対象だったと思う・・
その条件に当てはまり
この、とても清潔でキレイな病棟に入院入所
させていただく事になった。
実は施設がなかなか見つからず、
ウチと姉の自宅で
私が平日、姉が週末・・
と交互に母を見るという案も出ていて
どうしよう・・と沈んだ時期もあった
なので
本当〜っにありがたかった
栃木県のこの療養型病棟では、
最期までの
5年2ヶ月もの間、お世話になりました。
ありがとうございました
ここに入所して1年弱の間は
母は
車椅子生活と言っても
トイレも自分で行き、用を足したり
私達を見送る時も窓際で立ちあがって
駐車場に居る私達に手を振ってくれていた。
もう最初の頃の手が付けられない激しい母とは真逆で
ニコニコ笑顔もあり、
おとなしくてカワイイおばーちゃんになっていた
姉が、週に2回以上は母に会いに行ってくれてて
すっかり安心な私は
2ヶ月に1度位で顔を見に行く程度の
楽ちんな生活してました
姉よ、ありがとう
入院中
2015年 84歳 乳癌が発覚(何もできず、そのまま・・)
2016年 85歳 この頃にはとうとう、『あ~』しか言えなくなっていた。
2017年 86歳 いつの間にか?右半身不随(脳梗塞しちゃったのかな)
2018年〜2019年 87歳〜88歳
半身不随になってからは食事以外はベッド上で過ごし
自分でできていた食事も、排せつも全介助になっていく。
入院当初は要介護3だったけど4を経て、最後は5になってた。
2019年 6月 88歳
黄疸、嘔吐等から胆石の診断。
点滴生活になる。
一進一退を繰り返し・・
2019年 10月 88歳9ヶ月 で旅立った。
心筋梗塞で『危険な状態です』と言われてから
まさかの5年も生きた、心臓の強〜い母でした
5年間、母の事はほとんど姉任せにしてた私。
姉には本当に感謝しかありません
以上
母が
80歳で認知症になってから
88歳で亡くなるまでの回想でした。
83歳からは施設と姉任せなのでざっくりだけど
長かったー
自分で読み返すのも疲れそうだー