ここのところ…という訳ではありませんが、確かに軽くない持病を抱えた我が身。
今回リブログの記事は、閲覧数が「激増する」より「ロングセラー状態」が続いています。
私の脳内で何が起きて、いま抱える問題点を表明することで、私の「病弱キャラ」確立のデメリットより、類似症例の方々への考えるヒントになれば幸甚と思い記します。
先程、コピーしておいた診断書を確認したら、手術は2014年6月5日。もう6年弱経っているんですね…
手術後も、MRI撮影を時折行っていますが、私の左中大脳動脈は完全に塞がりました。
2014年にSTA-MCAバイパス吻合術を受けていなければ、左脳は壊死。ほぼ確実に私は死んでいたでしょう。
手術に踏み切ることを提案していただいた、都立大塚病院の東(あずま)元部長、執刀医の生天目先生(現在は東京医科大助教)、手術時から関わっていただき現在の主治医でもある大坪現部長には足を向けて寝られません。
(って、どこに住んでいるか知りませんが…)
過去記事では手術のことを中心に記しましたが、今回は以降のことを記します。
手術は6.5時間。朝1番に手術室へ自分の足で向かい(!)、麻酔から醒めたのは夜でした。
まず、記しておきたいのは、ちょうど麻酔から醒めるとき、妻が顔を爆発させそうな形相で私のベッドに近づこうとしているところを看護師に制止されていた光景。この時、どれだけ心配をかけたか、心に留めて貰えているのか(愛されているってことか?)、まさに動作として見たことにより、「ああ、俺だけの人生じゃないんだ」とつくづく実感しました。当時の光景はいまで鮮明に焼き付いています。
もう、これだけで。妻に一生分の恩義を感じます。
ある意味、あの日が私の第二誕生日だったかもしれません。
しかし、これで万事順調とも言えなかったのも事実。
まず、一過性であったものの「過還流発作」。よく病棟で患者が暴れているあれに近いです。
説明では、元々必要な血流の80%しか供給されていなかったところ、いきなりほぼ100%血流が回復したことにより、それまでの80%システムを再構築?するために脳が突貫工事を行い、その際に異常な電気信号が飛ぶとのこと。
意識がやや朦朧としていたのではっきり覚えていませんが、私の場合酸素の薄い高原で運動したような気分になったのを覚えています。
(個人差は相当幅があると思います)
次に、これは現在も悩まされている「症候性てんかん」。一時期てんかん患者排斥のような動きがありましたが、私はリスク承知で公言しています。
(とはいえ、知人との会合時に発作を起こし、大迷惑をかけたことは今でも反省しています)
脳の電気信号が乱れるので何が起こるかわかりませんが、私の場合は意識消失を基準として直前3分辺りで右手で細かいことが出来ない。右足を擦ってしまい転ぶなどが生じると危険信号。119番通報と共に、SNSに「入院かも」と書き残す努力をするようにしています。
(なかなか、SNSまでは書ききれませんが)
私も開頭手術の際、起きうるリスクとしててんかんの説明を聞いて承諾したので恨みは一切ありません。
ただ、開頭手術により脳を酸素に触れさせることで、元来なかったてんかんになるケースは無くはないようなので、対象の方は知っておいたほうが良いでしょう。
ちょっと論点が違いますが、参考になるかもしれないのでご紹介。
https://nara.hosp.go.jp/img/health/igaku04.pdf (pdf)
また、これも個人差があると思いますが、発作のあと意識を回復したのち、記憶が曖昧だったり一部飛んでしまうことが時折あります。
(大体、快復まで1週間程度かかります)
まだ、脳の信号が混乱しているのでしょうか?
記憶が飛ぶのは本当に困るので、落ち着くまで静養できる程世間がゆっくりしていない。仕方ないのでメモするか、中々完璧なメモも難しい。
いまだ、試行錯誤は続きます。
※下線を引いた部分は結構難しい医学用語なので、典拠が明確なサイトからの検索をお勧めします