煎り豆腐
 
丁度食べ始めようかと思ったタイミングで来客
鶏、青梗菜、茄子 遅くなっちまったわ
 
 
 
 
 
鰹、青梗菜、ポテサラ(惣菜)
鰹、脂ノリノリで大当り…だが、量が多過ぎた?
脂質過剰なのか、、後で吐き気…ポテサラがいらんかったな
 
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さてさて
前日のすみーちゃん記事へのコメントからpimoさんの質問返し
 3歳の頃まで自ら食べたがるのはグレープフルーツのみ本人覚えてない
事情があって暫く親戚や祖母の家に預けられていたが
ソコで日々無理矢理にでも肉や魚をタップリ食べさせられて
食の矯正をしてもらえたらしい本人覚えてない
小学生低学年までは
菓子にもアマリ興味が無く、貰っても
貯まっていく様子を眺めていた…
意地汚い弟にソレを盗み食いされても無関心
今だったら間違いなく首を落とすがね
スーパーで「お菓子1つ選んでイイよ」と言われても首を傾げる
今だったら間違いなく大袋のファミリーパックを持って行くがね
そんな食に無関心でガリガリの痩せ体型だったカオナシが
何がキッカケでこの有様になったのか…?
幼少期から肉の脂身が好きだった記憶はある
だがカオナシ母は栄養士資格持ちで結構食事はストイック、脂身を食べられる機会は殆ど無かった
駄菓子も禁止されていて、たまーに友達との付合いで100円貰う感じ
買う菓子はうまい棒とかキャベツ太郎とか安定のジャンクスナック系

甘い菓子もイケる口になったキッカケってなんだったっけ??
ナントナク、コレかなってのは
小学校5年生位??の夏休みに何かで貰った表面にザラメがついた
大きい丸い飴玉を食べ続けた記憶が強くあって
ソレで砂糖スイッチが入ったのではないかと…??
その夏休みに体重が4kg以上も増えて
やせ型からポッチャリへ華麗に変身
小学生当時は自分の体型なんて関心もなかったけれど
「大きなお尻!」とババァ先生(苦手だった)に言われたことは覚えてるなぁ~
肥満までは行かずとも骨格ウェーブなんで下半身に付いたのね
 多分…
転機はこの夏休みだわ~
 メッチャ長文失礼なんだが…
当時(小学校高学年)
カオナシ母の食事に物足りなさを感じていたのもあったのだろうと後で思い当たるんだけど
ちょうどその頃に家庭科で簡単な料理を学んでからは
自分も台所に立ち存分にマヨネーズやマーガリン(当時はバターを知らんかった)を使って自分好みの料理を作ることを始めたし
オイスターソースと胡麻油をタップリ使った自作の焼き飯の美味しさに衝撃を受けたのも覚えてる
自分で作ったレトルトの10倍は濃厚なミートソースとかカレ~とか大好きだった
チョコレートが好きになったのもこの頃かと
【食への目覚め】が本格的にキタ〜!!

でも、食べる時期と食べなくなる時期があって
親は扱いにくかったらしい本人覚えてない
多分、内臓の疲れが溜まると食べなくなって
復活すると食べるを繰り返していたのかと

マァ、結果
カオナシの転機は小学校高学年
自分で何かしら出来るようになって選択肢が増える年頃に目覚めたんだわな
更に
油脂+砂糖=くそウマイ(ΦωΦ)
の目覚めのトドメは

東ハト キャラメルコ〜ン♪
だと思う、すぐに頭に浮かぶ

今までティッシュ皿に弟と半分こでナントナク食べていたのに
ある日、後で弟と分けるように言われていたのに
ひとりでコッソリ一袋一揆食べをしてしまい
どうしよぅ…
と焦った記憶がバッチリ残ってる
 コレが人生初の一揆食いだわね〜5年生だったかな
 
な〜んか全くまとまらんが
記憶をたぐってタラタラ書いてみました〜
ピンポイントなものは無かったのかもだし
記憶違いとか前後も違うかも
ココには書かないけどメンタル的なモノも関わっていたかも

皆様は食いしん坊デビュ~転機って覚えてる?