意思疎通が難しくなり
いよいよ大変になってきたと感じた2014年 母83歳
2月
父が検査入院することになり、母の見守りのため10日間実家で生活。
母は話が出来ないけど、自分の事は全部自分でできていた。
ただ、料理の火のかけ忘れがあるので、そこだけ見守っていた程度。
これまでに何個も鍋を丸焦げにしたらしい
朝起きて行くと、
私の分のご飯も作ってくれている親心は残っている母
そんな母はとにかくアクティブ。
あちこちに行きたいところがありすぎ
私、レンタカーを借りていたんだけど
母はレンタカーには興味がないようでホッ。
私の運転であちこちに連れまわさせる。
話せないので指さしでの誘導ね。
なぜか道は覚えているんだよね・・・
母の要求が満たされれば、私が謝りのごあいさつをしつつ帰るって感じ。
買い物なんて、値段も見ないし(見てもわからない)
同じものを何個もカゴに入れるし(隙を見て返す私)
鍋の特大サイズなんて必要ないのに行く度に買うし・・
(いらないと言ってもきかない・・)
金額を言われてもわからないから
手にいっぱい硬貨を置いて、ホレ取ってくれって感じでレジの人に取ってもらってる
田舎ならではのシステムーっっ
そいえば、すでに数年前からやたら硬貨が貯まっていた・・
お札しか出せなくなっていたんだな
すっかり壊れてしまった母を見て10日間
たった10日間だけど・・
ずっと母と一緒に居ると
私も頭がおかしくなっていきそうだった
私には、同居とか絶対ムリ・・って思ったさ
そして・・・
高齢夫婦2人、これからどうなるんだろう・・と
不安過ぎてお先真っ暗だった・・
帰宅する前日
精神的に疲れ切ってしまってたし
最後に温泉浸かりたいな・・と思い
温泉大好きな母だったのに
この頃はもう行ってくれなかった。
おそらく『温泉』が理解できず
知らないところに行く不安があったのだと思う。
さんざん説明してみたんだけどね・・
母は寝ちゃうと思ったので (早けりゃ19時には寝ちゃう)
お風呂に行ってくるから鍵はかけないでね。
と出かけたのに
がっつり鍵かけられて
ピンポンピンポンを死ぬほど鳴らして起こしたことがあった。
雪がチラつく寒〜い日で
温泉から近かったし、早く帰らなくちゃと思ってて
家でドライヤーしよーっと髪も濡れたまま帰ったので
ウソでしょーって すーんごく焦った
数分ピンポンを鳴らし続けて
あらどしたのって不思議顔で鍵を開けてくれた母。もちろん無言だけど。
開けておいてって言ったじゃん~っっ
って、わからないんだよね。しゃーない・・
それ以来
家の裏側の
母が絶対出入りしない勝手口の鍵を開けっぱなしにする事にした。
これ、正解
帰省が夜の到着もあったから、
よくこの勝手口を利用して実家に侵入したものだ(笑)