‘The show must go on.’


舞台芸術の傍で生きてきた私にとって、

全ての行動の指針になってきた様な言葉だった。


ショーは続けなければならないし、それ以前に、舞台の幕は何があっても開けなければならない。それが当然のことで、何よりも優先されるべきものだと信じて疑わなかった。


パフォーマンスを前提とした勉強や仕事をしてきたので、「親の死に目に会えないと思え」と先輩たちから再三言われてきたし、それが例え時代錯誤に聞こえたとしても、他の選択肢というのは自然と消えていった。


それが、2019年の中頃からグラついてきた。


20196月、香港で社会の動きが劇的に変化していって、企画されていた公演たちがその渦に飲み込まれては消えていった。


はじめは、デモ隊と警官隊の衝突という、間近に見て、聞くことができる、具体的な危険を理由として


‘The show must not go on.’


という判断がなされた。


そのうちに、香港を守る為の動きの一環として、ボイコットするかどうか話し合われる公演が出てきた。10月、11月ごろのことだ。


この辺りから、姿が見えない、はっきりとは感じられない理由の為に、自らの手で幕を開けないという選択肢が出てきた。


幸い、20201月に、所属していたグループの活動休止前最後の公演を急ぎ準備することができたけれど、2月からはコロナの影響で公演が中止になった。


そして、成立した新しい法案。コロナの第二波。


再開され始めていた公演への準備も、次々と中断された。否、中断「された」というよりは、自分たちで中断「した」というのが正しい。


自分たちで、公演準備を中断した。


幕を開けないことを選んだ。


‘The show must go on.’


それが全てだった世界。それが正義だった世界が転覆して、私も含めて、それを信じていた人たちが皆んな、その外側へ放り出された。


戸惑いの中で、幕を開けないという判断によって救えるかもしれない命がある、ショーを中止することで救えるかもしれない社会があるということを実感した。


コロナ禍にあって、舞台芸術に生きる人たちは、人間として新しい日常の在り方を模索する一方で、新しいショーの在り方を探っている。


舞台芸術は、人間の心に寄り添う仕事。


新しい在り方を探る中で、人間として間違ってしまうことも、舞台芸術に携わる者として間違ってしまうこともあるかもしれない。


それでもいつか、公演が要らないものじゃなくなって、みんなの心に寄り添えるものになったら。その時の為に、私たちは準備していなければいけないと思う。


いつか、誰かの心にそっと寄り添う為に命を燃やすことができたなら。


それが自己満足でなくて、その誰かの安全や健康も確保できた上で、実行できる日の為に、私もこの素敵な仕事を担う端くれとして、日々がんばっていきたいと思う。