2014年 83歳 5月

 

市民病院で股関節の手術をし、入院生活が始まった。

 

前半は姉と順番に面会に行っていたけど、

話せない母とは意思疎通ができない。

 

遠くに住んでいることを口実に後半は行かなくなり、

申し訳ないと思いつつ・・・病院任せにしてしまった汗

ゴメンナサイ。本当にお世話になりましたあせる

 

そして1ヶ月弱で退院できるとのことで

転院手続きのために帰省。

 

話せない母は

精神病院に戻る車の中で

『○○家のご先祖様・・』念仏のように繰り返している。

怖いわ滝汗汗

 

けど・・

以前のような激しさは無くなり、静かなおばーちゃんになってた笑

入院中も抗不安薬を服用していたおかげだな。

 

薬ってスゴイあせる

 

転院の手続きを終え、

やれやれと帰宅・・

 

が、

 

今度は

転院直前に起こしていたのであろう、心筋梗塞が判明ガーン汗

気が付くのに1日かかってしまって申し訳ないと連絡携帯

 

精神病院に戻った次の日にまた

市民病院に舞い戻ってしまった笑い泣き 今度は内科ねーっ

 

この頃の私達姉妹は父がらみからずっ〜と行ったり来たりを繰り返してて疲労困憊・・汗

さすがに帰宅直後なので、その時は姉にお願いした。

 

再会した母は、唇は紫色で 足はパンパンあせるにむくんでる。

内科の先生にはいつどうなってもおかしくない状態と言われ、覚悟・・汗

 

危ないと思っていたので

姉と交互に会いに行くようにしていたけど、

 

後半は落ち着いてきて

最後の方はまた、病院任せって感じに・・滝汗あせる

た、大変お世話になりましたあせる

 

そして母は強かったびっくりマーク(笑)

 

峠を越し

約1ヶ月後に三度、精神病院に戻った。

この時はもうチアノーゼもなく、むくみも取れていた。

 

生命力つよっっびっくりマーク

 

 

それにしても

怪我や病気の度に転院しなくちゃだし、

しかも手続き等で家族が必要なんだよねあせる

 

やはり、遠いとマジ大変あせると身に染みた。

姉宅→実家は片道450㎞位 

私宅→実家は片道550㎞位 

 

姉妹で話し合い、

姉が住んでいる栃木県に連れてきて

施設を探して転院させることを計画。

 

精神病院の主治医に紹介状を書いてもらって

姉が栃木県で次の施設を探す事になった。